第241話:神と悪魔⑥
〈魂霧子弾〉
彼女の指尖を離れたその黄昏色の弾丸は、光と変わらない程の速度で神へと迫る。空間を満たす神力を容易く穿ち、瞬く間も無い程の刹那的な時間でそれは神の肉体へと到達する。そしてそれは凡ゆる生命を超越する神の頑丈な肉体を穿ち、魂を肉体諸共強制的に霧散させる。
そして、その黄昏色の魔弾はそのまま神の肉体を一切の遠慮も無く文字通り消滅させて背後の壁を抉る。一欠片の痕跡すら残さず、初めからそこには何もありませんでした、とでも言いたげな程に綺麗さっぱり消し飛ばしてしまった。
本来であればこんな事は到底不可能だろう。神と神の子の間には天と地程にかけ離れた格差が存在し、それは神の子とヒトの子との間にあるそれよりも隔絶されている。文字通りそれは種としての根本的な違いによって生み出されたものであり、抑として同じベクトルで比較する事自体が無礼極まり無いのだ。
それは、仮令神の子の一角を占める悪魔種全体の頂点に悪魔公として君臨するアルピナと雖も例外では無い。悪魔公であろうとそうでなかろうとも彼女が神によって創造された神の子の一欠片である事は変わりなく、そうである以上例外無く神に敵う事は許されないのだ。
しかし、現にこうしてアルピナの魔弾は神の肉体を穿いた。傷を付けるなどという生易しい代物では無く、文字通り消滅させた。それは内容次第では歴史的快挙として称賛されても不自然では無い程の偉業と同等。しかし、アルピナの顔は決して明るくは無かった。これ迄と何ら変わらない冷徹さと可憐さを兼ね備えた無感情なもので、しかしその裏では同時に何処か辟易とした態度と煮え滾る怒情も窺えられた。
まったく、とアルピナは銃の形にした指を下げる。指尖に集約させた魔力の残滓が全身に還流し、身体全体から吹き荒ぶ凄まじい迄の殺気と覇気もまた同時に鳴りを潜める。最初にこの神々の間に入室してきた時と同じ程度の装いだけを残し、彼女は溜息を零した。
「相変わらず神というのは理不尽だな。しかし羨ましくもある一方で、たかが神の子でしかないワタシでは何時か自我が希薄してしまうだろうな」
アルピナは目線だけを自身の背後に向けつつ徐に呟いた。金色の魔眼が自身にとって死角になる筈の背後を正確に捉え、そこに存在する存在を睥睨する。猫の様に大きく愛くるしい吊り目の中から放たれる蛇の様に鋭利な野性的眼光は、彼女の悪魔らしい冷徹さを余す事無く活かす様に輝いていた。
そんな美しくも恐ろしい氷の様な視線の先に当然の様にいたそれはやはり神だった。つい先程アルピナの魔弾によって肉体と魂を文字通り消滅させられた筈の神そのものが、まるで何事も無かったかの様な平然とした態度で微笑んでいた。
愛くるしい人間の童にしか見えないそれは、魔弾を撃たれる前と全く同じ姿形をした神そのもの。魔眼越しで見る事によってその確実性は担保されるが、態々《わざわざ》魔眼越しに見なくてもそれが神である事を疑う積もりは毛頭なかった。この状況下でそこに立てる者は、必然的に神唯一柱に絞られてしまう。それ程の威力と効能を持つ魔弾だからこそ、アルピナはそう確信していた。
そして、そんな純粋無垢で天真爛漫な態度を余す事無く晒し出す神は辟易とした態度と怒情で振り向くアルピナに対して柔らに微笑む。つい先程自身の肉体を滅ぼした筈の相手に向けるにしては随分と平和的過ぎる気もするが、言い換えれば神にとってはその程度でしかなかったという事だろう。
そんな稚さ残す神から漂う態々《わざわざ》目くじら立てて批判する程の事でも無いと断ずるかの如き威厳は、悪魔公として凡ゆる神の子ヒトの子を下に見るアルピナをも赤子同然の塵芥へと変貌させる。とても現実で起きている事だとは信じられない様な光景だが、しかしそれが真実なのだ。
