第228話:神界への生き方
「まぁ、話を聞く限りではお前でも往復4日掛かる程みたいだからな。相当遠いんだろ?」
その距離は只の人間でしかないクオンでは想像する事すら出来兼ねる程。これ迄の旅路の中で得てきた神や神の子に関する正しい知識程度では、真っ当な予想すら正常に機能しなかった。兎に角果てしない程の距離なのだろうな、という事だけが朧気に脳裏に浮上するだけだった。
それでも、クオンは純粋な興味関心に基づいてその所在地を訪ねる。聞いた所で行く事は到底出来無いだろうし、抑行く機会すら無いだろう。その為、聞いた所で何ら意味は無いのだが、それでもついつい気になってしまうのだ。アルピナでさえ4日も地界を離れる必要があるというその果てしなさをその一端だけでも感じてみたかった。
そんなクオンの目的意識を汲み取ったのか、アルピナもそれに応える様に分かり易く教える。本来であれば適当に受け流してさっさと神界に行ってしまいたかったのだが、折角の機会という事もある。それに、状況的にそれ程急ぐ必要もなかった。その為、戦闘直後のちょっとした息抜きも兼ねた軽い雑談としての教授だった。
「あぁ。抑、一介のヒトの子でしかない君ではこの星から出る事すら不可能だ。相当な技術力があれば出来無くも無いだろうが、しかし人間が生身のままで星の外、即ち宇宙空間に出る事は身体構造上不可能だ。尤も、今の君なら龍魔力を全開にすれば1時間程度であれば宇宙空間でも生きられるとは思うがな。兎も角、裏を返せば人間とは精々その程度でしかないという事だ。その上、今の君程度の力では仮令全龍魔力を機動力の向上に回そうとも、地界の端に行くだけでも神界が創造されてから今日に至る迄の時間と同じだけの時間を要するだろう。更に、仮に地界を越えられたとしてもその先には龍脈があり、更にその先に広がる蒼穹を越え、その先に漸く神界は存在する。果たして何年掛かる事か想像も付かない上に、凡ゆる手段を用いて身体を保護しようともヒトの子の肉体では蒼穹の環境には耐えられない」
残念だがな、とでも言いたげな不敵な笑みをアルピナは零す。樽に腰掛けたまま両脚を組みつつ頬杖を突くその姿勢は、普段の彼女らしい傲岸不遜さが如実に表れた格好となっていた。漆黒色のミニスカートの下から覗く雪色の大腿が扇情的な輝きを映し出し、彼女が潜在的に持つ小柄な少女らしさも相まって独特な可憐さを醸し出している。
しかしそれと対極する様に、町の南方から吹き込む温暖な海風で煽られる彼女の肩に掛けられた季節外れな漆黒色のロングコートが男性的で冷徹な勇ましさを放つ。近寄る事すら憚られる様なその覇気は、ヒトの子が神界に到達する迄に受けなければならない凡ゆる困難を象徴しているかの様だった。
そんな威圧感に煽られる事で、クオンの脳裏には薄らな冷汗が滲出する。これ迄も、クオンは幾度と無くアルピナの覇気を間近で浴び続け、天使達と生死を賭けた殺り取りをし続けてきた。それにも拘らず、今こうしてアルピナから受け取る覇気はこれ迄とはまた性質や強さの次元が異なる様な感覚を含んでいるかの様だった。
それはつまり、神界へ到達する事がそれ程迄に困難であるという事。絶対に神界へ到達する事は不可能だ、と非言語的に教え諭している事を、クオンは頭では無く心で理解出来た。生身で神界へ赴く事は、正しくパンドラの箱を開けるが如き禁忌だという事なのだ。
それでも、行けないと分かったからこそ一度は行ってみたいという思いが自然と湧き上がってくるものなのだ。ダメと言われた事ほど却って興味を掻き立てられるカリギュラ効果の様に、その好奇心はクオンの魂を擽ってしまう。
