第197話:英雄の影響力
同時に、彼だけに英雄としての職務を背負わせる訳にはいかないとばかりに、アルバートもまた自分なりの人間的思考で英雄としての立場を思い返す。彼はセナやルルシエと同様に英雄の皮を被った魔王側の立場でありつつも、セナやルルシエと異なり魔王側の立場でありながら人間側の価値観を持つという特殊な立場にある。その特異なポジションを胸に改めて刻み込む様に深く息を吐いて、彼は加速する心臓の鼓動を理性で無理矢理抑え込む。
彼の一言は、人間としても英雄としても魔王としても重要な意味を持っている。と言っても、彼の一言で全てが決定付けられる程に強力な発言力乃至影響力がある訳では無いし、抑その特異な立場を知っているのは魔王側兼英雄側である三者のみ。その為、それはあくまでもその影響力が最大限行使出来た場合の話であり、現実的な可能性は考慮されていない。
それでも、人間側の視座で考慮しても英雄の影響力自体は本物である。世論という強大な後ろ盾に守られた彼らの存在は、仮令四騎士や六大貴族、更には国王であったとしても到底無視出来るものではない。民主主義的な政が正常に機能している限りに於いて、民草からの支持とは凡ゆる政治的乃至他要素の権力や勲章を凌駕出来るだけの力を有している。仮令上がそれを否定しようとも、世論の半数乃至三分の二以上がそれを認めている限り、上はそれを否定する事は出来ない。
実際、現在のプレラハル王国に属する民草の大半は英雄へ傾倒しているといっても過言では無いだろう。全員が全員、と言えない辺りは何とも人間らしいが、寧ろ全員が漏れなく英雄側に傾倒していたらそれは出来過ぎだろう。ヒトの子と神の子で価値観が異なる様にヒトの子同士、それが仮令同じ人間同士であろうともその価値観は微妙に異なっていて当然なのだ。
価値観が変われば思考は変わる。思考が変われば他者に抱く印象も変わる。それは当然英雄に対しても同様であり、英雄を信じる者がいればそうでない者がいるのは当然の帰結なのだ。それは突如現れた英雄などという不明瞭な存在に対する不信感に由来するものかも知れないし、或いは自らの地位や権力を将来的に脅かし兼ねない政敵だと判断した事に起因する恐怖心に由来するものかも知れない。
何れにせよ、仮令英雄といえども万人を引き込む事は到底不可能なのだ。仮令長年悩まされている魔獣被害を打開出来る救世主的存在であろうとも、少なからず抱かれる負の感情がそれを拒絶するのだ。レインザード攻防戦という大きな戦果があろうとも、直接的恩恵を体験しない限り、その説得力は特定の域を超える事は無い。
アルバートは、そんな自身の立場を前にして驕り高ぶる事も無ければ卑下する事も無い。現実的視点に立ってそれを冷静に分析し、英雄としての立場を踏み外さない程度にその力を活用する方策を模索する。正しくは、そうして浮かれて馬鹿になる事が出来なかったというべきなのかも知れない。
それは単純に、彼がこうして英雄の地位を手に入れたのは自分自身の力に因るものでは無く悪魔に魂を売った結果に因るものだった為。そしてそれに加え、自分が庶民の出自だったからというもの。取り分けその二つが、彼がその思考に至る切っ掛けを与えてくれている気がしていた。
前者は単純に、悪魔の力を自分の力だと偽ってでも自分を大きく見せようとは思わなかった為。そもそも悪魔の力の全容を把握していないのに、そんな大それたマネなど到底出来る気がしなかった。仮にそれでスクーデリアの気分を害しようものなら、果たしてどの様な報復が待ち受けているだろうか。根本的に隔絶された種族の壁が、正常な予想すら立たせてくれない。
