第196話:価値観
頭の中で思考を整理しつつ、アエラは絞り出す様にして意見を表明する。それは、英雄の意見に賛成しつつも不足した視座を補う様に補足を加えたもの。決してその意見を表したセナを愚者だと罵りたい訳では無く、より良いものへとリファインする為のもの。最悪を警戒しつつ、同時に極微かでも人間社会の平和を手繰り寄せる為にも一切の妥協をするべきではないという思考に基づくものだった。
当然、セナもそれは十分理解出来ている。抑、会議とはその様にして一つの案に対して改善や不備指摘を積み重ねてより良いものへと改善していく為のものである。決して罵声と憎悪を投げ合う合戦ではないのだ。その為、寧ろ何一つとして質疑やら改善案すら出ない方が困るまである。
何より、魔獣に対する思考がセナの脳裏から完全に欠落していたのは紛れもない事実だった。魔獣こと聖獣及び魔物による人間社会への被害が起こり得ないと知っていたが為に、無意識の内に可能性から除外してしまっていたのだ。
改めて、セナは自分の考慮不足に対して心中で溜息と舌打ちを零す。神の子として驕り高ぶる事無くヒトの子の視座に立っていた積もりだったのだが、まだまだ慢心が抜け切れていない事を彼は痛感した。そして同時に、階級を盾にしてルルシエに対して余り大きい顔が出来ないな、と自身の言動を嘲笑するのだった。
しかし、それは仕方の無い事だと第三者であるアルバートとしてはついつい考えてしまう。神の子についてそれ程造詣が深くなった訳では無いがそれでも全くの無知ではないし、何よりそう考えざるを得ない程に神の子は特殊な立場だと思っているのだ。
確かにセナは古い悪魔であり、神の子側にもヒトの子側にもそれ相応の経験と知識を有している。それは間違いない事実であり、自他共に否定出来ないしする事も無い。しかし、価値観とは往々にしてこれまで経験してきた事に影響されやすい傾向がある。更に言えば、これまでの経験の積み重ねこそが価値観そのものだとも言える。
セナは約7.0×10^7年前に生まれ、途中で約7.4×10^5年間の死亡期間を挟んだ約6.9×10^7年もの時を生きてきたのだ。それはヒトの子ではどう頑張っても到底経験する事が出来ない程に長い長い時の積み重ねであり、それによって形成される価値観の強固さは計り知れないだろう。
人間社会では〝旅を経験して価値観が変わりました〟だとか〝人生観をガラリと変える方法〟などと謳った喧伝文句を用いた商材が頻繁に出回っていて、心惑わされた人間達がそれに踊らされたり心酔い痴れたりしている。しかし、それは人間——正しくは人間以外の凡ゆる知的生命体も含めた総称である〝ヒトの子〟と言うべきだろう——の価値観がそれ程までに移ろい易い事を意味している。高が数十年程度積み重ねただけの価値観など、所詮はその程度の重みしか無いという事だろう。
鯔の詰まり、セナに限らず神の子は本来神の子としての価値観を払拭する事は非常に困難だという事なのだ。高が数十年積み重ねてきただけの経験と知識で、一体どうして数千万乃至数十億年と積み重ねてきた経験と知識を上書き出来るだろうか。
普通に考えてそれがまず不可能だという事は、余程の低能であろうとも容易に想像が付く。一般教養に比較的乏しいアルバートでさえ気付いたのだから、それは当然だと考えて良いだろう。寧ろ、ヒトの子が創造されて以降の大半の期間を死亡期間に費やしていたにも拘わらずこれだけ対応出来ている方がおかしい程だ。余程柔軟な思考回路を持っていない限りこうはならないだろう。
そして同時に際立つのが、クィクィやスクーデリアといった人間社会に問題なく溶け込める者達の異常さだ。あれだけ問題なくヒトの子の価値観に言動を揃えられるのは、並大抵の努力では到底難しいだろう。
