第215話:独占欲
それ絶対恨みがあるだろう、と思わず突っ込みたくなるクオンだったが、しかし余計な事をして面倒事に巻き込まれたくない一心で口を噤む。過去に一体何があったのかを正確に知らない立場として余り口を挟むべきではないし、出来もしない。当事者だけの思い出は当事者の心の中にしか理解されないのだ。
それでも、ここ迄の旅路で常に寝食及びその他全てに於いて片時も離れる事無く傍にいた事もあって朧気乍らその要因に想像が付く。アルピナが責められるからにはこれ以外には無いだろう、と自信を持って抱く事が出来る程の予測は、それこそアルバートでも思わず納得出来るものだった。
それ程迄に、彼女の傲岸不遜で傲慢な言動というのは彼女を体現する象徴の様なものだった。仮令彼女の事を欠片程度にしか知らなかったとしても、一度それを認識すれば脳裏にこびり付いて剥がれなくなる程には分かり易いし印象に残り易い。
クオンやアルバートといった精々数日からひと月程度の付き合いしか無い人間種であろうともそれだけの認識を抱けるのだから、彼女と幾星霜にも亘り行動を共にしてきた幼馴染達ならその感情は一入だろう。首が取れる程に全力で首肯したくなる程に、その思いは根強く魂に絡みついていた。
それは遥か昔、未だ世界が生み出されるより以前から繰り返されてきたアルピナの勝手気ままな行動の数々。本人の認識としては決して暴動とは呼べない遊び程度のものでしかなかったが、それによって齎された周囲への被害は計り知れない。
スクーデリアもクィクィも何度それに振り回された事だろうか。取り分けアルピナとジルニアのくだらない戦闘行為のお陰でどれだけの苦労を強いられた事だろうか。それを覚えているからこそ、偶にはちょっとした仕返しをしても許されるだろう。気心知れた幼馴染相手だからこそ見せられる悪戯色の遊び心だった。
何より、アルピナ自身がそれを十分に自覚している。贖罪を果たしたり強い罪悪感に身を窶す事こそ無かったものの、それ相応の申し訳無さ程度は持っている。そのお陰もあって彼女はスクーデリアとクィクィに対して頭が上がらないのであり、それを利用すれば幾らでも仕返しも出来る。
尚、他者の弱みに付け込んで横暴を働くのは下衆の極みかも知れない。しかし、スクーデリア達はそれをしても許される程度にはアルピナ達に苦労を掛けられたのだ。きっと許してくれるし、仮令そうで無くても許させれば良い。スクーデリアもクィクィも、共通する思いを抱く事で彼女達の悪魔らしさがより一層強調されるのだった。
そんな様を一瞥しつつ、クオンは額に冷汗を滲出させ乍ら彼は固い唾液を頑張って飲み込んだ。つい先程迄天使と戦っていたとは思えない程に平和的なやり取りでしかないが、相変らずのその豹変振りには毎度の事乍ら胸焼けがしてしまいそうだった。
しかし、それは人間として産まれて人間として生きてきたクオンだからこその価値観なのかも知れない。彼女達は悪魔であり、人間である彼とは異なる文化文明の中で生きて来た。その乖離がそのまま認識の差異に反映される事によって、如何しても理解し難い価値観を生じているのだろう。
何れにせよ、彼女達にはこれが普通の事であり何時もの事なのだ。種族が違うからこそ生じるこの差異にたった一つの正解というものは存在せず、双方の価値観によって幾らでも道は生み出されるのだ。故に、それをやり玉に挙げて批判するのは完全なお門違いという事になるだろう。
クオンは一人心中で不必要な心配や気苦労を水に流す。アルピナ達悪魔に振り回されるのは何時もの事なので、ここ最近はそれなりに受け流せる様になってきた様な気がする。それでもイマイチ自信は無かったが、出会った当初の様に一挙手一投足全てに対して逐一反応したり振り回されたりする事が無くなったのは事実だった。
