第203話:重圧感
当然、ガリアノットもまたその一人である。人間であるガリアノットは、逸脱者という仕組みに関する本質を何一つとして理解していない。彼にとって、英雄とは世の理として存在する救済措置の一環ではなく、人類という枠組みに於ける希望の象徴としての存在でしかない。つまり、英雄とは有形のシステムではなく無形の信仰に他ならないのだ。
それでも、彼にとって英雄とは単なる信仰の一端には留まらなかった。現実としてそこに存在し人類の希望として実績を伴う成果を上げているのは、嘘偽りの無い事実である。その為、決して半信半疑の抽象的存在ではなく自らの後継者乃至信頼ある仲間として扱う事が出来るのだ。
当然、その思いは彼一人に留まらなかった。彼を含めてこの会議に出席している13名の人間。その内純粋な人間は、英雄を除いた国王、四騎士、六大貴族の計11名。そしてその内ガリアノットを除いた10名もまた、彼と同程度の信頼と信用を英雄に対して向ける事が出来ていた。
彼らは、セナとアルバートを決して神話や他の創作物に登場する様な英雄と同一視する事は無かった。人類の救世主というその本質こそ同一なものの、決して概念的な希望の象徴としてではなく実在する本当の英雄として扱っているのだ。当然、そこには神の子達が知る世のシステムとして存在する英雄としての意味は込められていない。それでも、その想いだけは嘘偽りのない真実だった。
尚、セナ達真実を知る者からすればその姿は非常に滑稽に映っているかも知れない。或いは、侮蔑乃至嘲笑の対象として晒し上げても良い程のくだらない信仰心として映っているかも知れない。それでも、セナもアルバートも彼の影に潜むルルシエも、彼ら彼女ら人間を嘲笑する気持ちは一欠片たりとも抱いていない。仮令神の子の視座ではそれがくだらない姿に見えたとしても、人間達が持つ情報量とそれから齎される視座ではそれが真実としての限界ラインなのだ。それを理解しているからこそ、彼らはそんな人間達の悩み祈る姿に対して母心にも似た心情を抱く様になりつつあったのだ。
そして、人間達はそんな彼らの見守りを知る事無く、ガリアノットの言葉を心中でよく反芻している。魔王という人類の脅威に立ち向かうという真実が彼らに慎重さを齎し、仮令王国内最強騎士の言葉であろうとも問答無用で了承する事が出来なかった。
それでも、余り悠長に考えていられる猶予が無い事もまた彼らは知っていた。しかし、それはアルピナ達魔王に人間に危害を加える意図が無い事を知らないが為の緊迫感だった。尤も、仮令それを知っていたとしても彼らは迅速な行動を徹底する事は忘れなかっただろう。国家を運営する立場上、民草の信頼と信用に応える為に最善の行動を徹底する義務が彼らには課せられているのだから。
しかし、そんな彼らの心中では凡その回答乃至心境は一致していた。王国最強騎士たるガリアノットが直接出陣するという言葉を受けて、それを拒否する糸口が見当たらないのだ。勿論、思考を放棄してただ闇雲に納得しているのではない。過去の実績や彼への信頼、そして何よりそれによって齎される各種リスクやボトルネックを考慮した上での納得だった。
それは言い換えれば、それだけの内容を考慮して尚即答出来る程に彼への信頼は非常に厚かったという事だ。それ程悩む必要も無く、彼ならきっと大丈夫だろうと誰もが首を揃えて納得出来た。彼に英雄が組み合わされば仮令魔王が相手であろうとも解決の糸口を必ずや手繰り寄せてくれるだろう、と誰もがその大きな背中を頼りにしたのだ。
人類の行く末を左右する分水嶺の如き重役を背負うガリアノットは、その重要性を当然の事乍ら十分に理解出来ている。これまで暢気に対処してきた魔獣被害とはまるで異なる覚悟と真剣さを要求されている事は、仮令彼が直情型な性格であろうとも気付かない筈が無かった。それ処か、四騎士として就任して以来一度たりとも経験した事が無い程の重要度だった。
