第212話:合流
【輝皇暦1657年7月10日 プレラハル王国 ベリーズ】
「もうっ! 遅いよ、アルピナお姉ちゃん!」
両腰に手を当てつつ、クィクィは頬を膨らませて憤慨する。しかし、その相好に反して声色は普段の彼女と何ら変わらない。稚さに染まる彼女の可愛らしさが全面に押し出されており、本気で怒っている訳では無い事は誰の目にも明白だった。異性なら思わず頬を染めてしまう様な可愛さを前面に押し出すその仕草は、仮令同性であったとしても何時何度見ても飽きないものだった。
それでもやはり、彼女は正真正銘の悪魔である。それも、上から数えた方が早い程には古く偉大な悪魔。故に、可愛らしく人畜無害な姿の裏にも彼女が保持する威厳や品格に相応しいだけの冷徹な空気感だけはしっかりと残存していた。
それこそ、彼女の本質を知らない者からすれば異様にも感じられる程の得体の知れない恐怖は、しかしそれを認識して尚その出所が分からなかった。一体、如何してこんな小柄で明朗快活な少女からこれ程迄に強い殺気を感じるのだろうか、と訝しがらずにはいられなかった。
しかし、現在そんな怒りを受けている当人であるアルピナもまた彼女と同じく正真正銘の悪魔。それも彼女より更に古く偉大な悪魔であり、彼女の事は生まれた時から知っている。その為、仮令どれだけ冷徹な恐怖や死の香りを向けられようとも何ら影響を受けない。まるで死神が喉元に不可視の鎌を突き付けている様な冷徹な空気感にも拘らず、それは日常の一コマとして容易く処理されてしまうのだ。
尚、そんな空気感を彼女達二柱は大して隠す事無く曝け出していたが、しかし周囲の者達はそれに気を配る事は無い。恐怖に慄く事も無ければ得体の知れない感情に身を強張らせる事も無かった。まるで彼女達の事など目に入っていないかの様に、彼女達の存在は人混みの中にあって空気の様に透明だった。
それは単純に、彼女達の魂に掛けられた魔法が彼女達の存在を秘匿している為。どれだけ暴れようともどれだけ不穏な色を覗かせようとも、その魔法が掛けられている限りに於いて彼女達の存在は単なる一般人と同一のものとして処理される。阻害された認識の埋め合わせをする様に与えられる仮初の人格だけを認識する彼ら彼女らは、その事実に対して疑問を抱く事は無かったのだ。
そしてそれ以外にも、只々《ただただ》そんな事をしていられる心理的余裕が無かったというのも大きいだろう。つい先程迄突発的に発生していた謎の災害を受けて、彼らベリーズの民草は周囲に蔓延る些末事に目を向けていられる余裕が無かったのだ。
その災害とは、即ちレムリエル達とアルピナ達により行われた天使と悪魔の抗争。記憶を失った少年を巡るその対立の余波によって破壊された町並みに対する嘆きを前に、アルピナ達の存在は彼らの目には止まらなかったのだ。彼らはただ只管に自分達へ降りかかった損害だけに着目する事しか出来なかった
では、一体何を原因としてこの様な災害は発生したのか。何時、如何すれば自分達は元の生活に戻れるのだろうか。崩れ去った自宅を前に膝を付く人間達の慟哭は、その原因も展望も認識出来ていなかった。訳も分からず困惑し、どん底の暗闇から明日を生きる方法を模索する気力を如何にか探し出す事しか出来なかった。
しかし、被害の直接的原因であるアルピナやクィクィにその思いは伝わらない。可哀想だな、とは思うが、だからと言って特別何か補填がある訳では無いしする積もりも無い。人間が自然には到底勝ち目が無い様に、今回の件も仕方無かったという事で諦めてもらう事しか出来なかった。神の子とヒトの子という根本的な差の前ではそれも仕方無いだろう。命があるだけでも有り難いと思って各自頑張ってもらうしかないのだ。
