第208話:本音と建て前
かなり短いですが、ご了承ください。
「勿論です、陛下。そのような些末事で気を悪くしている様では英雄など務まりませんので。今後とも、陛下御自身の御心のままに御命令ください。英雄の名の許、誠意を尽くして御覧に入れます」
口先だけの忠誠心のままに、セナは尤もらしい文言で陛下の心に巣くう不安を払拭させる。一欠片もその発言に賛同する積もりは無かったが、しかし必要の為である。その様な嘘を吐く事に一切の罪悪感は無い。必要が必要である限りに於いて、彼の心に躊躇の可能性が浮上する事は決してあり得なかった。
何より、彼は悪魔である。ヒトの子の心に擦り寄い契約という名の楔を打ち込んで支配する事を本分とする上位種族である。そんな種族として長年生きて来た彼にとって、今更この程度の事は朝飯前の簡単な仕事である。何も特別な手段や道具を必要としないそれは、人間が人間の心を支配するのとは訳が違う。呼吸を始めとする不随意運動と同様に、特別な方法や意識すらも動員する事無く容易く行われるのだ。
それは、英雄という表向き立場の裏に働く悪魔としての本能。彼ら人間達では決して気付く事の能わ無い秘匿された真実によって齎される現実である。それでも、その思いは幾重にも施された厳重な魂の奥底で静かに燻らせるに止められていた。
また、その思いは発言者であるセナだけには留まらない。彼と同様に英雄という表向きの仮面を被ったアルバートや、彼の影に潜んで暗躍するルルシエにも同様に言える事だった。立場を同じにする者として、二人もまたセナと同じく人間達の認識の裏で人間達の意志と相反する事を行う事に躊躇する事は無い。自分達、即ち悪魔乃至魔王側の立場に立つ者としてすべき事をただ優先するだけの事だった。
しかし、ルルシエは兎も角アルバートは本来人間である。事の成り行きで悪魔側に与する事になっただけの純粋な人間でしかない。その為、立場として非常に複雑な場所に立たされているはずなのだ。人間でありながら人間社会を裏切る様な行動は、本来であれば到底許されざる行動だろう。仮令バレない保証を与えられていたとしても、本来であればその心中には無際限の罪悪感が渦巻いているはずである。
勿論、余程の非国民だったり度が過ぎる程の合理主義者ならその限りでは無いかも知れない。しかし彼は、別に非国民になった覚えもなければ合理主義を唱えている訳でも無い。悪魔に与していながらも人間としての心を捨てきれない、何方かと言えば優柔不断よりな思考回路をしている積もりだと彼自身自負している程だった。
しかし、現実はそんな考えの通りに事が運んでる訳では無かった。現在の彼は完全に悪魔側の仲間として数えられるに相応しいだけの思考回路が形成されており、人間達に対する思いはほぼ限りなくゼロに近かった。といっても、それは悪魔達の様に理解出来ない訳では無く、理解した上で人間達に有利になる思考や行動を一つたりとも見せる事が無くなっただけである。人間達に剣は向けられないと考えている通り、その本質的要素までは人間性を失っていなかった。
そう考えると、現在のアルバートと対極する位置に心を置いているのは他の人間達ではなくクオンにあるだろう。自分と同じく悪魔に魂を売った者である彼は、アルバートに似ている様でその本質は彼とは全く異なる領域へと到達していた。
二人は同じ人間同士であり、年も近く、性格もそれ程掛け離れていない。境遇こそ異なれども、現在は同じ立場を共有する者として数少ない本音で語り合える友人として仲良くしている。それにも拘らず、その細部に於いてクオンはアルバートとは異なる思想を抱きつつあったのだ。
それこそがまさに、人間達に対する思い。アルバートは、人間に対する情を棄て切れない乍らも仕方無いとばかりに悪魔に全てを捧げている。クオンは、レインザード攻防戦まではそれと同じ思いだった。実際、アルバートやカーネリアと剣を交える事を極力避けようとする場面があったことはアルバート自身覚えている。
しかし、現在のクオンからそんな配慮はほぼ消えかけていた。全く消失してしまった訳では無かったが、レインザード攻防戦以降は人間と敵対する事に躊躇いを覚える事は無くなり、思考回路もかなり悪魔に近くなっていた。極端に言えば、異様なほどに人間に詳しい悪魔、とでも言った方が良い程だった。
人間社会から遠く離れて悪魔とのみ行動する様になってしまった為に、それは仕方無い思考変化かも知れない。それでも、その思考変化は彼をよく知る者として悲しくなってしまう様な変化だった。修正しようなどという考えは烏滸がましい事この上無い為、態々そんな事をしようとは思わない。それでも、少しばかり遠くに行ってしまった様な寂しさがある様な気がした。
そんな彼を考えれば、自分のこんな思考も多少は許されるのではないだろうか、とアルバート自身考えてしまう。人間達に対する多少の不義や人間性の喪失も、利己的な野望に基かない以上は大目に見てもらえないだろうかと考えてしまう。一体誰からの許しなのかは自分でもよく分からなかったが、兎に角そう思ってしまうのだった。
ルルシエもまた、彼の影の中に潜む事で彼のそんな思考を一部共有していた。勝手に覗き見ばかりしているとバレた時に怒られるだろうが、しかし何時もの事なのだ。ここ最近はアルバートも諦めがついたのか思考や感情の秘匿をそれ程徹底しなくなったし、その上仮に覗き見たとしても余り怒らなくなりつつあった。
その為それを良い事に堂々と感情を共有しているのだったが、しかし悪魔である彼女にはその全てに於いて完璧に同情する事は出来なかった。種族が違うし経験も浅い以上は仕方無い事だが、それでも最低限は理解する事が出来た様な気がした。
次回、第209話は4/24 21時頃公開予定です。