自身の発言を改めて脳裏に反芻し、ガリアノットはその発言の意味を再確認する。ちょっとした好奇心や個人的な将来像を理由にした発言でしかなかったが、改めて自身の双肩に圧し掛かる責任感を認識したのだった。
それは、発言を撤回して逃げ出してしまいたくなる様な重圧。少しでも気を抜けばそのまま押し潰されてしまう程の重量感だった。彼はその重さから齎される緊張感を受けて目眩を覚えてしまう。呼吸が浅くなり心拍数が増加し、全身を巡る血液から酸素が不足している事を自覚させられる。
そして同時に認識するのは、英雄達の精神力の強さだった。それを前にして尚彼らは平然とした態度を崩している様子が見られず、まるで窓辺で寝転ぶ猫の様に落ち着いた相好を浮かべていた。それがさも当然であるかの様に誇る事も無く、淡々とガリアノットの言葉を脳内で理解している様だった。
あの若さでこれだけの落ち着き様とは……。ったく、一体どれだけの修羅場を潜り抜けたらこれだけ平然としていられるんだ? これでも一応、精神力には結構自信があったんだがなぁ……。流石は英雄様とでも言った所か? そりゃあ、どう頑張っても敵わない訳だ。
やれやれ、とばかりにガリアノットは心中で苦笑する。英雄達の強さを漸く理解出来た、とでも言いたげに彼は得心が行く。それと共に、その領域の余りの遠さを思って諦観とも呆れとも知れない心情が心を支配する。
どう頑張っても無理だ、と無意識領域から確信させられてしまうが、しかし不思議と苛立ちや不満は浮上してこなかった。寧ろ、将来有望——既に十分頼もしいが——な若手が確実に存在している事に対する安堵や、或いは個人的感情に基づく感心や羨望の方が圧倒的に強かったのだ。
そして改めて、彼はこの二人の英雄達がこうして仲間として共に戦ってくれる事を喜ばしく思うのだった。当人へは勿論、信仰の対象たる我らが天使様に感謝申し上げたい程だった。実在性は別として、単純にそれをするに相応しい程の英雄は人間達にとって救世の存在である事には相違ないのだ。
当然、その思いを抱いているのは何も彼一人に限った話ではない。彼を含む四騎士も、六大貴族も、国王も、誰もがガリアノットと同じ様に偉大なる天使様への感謝を心中で吐露していた。唯一エフェメラだけは立場上そういった心境を抱く事は無かったものの、或いは個人的事情によりそういった心境を抱けなかったのかも知れない。何方にせよ、彼女だけは何か含みのある微笑みを絶やす事無く英雄達を見つめていた。
尚、そんな裏の事情を露と知らない彼ら彼女らにとって朗報なのは天使が実在する事かも知れない。しかし同時に、何よりもの悲報はその天使が本質的な敵であるという事だろう。或いは、知らないからこそ幸福を得られるとでも言った方が良いのかも知れない。嘘は時として物事の円滑な進行や精神衛生の維持に有用に働く事もあるのだから。
一方そんな心境と眼差しを向けられる英雄達はというと、彼らは彼らとして心中でガリアノットの提案を反芻していた。尤も、種族及び立場上の理由から別に誰が一緒に来ようとも彼らとしては如何でも良い事ではあった。しかし同時に、一切の不都合無く納得出来るかと問われたらそれは別問題である。
行動を共にするのは別に誰でも構わない。ヒトの子である限り、セナやアルバートから見ればその個人差は無視出来る程度には些末事である。しかし、肝心なのは王都に残る面子の方だった。そちらに関しては、英雄ではなく悪魔としての事情から如何しても無視出来ない事柄が残っているのだ。
次回、第204話は4/19 21時頃公開予定です。