それでも、クオンはグッと魂の奥底に押し留める。クオンは現在齢16にしてプレラハル王国ではそろそろ大人として扱われ始められる様な時期。一人前の大人とは言い切れない乍らも、かといって己の欲望に忠実で我慢する事を覚えられていない我儘な童では無いのだ。
しかし、そんなクオンの脳裏に思い至るのは一つの疑問。ラス・シャムラでアルピナと初めて出会った時の事やレインザードにセナ達悪魔やその他魔物達が降り立った時の事がふと脳裏に蘇り、その時にアルピナ達が挙って使用していた魔法を思い出した。
それは、空中に突如として出現した空間の罅割れの様なものとその奥から出現した黄昏色の渦。人間社会に遍く普及している一般常識の範疇から大きく逸脱したその超常現象は、今になっても印象深いもの。憖、それが初めて見た超常の力だというのだから尚の事だろう。
後々になってそれが地界と魔界を繋ぐ門だと聞かされる事で漸くその正体を認識したが、神界に行くならそれを使えば良いのではないか、という疑問が不意に思い至ったのだ。抑として人間でもあれを通れるのかは定かではないし、当時使用していたのは地界と魔界とを接続するものだった為に神界にも同様に接続出来るのかすらも知らないが、知らないからこそ生み出される単純かつ純粋な疑問だった。
「ラス・シャムラで初めてお前と会った時に何か黄昏色の渦みたいな奴から出てきたよな? それに、レインザードでもスクーデリアが魔界に行くとか言って同じ様な奴を開いてたし、セナとかエルバとかもそれから出てきた様な覚えもあるが……。あの渦みたいな奴を使えば神界に行く迄の時間を短縮したり、俺が神界に行ったりも出来ないのか?」
そういえば、と当時の事を思い出し乍らクオンは緩徐に言の葉を構築する。余り記憶力は良い方ではないが、しかし余りにも印象深かったお陰もあり良く覚えている。こうして龍魔力を自由自在に使える様になっても未だ同じ魔法——魔法か如何かは知らないが、悪魔達が使用しているのだからきっと魔法なのだろう——を構築する事は出来ていないが、あれを使えば或いは、とも考えてしまうのだ。
しかし、そんな淡い期待を容赦無く打ち砕くのはスクーデリアの声だった。女性型であり乍らクオンと大差無い高い身長を見せつける様に彼女は近場の壁に背中を預けて凭れ掛かり、柔和なウェーブを描きつつ腰に到達する程の鈍色の長髪を海風に乗せて優雅に靡かせる。狼の様に鋭利な不閉の魔眼を日輪の様に輝かせ、しかしその眼光は何処か残念がっているかの様だった。
これ迄に無いその物悲しさは、只単純にクオンの淡い期待を打ち砕いてしまった事に対する申し訳無さからくるものだけでは無かった。何方かと言えば、クオンが抱いたその期待が本当に出来たら良かったのに、という悲しみから生み出されていた。
それを見て、余り深い知識を持っていないクオンでもその理由が朧気乍ら予想出来た。しかし彼は、余計な口を挟む事無く黙然と大人しくスクーデリアからの返答を待つ。スクーデリアもまた、表情だけでクオンが朧気乍らも理解出来ている事に感心しつつ、それでも優しく且つ簡潔にその真実を明示する。
「残念だけれど、あれって同一世界内の三界同士しか繋げられないのよ。だから、龍脈や蒼穹に出たり世界に入るには毎回自力で行くしかないのよ。かといってそれも面倒だし、また暇になったら新しい魔法でも開発しようかしら?」
やれやれ、とばかりにスクーデリアは深い溜息を零す。これ迄に余り見た事が無い様な彼女の態度を見るに、相当面倒なのだろう。天魔の理に縛られない神の子の本当の力を知らないが、それでもこれ程の面倒具合を見せつけられるとその果てしなさにクオンは呆然としてしまう。同時に、人間の常識が通用する世界というのが想像以上に狭い事を嫌という程に痛感させられてしまう。
次回、大229話は5/14公開予定です。




