第227話:神話と現実の乖離
尤も、アルピナ達としては聞かれても適当にはぐらかす予定だった。その為、それを聞いた所で未来が変わる訳では無かった。それでも、何か些細な心理的側面には変化があったかも知れない。そして、それが軈てバタフライエフェクトとなって未来に対する大きな変化軸としての作用を持つ事になるかも知れない。
しかし、歴史にタラレバは禁忌である。故に、これ以上の追求は何一つとして価値を持たない単なる妄想の域へと突入してしまう事になるだろう。だからこそ、クオンは改めて神と神界に視点を定めつつアルピナ達に対してそれと無く尋ねるのだった。
「神界に神か……。改めて、お前らが人間の枠組みから逸脱した存在なのを実感するな。というか、神界が何処にあるのか知らないし抑神がどんな役割を持ってるのかすら知らないが、何で態々《わざわざ》そんな所に迄行って神と話す必要があるんだ?」
首を傾げつつ尋ねるそれは、クオンの脳裏に渦巻く深い疑問符の根幹を成す疑問。人間社会で育まれる極一般的な価値観の範疇では到底分かり兼ねる難問だった。尤も、クオンは大して宗教に敬虔ではない為にその方面に関してはそれ程明るい訳でも無いのだが。
抑、神話の中で語られている各種上位種族とアルピナを始めとする実在する神の子とでは、その内容は大きく乖離してしまっている。それこそ、名前と立場を同じにするだけの別物と言っても差し支えない程に異なっているのだ。
例えば、神話に於ける悪魔の役割は災厄と悪意の象徴。人間の心の中に巣食う邪な感情や各地で時折発生する凡ゆる自然災害を具現化した象徴としての存在こそが即ち悪魔であり、魂の管理などという崇高な職務とは何ら関係が無いのだ。
その他天使だって悪魔の抑止力としての立場にしかなく、何方かと言えば武力で世の中に混乱を来たそうとする悪魔を止める側の存在である。そして龍に関しては抑として真面に登場すらしない。神話とは直接的な関係を持たない創作に登場する多数の空想上の生物の中で一番有名な名前、といった解釈で十分な程でしかない。
そして何より、肝心の神に関しても神話の中では最初の方にしか登場しない。この世に存在する森羅万象——或いは、この世そのものといった方が良いかも知れない——を創造し、その後如何なったのかをクオンは知らなかった。確か具体的に記述されていなかった様な気がする、と朧気乍らに記憶しているが、全然自信は無い。若しかしたら詳細な記述があるのかも知れないが、態々《わざわざ》確認するのも億劫だった。
つまり、これ迄のアルピナ達との旅路を考えれば神話が大して当てにならないのは明々白々だった。その為、今更神話を確認して神に関する知識を得た所で完全な徒労でしかない。態々《わざわざ》そんな事をしなくても、本人が目の前にいるのだから、直截聞いた方が何倍も手っ取り早いのだ。
そして、アルピナ達としてもそんな事は当然の事乍ら把握済み。現在の人間社会が獲得している凡ゆる知識は、暇な時間を見つけて学習していたのだ。それこそ、適当な本を見繕って読み漁ったり手頃な人間の記憶を盗み見たり、とその方法に関して列挙すれば非常に豊富だった。
勿論その中には実に悪魔らしい強引且つ違法な手段も含まれていたが、抑人間社会の法律を神の子に適応する事は出来ないのだから今更それを咎める必要は無いだろう。というか、彼我の格差を考慮すれば強引に適応させた所で罰する事は到底出来ないだろう。
兎も角、そうして彼女達は人間社会に関してそれなりに知悉しているのだ。神話に関しての知識もその際に併せて獲得したものであり、その余りの荒唐無稽具合には乾いた笑いすら零れる事は無かった。一体どんな解釈をすればこんな神話に帰結したのだろうか、と却って興味関心が唆られてしまう。
