第221話:動向の共有
『ルルシエか? 問題ない。丁度今、手が空いた所だ。尤も、精神感応程度なら戦い乍らでも問題無く出来るがな。兎も角、君の方から態々連絡してきたという事は君達の方で何らかの動きがあったという事だろう? 大方、英雄を此方に派遣するとでもいった所か?』
大胆不敵で冷徹な微笑みを浮かべるアルピナは、精神感応越しにルルシエの目的を推察する。距離が離れている為に読心術は使用出来ないが、しかし全く以て何一つ分からない訳でも無い。現在の社会情勢や目的意識、そして其々の立場は役割から生み出される思考のピースを組み合わせる事により、ある程度なら予想出来る。
それだけ聞けば、何とも簡単そうに感じてしまうもの。しかし、そんな感想に反して思いの外他者の動向を読むのは難しかったりする。すぐ間近で生活を共にする血の繋がった親類同士であったとしてもそうであるのだから、遠く離れた地に暮らすほぼ初対面の他人が相手なら尚の事困難を極めるだろう。
それにも拘らず、アルピナの予測はほぼ完璧に人間側の動向を正確に穿いていた。限られた知識及び認識と培われた経験、そして何より種族として持って生まれた類まれな知能がそれを可能にしていたのだった。
しかし、それはある意味では当然とも言える思考の終着駅かも知れない。人間対魔王という戦いに於ける当事者としての立場、そして天使対悪魔という抗争に於ける当事者としての立場、そして龍魂の欠片を探し求める旅路の当事者としての立場。それら全てを主観的に認識している立場に彼女は立っているのだ。それが織り成す相互作用を含む全ての事象を包括的に把握出来る立場ならではの知見の深さだろう。
しかし、アルピナはそれを態々自慢したり鼻高々に傲慢さを曝け出したりする様な愚行はしない。寧ろ、その程度なら誰でも気付ける事だろう、とばかりに冷めた瞳で全てを洗い流していた。或いは、面白みが無いとばかりに全てを鼻で笑っているのかも知れなかった。前者と後者の果たして何方がより正解に近いのかは彼女自身認識していなかったし大して興味も無かった。
事実、同じ悪魔であるスクーデリアやクィクィは当然としてクオンもまた同じ様に考えていた。一介の人間であるが故に知能面ではアルピナ達には一歩劣るものの、しかし当事者としての立場だけは同レベルで確保されているお陰だった。
だからこそクオンもスクーデリアもクィクィも、アルピナの動向に対して穏やか且つ信頼厚い相好で見つめる。横から口を挟まなくても全て丸投げしてしまえばいいや、という雑な思考で全てを放棄し、ルルシエとの精神感応に対して完全な聞き役に徹する事に決め込むのだった。
尚、アルピナとしてもそれは完全に織り込み済みだった。話に混ざって来ても別に困りはしないし好きな様にしてもらって構わなかったが、きっとこうなるだろうと心の奥底でそれと無く確信めいた予測を抱いていた。だからこそ、聞き役に徹する様に肩の力を抜く彼女達を横目に放ったらかしにしつつアルピナは改めてルルシエとの精神感応に意識を引き戻すのだった。
『えへへっ、流石は悪魔公アルピナ。良く分かったね』
満面の笑みが容易に脳裏に思い浮かぶ様な天真爛漫且つ明朗快活な声色と口調がそれを受けるアルピナの脳裏に響く。何処か胸焼けする様な平和的且つ朗らかなそれは、しかしある意味では温かみのある心地良さもまた併せ含んでいる様だった。無意識の内に微か乍らも笑みが零れ、しかしそれを知覚すると刹那程の時間差で普段の冷徹で無感情な相好へと引き戻す。
そしてそれと同時に彼女の脳裏に浮上するのは微かな苛立ち。それも本気で怒っている訳では無い遊びとしての怒り。或いは、悪戯色の遊び心として彼女の心を少しばかり翻弄してやろうという邪な思いだった。
