第202話:逸脱者とその候補
しかし、だからと言って闇雲に人員を引き抜けば良いというものではない事もまた彼は十分把握している。それは滅多矢鱈に引き抜いたが為に肝心の王立軍としての機能が停止してしまうリスクがあるというのもあるが、何より死の危険を伴う事が何よりもの懸念事項だった。人命を数と見做して動員出来る程に倫理観が欠落した覚えがないガリアノットとしては、如何しても人命を第一に考えてしまうのだ。
と言うのも、魔獣は本来危険な相手である。英雄のお陰で簡単に討伐出来るものとついつい考えてしまう様に最近はなりつつあったが、本来はそう簡単に討伐出来る敵ではないのだ。余りにも人間レベルを大きく逸脱した強大な実力を前に感覚が鈍麻してしまっていた。
具体例を挙げるとするならば、プレラハル王国では訓練兵時代より魔獣を相手にする時は必ず複数人——最低三名以上だが五名以上が理想——で協力する事を徹底している。それこそ、起床ラッパを聞けば仮令どれだけ疲労困憊でも飛び起きられるのと同程度には心身に沁み込まされている。
つまり、魔獣とは本来人間より単純に強いのだ。一人で複数体を訳なく蹂躙出来る一部の強者が異常なだけである。セナとカーネリアは悪魔だから当然として、アルバートやアエラ、そしてガリアノットといった極一部の強者のお陰でそういった認識がズレてしまっているのだ。
尚、人間側で活動している純粋なヒトの子で明確に逸脱者の領域に至っているのは現状ではアルバートだけである。アエラとガリアノットはほぼ逸脱者の様なものだが、厳密にはまだ至っていないらしい。それは魂を見れば容易に診断出来るもので、アルバートもセナもルルシエも彼女らと会って一目見れば直ぐに判断出来た。
尤も、その診断が出来たからと言って何か特別な事がある訳ではない。仮令逸脱者として萌芽したとしても、最上位である第三段階、即ち勇者の領域にまで到達しない限りは魔王ことアルピナ達悪魔には何一つ影響を及ぼさないのだ。
現状、逸脱者の第二段階であるアルバートですら新生悪魔であるルルシエに僅かに及ばない。つまり、仮に逸脱者として萌芽してもその第一段階である狭義の逸脱者にしか成れないガリアノットやアエラでは、魔獣の蹂躙こそ出来れども其処から先に踏み込む事は到底不可能である。
因みに、現在プレラハル王国内でアルピナ達が把握している逸脱者及びそれに近しい者は僅か四名。それは元来英雄であり契約によって勇者の領域に到達したクオン、元来逸脱者であり契約によって英雄の領域に到達したアルバート、逸脱者ではないもののもう少しでその領域に踏み込めそうなアエラとガリアノットである。
これを聞いて多く感じるか少なく感じるかは個人の解釈次第だろうが、その解釈は判断の基準を何処に据えるか次第になるだろう。人間レベルを逸脱した存在という点に着目するならば、それは多いと判断する者が多くなるかも知れない。人間でありながら人間としての壁を突破出来る者はそう多く存在するはずがない、というのは仮令個人の価値観が十人十色であろうとそうブレる事はない。
それに対し、この王国に生きる全ての人間の数に着目するならば、それは少ないと判断する者が多くなるかも知れない。この国には現在数千万から数億程度だと思われる——戸籍乃至個人登録で国民を明確に管理していない為、正確には数えられない——人間が何処かしらで何らかの生活様式で生きているが、その中で僅か四名ともなればかなりのマイノリティである。数千万分の四という数だけを見て妥当な割合だと思える人はまず存在しないだろう。
故に、彼ら人間達の主観では多かったり少なかったりで意見が割れるかも知れない。しかし神の子達の価値観、即ち客観的な視座で見るならこれは非常に多いと判断出来る。それこそ異常事態だと言っても誰も否定しないだろうとも思えてしまう程に、この四という数は非常に多いと見做す事が出来るのだ。
抑、逸脱者という制度は神の子より圧倒的格下に位置付けられるヒトの子達が神の子の完全なる下僕と成り果ててしまわない様に設けられた抵抗手段、詰まる所救済措置の様な代物だ。そんな制度の下に設けられた存在なのだから、当然の事乍らそれ程沢山出現する事がないのは当然だろう。
何より、この逸脱者という制度は人間に対して与えられた制度ではない。ヒトの子に与えられた制度なのだ。つまり、人間以外のヒトの子も逸脱者としての力を萌芽する可能性を秘めているという事だ。それは犬や猫といった人間達と共存している動物かも知れないし、或いは獅子や羽虫といった人間と共存していない生物かも知れない。若しくは、人間以外の高度知的生命体の可能性だってあるのだ。ヒトの子、即ち地界に生きる生命体という枠組みは名前だけ聞くと非常に単純に感じられる。しかし、その内部は非常に膨大な数で構成されているのだ。
では、神の子が把握している逸脱者に関する正しき認識に於いて逸脱者は果たしてどれだけ存在するのか。勿論、明確な数は指定されていない。先天的に逸脱者として生を受けるものもあれば、後天的に覚醒するものだっている。それこそ努力で強引に萌芽させるものだっているのだから、厳密な数を選定する必要はないのだ。
それでも、凡その数だけはある程度決まっている。多少前後する事はあれども、ヒトの子の能力的に考えられる現実的な数値というのはある程度幅を利かせれば容易に求められる。そしてその数だが、人間社会を基準にすると逸脱者の第一段階である狭義の第一段階は凡そ一つの国家に一人程度の割合となる。そして第二段階である英雄は一つの星の一人程度の割合、第三段階である勇者に至っては一つの地界に一人しかいない程の割合である。
それを念頭に置いた上で改めて現状のプレラハル王国を観察すると、その異常性はハッキリとするだろう。逸脱者候補二人に英雄一人に勇者一人である。誰がどう見ても多過ぎる。神龍大戦中ですらこれ程一ヶ所に密集した事は確かなかったはずだ、とどの神の子達も共通して記憶している。
しかし、現実としてこうした状況になっているにも拘らず、何故かその理由は判明していない。全ての事象には何らかの理由や根拠が伴わなければならないというのが世の鉄則ではあるものの、何故かそうした類のものが何一つとして浮上しないのだ。ヒトの子側からして見ればこの上ない幸運としてな視出来るだろうが、神の子としては何とも釈然としない悩みの種である。
と言っても、それ程深刻に悩んでいる訳ではない。確かに逸脱者が過去に例を見ない数だけ集結しているのは事実である。しかし、それでも所詮は四人程度である。何より、その内の半数である明確に逸脱者の領域に至った二人は揃って神の子側に与しているのだ。神の子に対する明確な敵対意志を持たない限りに於いて、それは然して重要な問題足りえないのだ。
何より、創造主である神の性格を知っていれば彼らがそれ程気に留めない理由も納得ではあるのだ。適当且つ大雑把で気分屋且つ自由奔放な神の性格を知っていれば、多少逸脱者の数や内容に違和感があっても仕方ないで済ませられるのだ。
だが、そんな創造主の本質や世の理を人間達は何も知らない。知らないからこそ、魔王の存在に恐怖や危機感を抱きつつ英雄の存在に歓喜出来るのだ。一切合切を創造主たる神や信仰の対象である天使の意志として押し付ける事で、自分達の勝手解釈に基づく心の平穏や希望を胸に一喜一憂する権利を得ているのだ。
次回、第203話は4/18 21時頃公開予定です。