第193話:回答
その為、彼女達ですら理解出来ない現象が発生しているという事は、それは非常に頭を悩ませる深刻な状況だと断言しても良いだろう。只の伯爵級悪魔の一柱でしかないセナが状況と原因を把握出来ないのは現場から遠く離れている為という物理的要因もあるだろうが、それを抜きにしてもある意味当然の事だと言っても過言では無い。それ程までに、セナの力というのは悪魔全体で見ても特別抜きん出ている訳では無いのだ。
抑、伯爵級悪魔と一括りにしてもその対象は非常に幅広い。具体的に言えば第一次神龍大戦の開戦から終戦までの間——この星の暦を基準にして約9.0×10^7年間——に生まれた全悪魔を指すのだ。その中でセナが生まれたのは、第一次神龍大戦の第二四半期に相当する時期。現在から約7.0×10^7年程度前といった所だろうか。
同じ悪魔であればエルバと同い年且つアルテアより1.5×10^3年程度早い生まれという事になり、ヴェネーノやワインボルトより6.0×10^7年ほど早い。天使で言えばクシュマエルと然程変わらない年齢——と言っても5.0×10^6年程度離れているが——といった所だ。
それだけ聞けば非常に老練な神の子の様に聞こえてしまうが、神の子の価値観で言えば赤子と言っても差し支えない程に若い。抑、神の子の歴史は神龍大戦の遥か遥か以前から続いている。それの僅か7.0×10^7年といえば実の所、割合にして0.8%にも満たないのだ。そんな彼が、草創の108柱として神に創造されたアルピナやとスクーデリア——アルピナの方が2.8×10^6年足らず程度先だが、神の子全体の歴史で見れば誤差にも満たない——や努力と才能で彼女達に追い縋るクィクィですら理解出来ない事が理解出来るはずがない。仮に現実的な評価を忌憚無く突き付けるなら、彼はまだまだ若輩者といって差し支えない。
それは仮令、セナ達が挙って経験した肉体的死による弱体化を考慮しても同様である。寧ろ、肉体的死による弱体化の影響は今回に於いては無視出来る程に小さいといえる。それこそ、料理に於けるローリエやナツメグにすら満たない程度の存在感しかないと言っても良いだろう。
そしてセナですらそうなのだからルルシエは以ての外であり、アルバートに関して言えば土俵にすら上がらせてもらえていない。その為、セナが理解出来ない現象をこの二人が理解出来るはずがないのだ。仮令ルルシエが男爵級悪魔として類稀な才能を持っていようとも、仮令アルバートがスクーデリアと契約を結ぶ事で彼女の力の一端を授かっていようとも、それは決して揺るぎ様の無い事実である。
それ程までに、古い神の子と若い神の子との力の格差というのは想像を絶する程に隔絶されているのだ。ヒトの子であるアルバートは当然として、新世代の悪魔として生まれたルルシエですらそれは正確に想像出来ていない。
そして、余りに隔絶された実力差というのは格下から格上に対する正常な観察眼や判断能力乃至推察能力を奪う。最早真面に観察する事すら許されず、正常にその内実を認識する事すら出来なくなるのだ。ただ漠然と何かが起きているという概略的な評価だけが脳裏に呼び出され、そこから先に進む事を拒絶する。
故に、折角の悪魔としての優位性が現状は何一つとして活かせていないのだ。勿論、精神感応で本人達に直接聞けばどうとでもなる。王都-ベリーズ間程度であれば精神感応を繋ぐ事など造作も無い事なのだ。それこそルルシエでも出来るし、クオンやアルバートでも繋げられる距離でしかない。
しかし現在、国王陛下が直々に英雄に対して質問し、その返答を待っている所なのだ。数秒程度の沈黙であれば、回答を脳内で整理しているのだな、と思うだけかもしれない。だが、精神感応で現状を確認している間の沈黙を見逃してくれるとは到底思えない。どう見ても不審な動きにしか見えないのはセナやルルシエでも流石に理解出来る。