『ほぅ、嫌味か? 何やら嘲笑された様な気もするが……』
そんな感情をそのまま実行に移す様に、アルピナは精神感応に自身の冷徹な声色を乗せる。宛ら憎たらしい天使と相対している時の様な緊張感を含むそれは、とても親しい仲間に対して向ける様な代物では無かった。
何より、それは聞き役に徹して無言を貫くクオンの心にも緊張感を齎す程の覇気を内包していた。これ迄の決して長くはないもののそれなりの長さが確保されていた旅路の中で、彼女の事はある程度知ってきた積もりだった。
それにも拘らず、これだけの恐怖を伴う威圧感を感じさせられるのだ。それは、嘗てのカルス・アムラにて龍王アルフレッドに対して向けた憤怒の感情とはまた異なる恐怖の色。当時の様な感情に身を任せただけの暴走では無く知的な冷静さを保っているお陰もあって、却って別方向への恐ろしさを感じてしまう。しかし一方で、相変わらず彼女の得体の知れ無さと勝手気ままな遊び心には辟易とさせられてしまう。
そんなクオンの気持ち等お構い無しなアルピナの態度に対して、しかしルルシエは一切臆する事は無い。同じ悪魔とは雖もほぼ面識は無いし、何より階級が圧倒的な迄に異なる。片や全悪魔でただ一柱のみ存在する公爵級悪魔、片や全悪魔の中で最も下の階級にある男爵級悪魔、その中でも第二次神龍大戦終結後に爆発的に生まれた新生悪魔である。
種族的に階級を重要視しないとは雖も、その二つの階級の差は余りにも大きい。本来ならフランクに話す事は到底憚られても何ら不思議では無いだろう。事実、階級の差を重視する天使ではこうはいかなかっただろう事は容易に想像が出来る。
だからこそ、アルピナの短くも覇気の込められた反論に対してルルシエは変わらない笑顔を浮かべる。クィクィに似た稚い天真爛漫な子供の様な屈託の無い笑声が精神感応に乗せられてアルピナの脳裏に響き、それは不思議とアルピナの羞恥心を抉るのだった。
『ハハハッ。まさか、そんな訳無いじゃん。こう見えてアルピナの事はすっごい信頼してるんだから。本当だよ? ……まぁ、そんな話は置いておくとしてさ、私達としても色々分からない事があって色々聞きたいんだけど、一先ずのこっちの予定も伝えとこうかなと思ったんだ。その方がそっちとしても色々予定が立て易いでしょ?』
まったく、とアルピナはルルシエから齎される精神感応に対して微笑を浮かべる。対面ではない故にその顔色を伝える事は出来無いが、態々伝える迄も無い事だと断じて放置する事を決め込む。そしてその背後では同時進行的に彼女の言葉に対して感心とも称賛とも取れる感想を紡ぐ。
相変わらず気が利くな。やはり、この子をアルバートの支援役に選出したのは間違いでは無かったな。この調子で、今後ともアルバート達を上手く支援してくれると此方としても色々と助かりそうだな。
その感想は、彼女の本心のみで構成された純粋な感想。しかし一方で、それはルルシエへと届く事は無い。アルピナのみが知覚出来る深層心理の中でのみ完結されたそれは、例え如何なる者であろうとも覗く事を許されない神聖不可侵な領域へと収納されるのだった。
しかし、彼女の幼馴染であるスクーデリアだけは朧気乍らもその想いを認識する事が出来た。長い付き合い故に育まれた、宛ら運命共同体と言っても差し支えない程の深く強い信頼の紐帯がそれを可能にしていたのだ。
だからこそ、スクーデリアは独りアルピナの深層心理に対して温かな視線を送る。表向きではアルピナとルルシエの精神感応を聞きつつも、しかしその裏では彼女達二柱だけの特別な空間を構築してその甘美なひと時を楽しんでいたのだ。
次回、第222話は5/7公開予定です。