そんな彼ら人間の感情の奔流に掻き消されない様に、アルピナは冷徹且つ可憐な笑みを浮かべてクィクィを見つめ返す。クィクィもそうだが、アルピナも彼女と殆ど変わらない程には小柄。154cmという身長は、この星に生きる女性型人間種の平均身長で換算すると凡そ13歳程度だろうか。しかし、身体付きや顔立ちを考慮するとやや小柄な18歳前後だろうか。そのお陰もあって、彼女達をよく知るクオンやスクーデリアから見ても一見して子供同士のくだらないじゃれ合いの様にしか見えない。
実際、町に滞在していると彼女達が子供に間違われている場面は時折遭遇する。故に改めて彼女達を見ると、一体何処からこれだけの覇気を出しているのかクオンですら疑問に思ってしまうのだった。憖彼女達と寝食を共にして普段の彼女達を知っているだけあって、余計にその感情を抱いてしまうのだ。
しかし、クオンは敢えてそれを口には出さなかった。うっかり口に出してしまったら感情の矛先が此方に向けられてしまいそうな気がしてならなかったのだ。と言っても、ここ最近はそれなりに彼女達の扱いには慣れてきた。その為、別に矛を向けられた所で遇えない訳では無い。
その上、理由はクオン自身未だ知れないものの彼女達が自分にそういった感情の矛を向ける事は決してなかった。波風立てない様に過ごしている為というのも勿論あるだろうが、しかしそれ以上に彼女達からは丁重に扱われている気がしてならなかった。それこそ普段の彼女達の傲岸不遜ぶりを知っていれば気味が悪い程の丁重ぶりだったが、冷遇されている訳では無いので余り深くは気に留めない様にしていた。
故に、クオンはただ大人しくスクーデリアと肩を並べて二柱のやり取りを眺める事に決め込むのだった。危害さえ加えなければ如何という事は無い可愛らしいもの。何なら、周囲に満ちる絶望と悲哀の慟哭乃至泣嘆から意識を逸らす為に彼女達を見ていたかった。同じ人間として如何しても湧出してしまう申し訳なさと同情心から意識を逸らす為にも、彼女達のやり取りは実に好都合な材料なのだ。
「それはすまない事をしたな、クィクィ」
一応は急いだつもりだったのだがな、とアルピナは心中で言い訳がましい嘆息を零す。決して彼女に聞かれる事も無ければ覗かれる事も無い深層心理にて展開されるそれは、正しく彼女の本音。取り繕う訳でも無ければ飾り立てる訳でも無い純粋な感情由来の本心だった。
それにも拘らず、しかし彼女はそれを発言したい気持ちをグッと堪えて魂の奥底に秘匿した。或いは、単純に発言出来なかったのかも知れない。彼女とは未だ付き合いが浅いクオンには、その真偽を確定する事は出来無かった。
しかし、その本心はきっとその両方だったのだろうとクオンは推測する。それは朧気な感想でしかなかったが、同時にやや確信めいた感想としても抱いてしまう。これ迄も彼女の態度を見て人間みたいだなと思った事は幾度となくあったが、こうして見るとやっぱり悪魔のくせに人間みたいだな、と感じてしまうのだった。
尤も、天使や悪魔をベースに人間が作られたという過去を思えばそれはある種当然とも言えるだろう。その為より正確性を求めるなら、悪魔が人間みたいなのではなく人間が悪魔みたいだからこそ相手の態度を自己の価値観に当てはめて推察し易いのだろう。それを知った所で如何にかなる訳でも無いが、改めて親近感を感じる場面だった。
尚、精々ひと月程度の付き合いしかないクオンがそうして彼女の朧気乍らも推察出来るという事は、彼より遥かに付き合いの長いクィクィやスクーデリアに出来ない道理は無い。その上、相手の心理を読み取る事に長けた悪魔なのだから尚の事だろう。クオンの様に朧気としてではなく、文字通り確信として彼女達はアルピナの愚痴を予測するのだった。
次回、第213話は4/28 21時頃公開予定です。




