第237話:神と悪魔②
未だ成長の余地を残した童の様な稚さを残す可愛らしい声色と口調で語り掛けつつ、神はアルピナの眼前に躍り出る。宛らクィクィを彷彿とさせる距離感の近さだが、しかし彼女と同じく不快感を感じさせない絶妙な距離感だけは保っている。万物の頂点に君臨する唯一絶対の存在だけあり、そういった細かな点に至る迄が一級品の格を持っている様だった。
しかし、かといってアルピナとしてはそんな神の態度に特別何か感情を揺さ振られる事は無い。神は神でありそれ以外の何者でも無いのだ。何より神は彼女にとって生みの親でもある。寧ろ特別な感情を抱く方が却って気味悪いだろう。
故に、アルピナは普段と変わらない傲岸不遜な態度を神に対しても向ける。人間社会に於ける最低限の規則を基準にすれば即刻不敬罪で処刑されても文句は言えないだろう。しかし同時に、実の親に対して態々《わざわざ》そこ迄畏まる必要は無い、という前提が浮上する事でその罪を打ち消してくれる。果たして何方の意見を優先するべきかは当事者たる神のみぞ知るものだろう。
幸いにして、神はアルピナの態度に対して兎や角文句を言う事は無い。それは神自身そこ迄気にしないというのもあるが、物腰低く畏まるアルピナの姿に違和感しかない上に彼女がそんな姿を晒す訳が無いと諦めていた為だった。或いは、実子とでもいうべき存在にそこ迄畏まらせる程に彼も非情では無かっただけかも知れない。
何れにせよ、神とアルピナの間には奇妙な雰囲気が流れる。絶対的な階級はアルピナよりも神の方が断然上なのは言う迄も無いが、それを感じさせない様な対等な雰囲気がそこにはあった。或いは、アルピナの方が上なのでは、と錯覚してしまいそうな程にアルピナの態度は傲岸不遜の極致だった。
「フッ、相変わらずの態度だな。まぁ良い、少々君に……いや、《《君達》》と言うべきか? この際何方でも構わないが、兎に角確認したい事がある。しかし、ワタシも少々時間に追われていてな。悪いが、手短に済まさせてもらおう」
腕を組み、アルピナは小柄で童顔なその稚い少年を見下ろす。女性として見ても比較的小柄な彼女にしてみれば、他者に面と向かって対面した時に見下ろす事が出来るというのは何とも珍しい機会だった。常日頃から他者を見上げる事ばかりしてきた身の上としては寧ろ違和感すら抱いてしまう程だった。
それに対抗する様に、神もまたアルピナを見上げる。鼻と鼻が触れ合う程に顔を近付け、互いの吐く息が艶やかしく絡み合う。非情で冷徹な殺伐とした視線と視線の交差に反する様に甘い雰囲気を漂わせるそれは、しかし双方にそんな意図は一欠片も無かった。
その時、アルピナは背後から不意に話し掛けられる。声色からして男性、それも壮年期から老年期へと移り変わろうとしている頃合いの年齢。非常に落ち着いた深みのあるバリトンボイスが彼女の背中を貫いてその魂を震わせる。
「何じゃ、お主が時間に追われるとは珍しいのう。して、確認したい事とな? お主の事じゃ、恐らくセツナエルの件と言った所かのう?」
それを受けてアルピナは思わず苦笑する。それは、一切の油断も慢心もしていないにも拘らず背後を容易に取られてしまった自分の不手際に対する嘲笑では無い。神を神足らしめるに相応しいだけの権能を間近で見せつけられた事に対する苦笑だった。
まったく、と息を零しつつアルピナは背後を振り返る。そこにはその声色と口調に似合う男性が立っており、鷲の様に鋭利な細い瞳でアルピナを無感情に睥睨していた。その瞳の中は先程迄アルピナが話していた少年と全く同じ金色に輝いており、彼もまた少年と同格である事を暗に示していた。
しかし、驚くべき事はそこでは無い。確かにアルピナの背後を彼女に一切気付かれる事無く容易に取った事自体は驚くべき手腕である事に相違無い。神の子の更に上に立つだけあって、その実力はそれに相応しいだけのものが確保されている。