そんなクオンを横目に放置しつつ、クィクィはアルピナの言葉に対して微かに反応する。元々アルピナとしては単なる独り言の積もりで呟いただけだったので、態々反応する必要は無い。クィクィに聞いて欲しかった訳では無く、唯々《ただただ》感情に任せて自然に言葉が漏れ出ただけだった。
クィクィもまた同様に、アルピナのそれが単なる独り言なのは十分理解出来ていた。面と向かって直接投げつけて来るのではなく、只感情が言語化される事によって零出されただけなのは、声色と口調から容易に察せられた。別に悪魔だからという訳では無く、誰が見ても容易に判別出来る様な分かり易い姿だった。
その為、別に悪戯色の感情に身を任せるままアルピナの事を無視しても良かった。放置プレイでアルピナを揶揄ってやろうという方向性に舵を切る事だって出来た。それでも、敢えてクィクィはアルピナの言葉に反応する。無視による仕返しではなく、無邪気であり乍らも無感情な威圧によって立場を分からせてやろうという意図を存分に孕んでいた。
「何か言った、アルピナお姉ちゃん?」
稚くもあり可愛らしくもありそして同時に悪魔らしい冷徹さもまた同時に併せ含む彼女の無感情な笑顔と口調によって紡がれる言の葉は、氷よりも冷たい感情を醸し出している。隣に立っているだけで体感気温が数度下がったかと錯覚してしまう程のそれは、純粋な人間種では絶対に出せないだろう。
傍から見れば小柄な10代後半の少女同士が仲睦まじさに花開かせているだけにしか見えないが、とてもそんな牧歌的な光景にはなり得なかった。それはまさしく悪戯色の殺気と茶番の挑発が織り成す不穏な影。しかし、そうであり乍らも不思議と負の感情の色は何処にも見えてない。寧ろ普段以上に強固且つ複雑に絡み合った信頼の紐帯が可視化される程だった。
それこそが、ヒトの子の寿命では到底体験でき兼ねる時の単位によって形成された心と心の結びつき。憖アルピナとクィクィの性格が似通っているお陰もあって強化された友情による紐帯だった。それは、仮令如何なる事情であっても邪魔される事は無いと二柱揃って断言出来る程に強固であり、神聖不可侵な領域へと昇華されている。
しかし、その二柱の姿は彼女達の幼馴染であるスクーデリアには特別な感情の色として映る。確かに、その光景が戦いを忘れさせてくれる程に平和的でありつつも常日頃から虎視眈々と狙っていた仕返しとしての行動だったのは事実である。だが、それ以外にも彼女だけが抱く彼女なりの特別な個人的感情だった。
本来、悪魔に限らず神の子は一個体に対する特別な個人的感情を抱く事は基本的に無いが、かといって全く以て抱く事が出来ない訳では無い。理論的に解明されている訳では無いが、スクーデリアは経験上それを朧気乍ら知覚している。そんな彼女自身が、眼前で織りなしているアルピナとクィクィに対して彼女なりの感情を抱いていたのだ。
それは、アルピナとジルニアの仲睦まじい様子を見ている時に感じるそれとかなり近い感情。それでいて、何処か異なる様にも感じられる感情の色。即ち、ただ単純なる嫉妬心である。二柱の仲睦まじい様子に触発される事により、彼女の魂の中では微笑ましさを飛び越えた先にある嫉妬心の導火線に火が付いてしまっていた。
尚、それは自分もその輪に混ざりたいという疎外感によって齎されるものではない。仮にそうであったら単純に会話に混ざれば解決する話。それにも拘らず一歩離れた場所から見守っているのは、彼女の魂に燻る感情の出所がそれではないという事。
では、彼女の魂にある感情の由来は果たして何か。それは疎外感ともう一つ存在する嫉妬心の火種。即ち、独占欲。抑、クィクィと異なりスクーデリアはアルピナとほぼ同時期に生まれた正真正銘の幼馴染である。その事実によって土台される自負は非常に強固であり非常に面倒臭い程に複雑だった。
次回、第216話は5/1 21時頃公開予定です。