だからこそ、現状をアルピナ達に尋ねる訳にはいかないのだ。現時点でセナ達が得られる情報とレインザード攻防戦での人間側の視点で得られた評価から、彼ら人間達が求めている回答を構築する必要があるのだ。
少しでも悩んでいる風を装う為に、セナもアルバートも揃って何かを考えている風の態度を取る。レインザード攻防戦で共に戦ったアエラやエフェメラと目線で会話を広げて意思疎通を図りつつ、その脳内で人間らしい回答を着実に組み立てていくのだった。
しかし、それは却って良かったのかも知れない。アルピナ達の様子に対して何一つとして理解が追いついていないからこそ、その視座が人間達のそれとほぼ同じになっていると言っても良かったのだ。その為、本来知り得ない情報を漏らして怪しまれる様なヘマをする可能性が限りなくゼロになったのだ。或いは、人間的な視座として思い至る答えを想像し易いとでも言えるのかも知れない。
つまり、人間の集団に溶け込む上で都合が良かったという事だ。これ幸いとばかりにセナもアルバートも思考を深め、ルルシエも補助思考回路的な要素として二人を支援する。やがて、漸く答えが纏まったとばかりにセナが英雄を代表して徐に口を開く。別にそれ程深く悩んだ訳では無かったが、かといって余裕綽々の顔を浮かべる訳にはいかない為、それなりに悩んだ風の口調と相好を取り繕う。
「そうですね……レインザード攻防戦で魔王と直接剣を交えたのは私とアルフェイン殿とキィス殿の三人だけでした。その他の兵士の皆様は魔獣との戦闘に於ける消耗が激しかった事に加え、大変失礼な物言いになりますが魔王と戦うには率直に申し上げて実力不足が否めませんでした。かといって我々が魔王と対等に渡り合えていたか、と問われればそうとは言い切れなかった事もまた事実です。その上でベリーズに派遣する戦力を考慮すれば、余り大勢で向かうべきではないかと愚考いたします。それこそ、徒に死体の山を増やしたかったり穀潰しを効率よく処分したければ話は別ですが、とてもそれをするような国ではないでしょう。その為一つの例を挙げるとすれば、私達英雄に加え四騎士の内何方か一名とその部隊、そして人命救助や被害の復興に当たる最少人数だけを用意するというのは如何でしょうか?」
偽りのペルソナで修飾されたそれは、本人としてはそれほど満足できる様な出来栄えではなかったが、しかし人間達は上手く騙されてくれた様だった。別に魔法で認識を改竄したり思考を操作した訳では無かったが、これも神の子とヒトの子の格差が生んだものなのだろうか。上位者であるが故に、仮令非常に御粗末な出来だったとしても下位者にとっての上澄みレベルは確保出来ていたのかもしれない。そんな事を考えつつ、しかしそれを悟られない様に彼は 努めるのだった。
結果的に、そのお陰もあってか人間達には一定の真剣さが伝わった様だった。本人としてはそれほど必死扱いて考えた訳では無かったが、しかしそう捉えられて不都合は無い為に訂正する気も無かった。抑それが狙いだったのだから、作戦が意外と上手くいった事に対してセナは心中で安堵の溜息を零した。同時に、こんなに単純でいいのだろうか、という疑問が僅かに湧出したが余り深く考えないようにした。
ヒトの子を管理する立場としてそれは少々職務怠慢かも知れない。より良い道に進める様に、或いはより崇高な存在へと昇華出来る様に導く事こそが神の子としての使命なのかも知れない。上位者として下位者を先導するのは、恰も上司が部下を一人前に教育するのと同じな様なものかも知れない。
しかし実際は、それほど崇高な使命は意外と宿していなかった。ヒトの子がより崇高な存在へと昇華しようが下衆な存在へと堕落しようが、彼らにとってはさして重要な問題ではなかった。仮令心が清らかであろうとも穢れていようとも、それは器の問題であり魂自体には何ら影響を及ぼさないのだ。輪廻乃至転生という種族の本分が滞りなく実行出来る限りに於いては、魂を収める器がどうなろうと知った事では無いのだ。
次回、第194話は4/9 21時頃公開予定です




