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ALPINA: The Promise of Twilight  作者: 小深田 とわ
第3章:Mixture of Souls
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第192話:答えの模索

 そんな失敗を責め立てて、果たしてどんな成果が得られるだろうか? 責め立てて、萎縮し、過度な緊張と恐怖が更なる失敗を呼び込む。そうして獲得した失敗が更なる不安と恐怖を呼び込むのは完全なる負の螺旋階段でしかないだろう。

 大切なのは改善への道標を示す事と失敗が成功の前段階である事を認識させる事である。失敗に対する積極的姿勢こそ、成功に対する積極的姿勢なのだ。そして、そんな積極的姿勢を促す事こそ、先導者としての役目であり義務でなくてはならない。一歩先を進んでいるからと天狗になってくだらない意地と意地悪な安い挑発を繰り返している様では、何時の日か必ずやその報いを受ける事になってしまう。

 だからこそルルシエは現状に安心と安堵の眼差しを向ける事が出来たし、アルバートとしても悪魔に対する不必要な恐怖や不信感を募らせる事が無かった。三者が相互に信頼と協力意識を向け合う事が出来、結果的に悪魔としての裏側のみならず英雄としての表向き活動にも好意的に作用する事が出来た。

 そして、彼らは表面上の英雄像に基づく思考を動かし続ける。英雄としての立場や思想に相応しい回答が果たして何であるかを今一度思い返す様に、彼らは自身の内面と人間達の内面に目を向ける。双方の間に存在する明確な差異が何であり、それを解消しつつ最適な英雄像を表現するには一体どうすればよいのかを今一度見つめ直した。

 しかし時と場合次第でその答えは如何様いかようにでも変化するものであり、この世にたった一つの真実などというものは存在しない。それが現実である。そして、それは何も人間の価値観にのみ適応される話ではなく悪魔を始めとする神の子達にも例外なく適応されるものである。

 たとえ種族や立場及び格が異なる者同士であろうとも、神の子とヒトの子は同じ神の下に生きる生命の一欠片である事は紛れもない事実。その上人間は彼ら天使と悪魔をベースにして創造された種族でもあるのだ。そんな彼ら彼女ら同士であるからこそ、その内面が理解出来ないはずはないのだ。境遇や育った環境によって育まれた価値観が異なるだけであり、時間や経験の積み重ねがやがてそれを解決する事は明白である。

 何よりそれは、他の悪魔達が証明している事。契約と称してヒトの子の心に寄り添うその種族固有の性質は当然とし、そうでなくてもヒトの子社会に馴染んで楽しむ悪魔がいるのだ。クオンと契約を結んでいるアルピナやスクーデリア然り人間社会に度々遊びに行っているクィクィ然り、例を挙げれば枚挙にいとまが無い。

 その上アルバート自身、スクーデリアと契約を結んだ上で悪魔と行動を共にしている。当初こそ最悪の出会いだったが、しかし今では誰よりも信頼できる仲間であり相棒であり契約主である。これこそ正しく人間-悪魔間での価値観の乖離かいりが解消されている瞬間そのものと言って過言では無いだろう。英雄という同じ志という土台があるとは雖も事実としてこれが出来ている前例があるのだから、他の人間達の思考や価値観を悪魔達が理解出来ないはずが無いだろう。

 故に、アルバートを中心にセナとルルシエもそれぞれ国王に対する答えを模索する。英雄としての相応しい答えをただ機械仕事的に模索するのではなく、悪魔種族に対する誇りと人間の価値観を理解出来ない事は無いという自信を改めて魂の深奥から湧出させる。しかし同時に、自身が人間達の管理者であるのだという過度なプライドまでは持ち出してはならない事を努々《ゆめゆめ》意識する事も忘れなかった。

 事実として、悪魔が人間達の魂の管理者でありヒトの子の転生を司るいわば生と死の番人である事には相違ない。しかし、それはあくまでもそういう役割を神に与えられただけでしかない事もまた事実である。間違ってでも、それを自分自身の力だと驕ってしまってはならないのだ。