そして、改めて神と対面したアルピナはその突然の攻撃を裏打ちする様な苛立ちの仮面を顔面に貼付する。先日のカルス・アムラに於いて龍王アルフレッドに対して見せたあの憤激程暴力的では無いにしろ、それに限り無く等しいだけの感情は彼女の魂の内奥にて波立っていた。
抑、アルピナはその性格上余り表立って怒りを露わにする事は無い。大抵の事は笑って流すし、何よりアルピナを挑発出来る程に肝が据わった者はそう多くいない。だからこそ、本来彼女が唯一怒りを露わにするのは彼女にとって近しい存在である友人が侮辱された時に限られる。
尚、その中でも彼女にとって最も近しい存在である特定三柱に関しては取り分け激情に駆られるらしい。今回のそれは、正しくそれに限り無く近かった。相手が神である為に理性を最大限働かせて己の暴力性を抑制するが、それでも如何しても抑えられなかった衝動こそが先程の一撃だった。
そんな彼女は、その激情を改めてその強靭な理性で抑え込んでいた。如何にか意識を誤魔化す様に零した皮肉めいた称賛に続ける様に、彼女は改めて大きく息を吐く。軈て心の平静を取り戻せたのか彼女は自身の腰に片手を添え、その可憐な容姿を見せつけるかの様に普段と変わらない声色で言葉を紡いでいく。
「それと、ワタシの許可無しにその話題を口にするな。それは仮令神である君であろうとも同じだと再三に亘って忠告しているだろう? 忘れたか?」
小首を傾げて問い掛ける様に、アルピナは頭上に疑問符を浮かべる。その落ち着いた姿だけ見れば、つい先程暴力的な魔弾を撃ち込んだ悪魔と同一とはとても思えない。それ程迄に彼女の表面上の感情は平静を取り戻していた。カルス・アムラでの一件の様に誰かに制止される迄も無く自力で落ち着いた辺りは彼女も成長したという事だろうか。或いは、その一件程の怒りに囚われていなかっただけかも知れない。
しかし、そんな未だ怒情冷めやらぬ様子が微かに残る彼女に対して神は全く動じる様子は無い。確かに今の彼女の怒情は最早彼女を昔から知っている様な近しい者でなければ見抜けない程に薄まっている。それでも、彼女が本質的に持つ悪魔的冷徹や冷酷さとの嚙み合わせを前にしてそれだけの態度を取れるという辺り、流石は神なのだろう。
そしてその神は、そんなアルピナの態度を前にして陽気に笑う。彼女の怒情を容易に吹き飛ばす程の彼の態度は、とても怒情の矛先を向けられているとは思えない程。憖今の神の姿形が10代前半の人間の男の子の様にしか見えない事も相まって、余計に彼女の怒情の行方が迷子になってしまう。
「はははっ、ごめんごめん。そういえばそうだったね。大丈夫、忘れてないよ。でも、皆知ってる事だし態々《わざわざ》隠す必要なんて無いと思うけどなぁ。……まぁいっか。それにしても、魂と肉体の強制霧散だなんてまた随分と物騒な魔法だね。スクーデリアちゃんが創ったにしては凶暴過ぎるし、若しかしてアルピナちゃんが自分で創ったの? 君も少しは成長したんだね。創造主として僕も嬉しいよ」
殺伐としたアルピナとはまるで対極に位置しているかの様に平和的で長閑な声色と口調と態度を隠す事無く見せ付ける神。彼女の態度に対する疑問を口にすれども、しかしそこ迄深く考えていない事もまた容易に読み取れる程に全てを曝け出している様だった。
故に、先程アルピナが自身に対して打ち込んだ魔法に対して向ける称賛もまた同様に一切の取り繕いも噓偽りも無い素直な真実だという事も同時に読み取れる。創造主である神にとってアルピナは実子も同然だった。だからこそ、彼女の成長振りに対してはヒトの子でいう所の親心に近しいだけの感情を抱く事が出来るのだ。
次回、第242話は5/27公開予定です




