第216話:引け目
故に、彼女自身でさえも自覚出来無い様な深層心理の中でアルピナに対する特別な感情が着実に形成されていたのだ。それによって齎されるアルピナに対する独占欲が彼女の思考に茨の冠を被せる事となってしまったのだ。
しかし、スクーデリアはその感情を表立って表出する事は無い。胸が苦しくなる程に重く圧し掛かる感情だったが、しかし如何してもそれは出来なかった。普段の知的で冷静な態度を崩したくないという思い出がある訳では無く、ただ単純に出来なかった。理由は彼女自身にもわからなかったが、どうしても出来なかったらしい。
それでも、如何にかして彼女は言葉を紡ぎ出す。怒らせるわけでも無ければ気味悪がらせる訳でも無く、単純に彼女自身の感情をそのまま素直に言の葉に乗せる。静かに冷静に、普段の知的な雰囲気を崩さないのは流石だが、その上でクィクィと悪戯色の微笑みを忘れなかった。
それは、氷の女王の様に冷たくも幼馴染としての温かみを併せ含む悪魔らしい笑顔。これまでもこれからも変わる事が無い彼女の本質そのものだった。そんな微笑を絶やす事無く浮かべたまま、スクーデリアはアルピナを見つめる。高い身長から見下ろすその視線は、同時に母親の様な抱擁感もまた感じさせてくれた。
「相変わらずクィクィには頭が上がらないわね、貴女」
フフッ、と声に出す彼女の瞳は不閉の魔眼によって金色に染められており、まるで月輪の様に艶やかしい眼光を放っている。宛ら狼を彷彿とさせるそれに射すくめられ、アルピナは無性に背筋が凍り付く様な感覚を味わってしまう。
アルピナですらそれを感じてしまうのだから、それはただの人間なら容易に失神させられてしまう事は確実。或いは、下手な神の子でも耐えられない程の強力な殺気を孕んでいるのだろう。とても平時とは思えない程の緊張感がその二柱の間に紡がれていた。
クオンも少年も、その間に割って入る事は出来ない。少年は兎も角としてクオンでさえ入れないというのは相当だろう。彼は契約によって魔力を授かった上に今や龍脈すら扱う事で中位三隊の天使相手ですら勝てる程度の力を秘めているのだ。しかし、そんな彼ですら耐えられないのだ。一体どれだけ果てしない程の力を秘めているのだろうか。
改めて、アルピナやスクーデリアとの間にある圧倒的な迄の実力の乖離を知らしめられる。只の人間ではどれだけ努力を重ねても到底敵わないだろう事が嫌という程に実感させられてしまった。それ処か仮令天使や悪魔の助力を得ても相当の運や好意が無いと不可能だろう。それ程には、理不尽だった。
また、その思いを抱いているのは何もクオンだけでは無かった。彼女達のすぐそばでつい先程迄アルピナに対してちょっかい掛けていたクィクィですらも若干の恐怖を感じてしまっていた。汗腺が無い為に汗をかく事は無いが、それでも額には冷汗が浮かんでいる様な気がしてしまう始末だった。
確かにクィクィはアルピナやスクーデリアとは事実上の幼馴染賭して扱われている。草創の108柱同士であるアルピナとスクーデリアが幼馴染なのは当然の事でもあるが、しかしクィクィは草創の108柱ではない。他の悪魔と同じく生命の樹から生まれた悪魔の一欠片であり、特別な出自や経歴などは存在しない。
それでも、只単純なる才能と愛嬌だけで彼女達草創期の神の子と対等以上の関係性を育んでいるのだ。8倍以上も長く離れた年の差を全くもって感じさせない親密さは、彼女自身の力によって勝ち取られた成果なのだ。つまり、単純にクィクィの実力は彼女達草創期の悪魔と同等以上のものを持っていると考えて良いだろう。
それにも拘らず、結果はこの様なのだ。アルピナやスクーデリアの事を生まれた時からずっとそばで見て聞いて受け続けてきた彼女ですら、これだけの尻込みを強いられてしまう程の力がこの瞬間に込められているのだ。
決して殺気が込められているのではなく、ただ妖艶な悪戯心しか込められていないにも拘らずこれだけの力が内包されている。それは普通に過剰な力だと言ってしまいたくなる。実際過剰であり、今この場に於いては一切の威圧感など必要ないはずだった。
それでも、彼女はその悪戯色の艶やかしい顔色にはそれをこめたかった。周囲でこれを探知している人達には申し訳ないだろうが、それでもそれだけは譲れなかった。子供っぽいとけなされるかも知れなかったが、偶にはこういった利己的な行動をしても許されるだろう。ただその一心だった。
しかし、アルピナはそんなスクーデリアの恐ろしいまでの悪戯心に対して一切臆する事は無かった。平然とこれ迄通りの冷徹で傲岸不遜な顔色を崩す事無く、その上でこれ迄通りの威風堂々とした傲慢な態度を崩す事は無かった。それでいて、同時に彼女の少女らしい可愛らしさをふんだんに活用した顔立ちもまた前面に押し出されていた。
それでも、彼女の相好は何処かバツが悪い様にも見受けられた。頬を微かに紅潮させて恥じらいの感情を露わにさせるその仕草は、普段の彼女らしさからは丁度対極に位置しているもの。どちらかと言えばクィクィとかルルシエとかがするに相応しい仕草だった。
勿論、それが似合っていないと言いたい訳では無い。らしくない、と嘲笑したい訳でもない。只単純に物珍しげに感じるだけであり、そこには一切の悪意は込められていない。尤も、純粋な興味関心に基づくその感情は、しかし当然かも知れなかった。
クオンはそんな彼女の横顔を一瞥して一瞬だけ虚を突かれたような反応を浮かべそうになる。別に笑い飛ばす積もりは無かったしそんな感情は抑として浮かんでこなかったが、それでも違和感だけは本物だった。スクーデリア達ほど付き合いが長くなくても理解出来る程に、その仕草が彼女らしく無いのは重々承知だった。
そして、クオンでさえそうなのだからスクーデリアやクィクィがそれと同様無いし類似した感情を抱かない筈が無い。人間どころかヒトの子ですら到底経験する事が出来ない程の悠久の時間を共に生きてきただけに、彼女をの事は誰よりも理解している自負はある。それ処か、我が身のもう半身と言っても差し支えない程には同等のものとして認識している程だ。
だからこそ、彼女達は揃ってクオン以上に虚を突かれた様な顔色をアルピナに対して向けざるを得なかった。どれだけ強力な理性であっても到底止める事すら敵わない程に圧倒的な本能に基いてその行動は表面化され、まるで死人と再会したかの様な奇抜な顔色を向けてしまう事になったのだ。
そして同時に
感じるのは、彼女の外見通りの可愛らしさ。普段の冷徹で傲岸不遜で傲慢で威風堂々とした態度でさえも十分感じていたが、しかしそれ以上の代物だった。磨かれていない宝石の原石の様に、そこには更なる秘めた輝きがあったことを彼女達は痛感させられるのだった。
次回、第217話は5/2 21時頃公開予定です。