それでも、如何にか理性でそんな個人的な好奇心を押し留める事で彼女達はクオンの疑問に対して正直に向き合うのだった。どの道、英雄達が来る迄やる事も無いのだ。偶にはのんびり会話に花咲かせるのも悪くないだろう。尤も、神に関して取り分けて説明が必要な事項は無いのが現実だったりするのだが。
確かに、神話に於ける神は創造以降の役割が全く記述されていない。しかし、実際の神も大して変わらない。天使や悪魔や龍に関しては現実と神話で大きく乖離しているにも拘らず、不思議と神に関しては現実と神話でそれ程大きな差異は無いのだ。
尚、細部を見れば当然の事乍ら結構な部分で差異が見受けられる。しかしそれでも、大枠に関しては殆ど合っているのだから大したものだろう。尤も、それは神の事を理解した上で正しく記述された訳では無く、何も書かなかったら現実と適合してしまっただけという偶然の産物でしかないのだが。
勿論、そんな過去の出来事を客観的に保証出来る証拠や根拠など存在しない。それに、それを知った所で神の子の実在性がゼロの人間が素直に認めるとは思えないし、認めた所で何か良い事や褒美がある訳でも無い。故に、アルピナ達悪魔もクオン達人間も肩肘張って話そうとは思わなかった。
「過去の神龍大戦然り今回の天魔大戦然り、事情が事情だけに神の耳にも触れさせておくべきだろう。尤も、既に認識しているだろうがな。それに、ワタシの個人的な事情もある。そういう訳でクオン、君はお留守番だ。本音としては君の側から極力離れたくないが、かといって君を神界に連れて行く訳にもいかない」
悪いな、とでも言いたげな視線を送るアルピナ。猫の様な蒼玉色の瞳が一心にクオンの琥珀色の瞳を見つめ、言葉の裏に隠された非言語的な紐帯を構築する。それを受けたクオンは不可思議で奇妙な感覚を覚えたが、しかし悪い気はしなかった。一体彼女がその紐帯を介して何を伝えたかったのかはクオン自身理解出来なかったが、きっと悪い事ではないだろう。
また、アルピナとしてもそれを理解されるとは思っていなかったし、抑理解出来ない様に念入りに覆い隠した上での仕草だった。態々《わざわざ》そんな事をする位なら初めからしなければ良いのに、とも思ってしまうが、如何してもそれをしたくて堪らなかった。未だ話す訳にはいかない為に頑張って理性で抑えてはいるが、それでも、というちょっとした欲望による行動だった。
また、そんなアルピナの思いを汲み取るかの様に彼女達の傍らではスクーデリアが柔和で妖艶な微笑みを零し、クィクィが悪戯色の稚い笑顔を浮かべていた。何方もアルピナが保有している秘密と情を知悉しており、その為にこうして龍魂の欠片を集める旅に協力しているのだ。だからこそ、とも言える反応だった。
同時に、彼女達と同じ様にアルピナとクオンの紐帯を眺めていた栗毛の少年も似た様な気分を抱く。スクーデリア達と異なりその深い内容は知らないし、抑神の子などという存在についても未だ納得出来兼ねているが、それでも朧気乍らその紐帯から零れる温かみだけは感じ取る事が出来た。
何より、それ以外にも複雑且つ奇妙な感覚を覚えたのだ。言葉に表すのも難しいが、まるで懐かしさに似た感情が心の奥底からフツフツと湧き上がってくるのだ。失われた筈の記憶がそれに作用しているのか頭痛も微かに生じ始め、一体如何いう事だろう、と、ばかりに疑問符を頭上に浮かべる。
そんな少年の違和感に気付く事も無く、アルピナとクオンはその視線の結び付きを解く。改めて普段通りの態度を取り戻すと、ややあってクオンは徐に口を開く。肩の力を抜いて溜息を零す様に紡がれるそれは、いわば諦観の境地。アルピナが言うのなら仕方無い、とばかりに紡がれる言の葉は、決して不機嫌さの欠片も込められていなかった。
次回、大228話は5/13公開予定です。