漠然とした恐怖だけが彼の魂を拘束し、スクーデリアに対する一切の裏切りを想起させてくれなかった。彼女に限らず他の悪魔全般に共通して抱いてしまう程に、彼は悪魔から与えられた力で自分を大きく見せようとは思えなかった。
因みに、スクーデリアとしても彼がそれをするとは微塵も思っていなかった。契約時の彼の態度から到底そんな事が出来る程に肝が据わっているとは思えなかったし、仮にそれをするならするで対応は幾らでも出来るのだ。彼女にしてみればアルバートなど取るに足らない矮小なヒトの子の一欠片でしかない——現状、龍魔力を解放したクオンですらスクーデリアどころかクィクィにすら軽く遇われる——上に、悪魔に力を授かったなどという話を抑誰が信じるだろうか。
悪魔に限らず神の子全般の実在性は所詮は神話の域を脱する事が出来ていない。一応は国教として天使は崇拝の対象とされているが、それでもその実在性を信じるかは個人の解釈に委ねられている。その上、実際にその実在性を信奉しているのは敬虔な信徒を中心とした全信徒の約半数。信じる方が夢想家だとか信じない方が信仰心の欠落だとか罵りたい訳ではなく、単純に現実としてそうなっているだけの話である。
そしてそうであるからこそ、仮にアルバートが悪魔の力を振りかざして自らの力と偽る事でその存在感を誇張しようとも全く以て問題無いと彼女は踏んでいたのだ。或いは、心の底でそれをしたらどうなるか楽しみにしていたからこそ、敢えて釘を刺さずに放置していた可能性すらある。それは彼女のみが知る事であり、或いは彼女自身すらそれ程意識していなかった深層心理に基づく無意識的行動だったかもしれない。
そんな事を考えつつ、しかし脳裏では変わらずセナの意見とアエラの意見を反芻していた。それは時間にして僅か一瞬、刹那にも満たない程に短い時間だった。しかし同時に、久遠にも感じる程に果てしなく長い無言の時が流れているかの様だった。
その無言が重苦しい緊張感となり、周囲の視線が全て自身へ向けられているかの様な錯覚を与えてくれる。英雄としての期待と重責もそれに拍車を掛け、その視線はまるで無数の銃口の様にも錯覚させてくれた。生半可な責任感と使命感ではすぐさま押し潰されてしまう事は明々白々であり、乾いた口唇と口渇感に反して口腔内には粘液性の唾液で溢れ、倒錯的な身体環境が彼に自身の緊張感を改めて自覚させて来る。
さてどうしたものか、とアルバートはそんな緊張感を紛らわせるかの様に心中で呟く。英雄的立場としてはセナの意見を基にしたアエラの意見には賛成の考えだった。確かに、魔獣がいる可能性を考慮すれば兵士達の数は多いに越した事は無い。しかし一方で、魔王を相手にする事を考慮すればその雑多な兵士はほぼ間違い無く役に立たないだろう。抑として、仮にセナが悪魔の力を隠す事なく曝け出し、その上で天魔の理で定める上限ギリギリまでその力を放出したとしても彼女達には到底敵わない。クオンになら状況次第では勝てるかもしれないが、それ以外は仮令天地が逆転しても不可能である。
その為、魔王と戦う事を考慮するならば無用な兵士はいない方が護る手間が省ける分だけ良い程なのだ。蟻が幾ら集まっても恐竜に勝る可能性がゼロなのと同様に、彼ら一般兵士達がどれだけ群れても彼女達には何一つ有効打とはならない。寧ろ神の子視座としては、余計な魂管理の必要性が生じる為に勘弁して欲しいらしい。
存在しない魔獣——人間的視座ではそれがいない事を知る術はない——の為に多数の戦力を要する事を採択すべきか、或いは、魔王と戦う事を想定して最少人数の兵力だけで向かうか。人間的視座では前者であり、アルバートとしてもそれが正解だとは思えた。しかし、それでも一つだけ思い至る問題がその確信を抑制していたのだ。
次回、第198話は4/13 21時頃公開予定です。