では何がそれ程迄に驚くべき事なのか。それは、つい先程迄アルピナと話していた少年が、彼女が振り返って目を離した後に忽然とその姿を消した事。そして、アルピナの背後に立つその男性がアルピナが振り返ると同時に忽然と出現した事。さらに、その少年と男性の魂はその一欠片に至る迄が全くの同一であるという事だった。
つまり、少年と男性は同一の存在。同じ神なのは言わずもがな、二柱は異なる姿を有しつつ異なる場所に同時に存在している全くの別物。しかし、その二柱は全く以て別々の存在であると同時に全く以て同一且つ単一の存在でもあるのだ。
何が何やらさっぱり不明瞭なのは仕方無いだろう。それ程迄に神が有する権能というのは複雑であり不可思議なのだ。アルピナですら真相こそ細部に至る迄理解出来ているが、正確な理論迄はとてもでは無いが理解し切れていない程なのだ。
抑、神とは凡ゆる事象を並列させる不安定で不定形な存在である、と神の子達の間では極一般的な共通認識として捉えられている。それは知識として刻み込まれているのではなく、本能として生まれた時から既に刷り込まれているのだ。
つまり、神とは神の様でありつつ神の子の様でありつつヒトの子の様でもあり、人間の様でありつつ動物の様でもあり、男の様でありつつ女の様でもあり、老人の様でありつつ若人の様でありつつ童の様でもあり、物質生命体の様でありつつ精神生命体の様でありつつ概念的存在の様でもあり、単独の様でありつつ複数の様でありつつ存在しない様でもあり、眼前にいる様でありつつ横で肩を並べている様でありつつ背後に潜んでいる様でありつつ遠く離れた所にいる様でもあるのだ。
だからこそ、こうしてアルピナの正面に少年として存在しつつもその背後に壮年として存在する事が出来るのだ。或いはそう見えているだけでそこには存在していないのかも知れないし、将又別の場所にいるのかも知れない。或いはそれら全ての事象を同時に並列させているのかも知れない。
果たしてどれが正しい解釈なのかはアルピナにも断定する事は出来無いが、抑としてどれか一つの解に絞る事自体が誤りなのだ。全てを同時に並列存在させつつもその全てが存在しない事象である。それが神の権能であり神の本質なのだ。
故に、アルピナの魔眼ですらその二柱の神は別々の存在でありつつも同一の存在として映る。何とも気味の悪い光景だが、しかしこれもまた何時もの事なので今更如何という事は無い。面倒だな、と適当に吐き捨てつつ、或いは心の奥底で羨ましく思うだけだった。
それにしても、とアルピナは溜息と共に気持ちを切り替える。天地が逆転しようとも決して変わる事が無い不変の原理に不平不満を抱いている暇があったら、変えられる事を少しずつでも着実に変えていく方が生産的だろう。無駄な事は総じて不要だ、と唾棄する訳では無いが、時と場合と内容は最低限取捨選択する必要はあるのだ。
「相変わらず、君の神眼には敵いそうに無いな。いや、状況からしてそれ以外に理由が無いだけか?」
アルピナは、現状を取り巻く自身とセツナエルの対立構造を鼻で笑い飛ばす様にして嘲笑する。神の子ともあろう者が何時迄もそんなくだらない意地やプライドに固持していないで世の為ヒトの子の為に態度を改めるべきではないのか、と批判されそうなものだが、しかし原因が原因だけにそう簡単に洗い流す訳にはいかないのだ。
それに、この対立は決して意地やプライドによるものでは無い。アルピナがジルニアに向ける特別な感情や約束を何が何でも果たそうとする意気込みこそ意地やプライドそのものだろうが、それを生み出した直接的原因たる対立構造にそれは入り込んでいないのだ。
次回、第238話は5/23公開予定です