 つまり、一歩間違えれば魂はヒトの子にでも神の子にでもなる可能性があったという事。一度決定してしまえば後天的に一方から他方へ変更する事はあたわず、死後に幾ら輪廻や転生を繰り返しても昇格乃至(ないし)降格する事は決してあり得ない、しかし、この世に生を受ける前段階では何方にでもなれる可能性を秘めていたという事だ。

 神の子が神の子として生を受けたのも、ヒトの子がヒトの子として生を受けたのも、それは完全なる運。その上ヒトの子の中でも人間として生を受けたのも、神の子が聖獣乃至(ないし)魔物ではなく天使や悪魔乃至(ないし)龍として生を受けたのもまた同様である。言葉を解さない動物であったり、生死を司る権能を持たない成り損ないとして生を受けなかっただけでもそれは類稀な運の果てに存在する奇跡の存在だろう。

 だからこそ、相手がただの人間だからといって軽蔑する事無く、同時に自身が悪魔だからと言って高く見る事無く、或いは自身が悪魔の存在を認知しあまつさえ契約まで結んでいる存在なのだと驕り高ぶる事無く、現実的視点に立って思考を進める。

 そして、改めて彼らはそれぞれ国王からの質問に正しく答えるべく質問内容を整理する。荒唐無稽な場違い的回答を並べ立てたからと言って即刻処刑される様な恐怖政治ではないものの、だからと言ってそれが適当な事をして良い理由にならない事は承知している。英雄としての信頼と尊敬に応える様に、或いは裏切らない様に、彼らは自身の立場を胸に刻み込んで冷静に思考を廻した。

 国王からの質問は至極単純。ベリーズに赴く為にはどれだけの戦力が最低限必要となるかである。現在も止む事無く響くベリーズからの衝撃波に抗う為に果たしてどれだけの備えが必要であるのかを単純に問うているだけに過ぎない。

 その不安は衝撃波の理由が一切不明である事に加えてその規模が大き過ぎる為。しかしそれは悪魔の存在を何一つとして認識せず、仮に認識していたとしても特別な瞳を持たないが故にその力を認識出来ない人間であれば仕方ない事だろう。

 仕方ない事であるが故に、セナもルルシエもアルバートもそれに対して特別軽蔑や失望の眼差しを向ける事は無い。かといって憐れむ事も無く、ただ単純に現状のベリーズの様子を得られる情報だけで大まかに分析していく。


 ……アルピナ達の魔力は感じられるし、戦ってるのも分かる。だが、敵は誰だ? 状況からして天使なのは間違いないだろうが……どういうことだ?


 セナは心中で疑問と困惑で糊塗された言葉を呟く。他の人間達にバレない為に魔眼の出力を絞っている為かと最初は疑ってしまったものの、しかしそうでは無い事もまたほぼ時間差無く確信出来てしまった。本能に宿る警戒心がその楽観的な疑いを否定してしまったのだ。

 しかし、確信できたからと言ってその原因がすぐさま特定できる訳ではない。直接現場で目撃しているならまだしも、魔眼越しで得られる情報だけでは流石のセナと雖も難しいのだ。それは自身の能力を過剰に評価しているが故の万能感ではなく、自身の能力を正常乃至過少に判断して尚湧出する至極当然の疑問だった。

 現在ベリーズでアルピナ達と戦闘している天使達は揃って何故か魂を見通す事が出来なかった。それも遠く離れた地にいるセナ達に限らず、現場で直接相まみえている悪魔達、更に言えば全悪魔の中でも上位三本指に数えられるアルピナとスクーデリアとクィクィであっても同様の事だった。

 そんな彼女達が直接目にして尚も理解出来ない現象など果たしてこの世に幾つ存在するだろうか、というレベルで非常に珍しい。或いは、あったとしても精々片手で数えられる程度しかないのではないだろうか。悠久の時を生きる稀代の大悪魔だからこそ、一見して過剰な評価であっても往々にしてそれは正常な評価である場合の方が多かったりするものだ。

次回、第193話は4/8 21時頃公開予定です。

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