取り分けスクーデリアに関しては旧世代の神の子より更に古い最古の悪魔、所謂草創の108柱と呼ばれる者の一柱である。その経歴はセナ達伯爵級悪魔の比では無く、幼馴染同士であるセナとエルバとアルテアを合算しても彼女の生きた時間には届かない。それ処か、スクーデリア処かクィクィにすら届かないのが現実である。それ程までに長い経験を、彼女達は上手く現代の人間社会に馴染む様に柔軟に変化させているのだ。
しかし、だからといってアルバートはセナに彼女達と同程度の価値観の柔軟性を今直ぐにでも求めようとは思わない。更に言えば、無理してそんな柔軟性を身に付けて欲しいとも思っていなかった。あれは彼女達だから出来る御業であり、誰もが同等の事が出来るとは最初から思ってもいなかったのだ。
勿論、それはセナを侮辱している訳では無い。スクーデリア達に対する純粋な敬意と羨望のみで構成された代物であり、セナや彼ら他の悪魔に対する負の感情は一欠片も考慮されていなかった。尤も、それで彼らが不快感を示す様であれば直ぐにでも謝罪と訂正をするつもりだった。しかし、抑それを当人達に打ち明けていない上にセナ達もそれを理解しているのか取り分け何かを言う訳でも無かった。その為、特にトラブルになる事無くその感情は素通りされていた。
また、レインザード攻防戦終結後にクオンとも話した事だったが、アルバートとしてはそれ程無理して自分達人間達の価値観に揃えようとしなくても良いのではないか、とも思っていた。仮にそれで認識や価値観に齟齬が生じたとしても、人間である自分達がそれを補えばそれで済むのではないかと考えていたのだ。その為にこうして行動を共にしているのだし、悪魔の力をこれ程までに甘受しているのだから、その程度の苦労は担って当然とすらも考えていた。
しかし、それで妥協する程セナ達も甘い時間を過ごしていない。寧ろ、神の子としてヒトの子を管理する立場にあるからこそ、彼らヒトの子の事は何が何でも知っていなければならないだろうとすら思っていた。或いは、管理者を名乗るからにはそれくらいは出来ていないと話にならないのではないだろうか。
それは決して、ヒトの子を見下しているからこそ生まれた発言ではない。管理者としての責任感や悪魔としての矜持によって齎された、単なる個人的意地によって生まれただけに過ぎなかった。彼らの負けず嫌いな性格が、出来ないという事実に対して向きになっていたのだ。
勿論、アルバートやクオンの支援を期待していない訳では無いし、ヒトの子如きに御膳立てされたくない、とばかりに嫌悪していた訳では無い。そればかりか、彼らなりの支援や思い遣りに対しては筆舌に尽くし難い程の感銘を受けている程だった。憖契約と称して他者の心を支配する種族であるだけに、そういった配慮や思い遣りには敏感になってしまいがちだったのだ。
そして、そうした理由を胸に秘めて努々《ゆめゆめ》忘れない様にしていたからこそ、今回の様に人間的視座が部分的とはいえ欠落していた事実には溜息を零してしまうのだ。未だ未熟者の域を脱する事が出来ない自分の不甲斐無さを嘆くと共に、ヒトの子的視座の奥深さに感銘を受けるのだった。英雄として人間達の希望を胸に掲げているからこそ余計に、セナは人間的な視点や価値観に対して積極的になりつつあったのだ。
そして、改めて思考を議題に戻して自分の案の不備とアエラの口から齎された改善案に向き合う。ベリーズに出現した外敵が魔王と思われる以上、彼らに純粋な武力では敵わない自分達は初動対応を決して見誤ってはならないのだ。故に、最大限の慎重さと最大限の迅速さという相反する対応を両立させつつ結論を見出そうと彼らは思考を廻す。尤も、セナは魔王側の立場である為、厳密には彼ら人間達とは異なる対応が必要なのだが。
次回、第197話は4/12 21時頃公開予定です。




