第191話:感情の機微
一寸先すら明確に見通せない宵闇の中を彷徨しているかの様な重苦しい心が圧し掛かる。今直ぐにでも逃げ出してしまいたくなる程に弱い己の心が先鋭化し、得体の知れない外敵に対する抵抗力を削ぎ落す。戦う前から負ける未来だけが眼前に浮上し、微かな希望が蒼海の闇底へと沈む。
それでも、彼らの手には唯一の抵抗力とでも呼べる希望が存在した。人間でありながら人間レベルを大きく逸脱した実力者である英雄は、魔王と呼ばれる強大な力に対抗出来る唯一にして最後の手段。事実、レインザード攻防戦に於いて魔王を一時的乍ら撤退させるという類稀な戦績を残した事実は記憶に新しい。
本来であれば、政に関わる立場にない民間人である彼らの力を借りるべきではないのかもしれない。彼らは守られる側の立場であり、守る側の立場にはないのだから。しかし、そんな彼らの力を借りてでも魔王を撃退しなければ人間という種の未来は瞬く間に閉ざされてしまうであろう。必要が必要である限りは、恥や体裁を捨て去り仮令民間人であろうとも使える力を最大限活用する。そうでなければならないと彼らは一様に確信していた。
当然、その覚悟は心中に留まる事を知らない。相好、瞳、呼吸、凡ゆる要素へと還元されて体外へと放出される。人間として抱く矜持や意地、そして何より本能的に湧出するのは種としての生存本能。創造以来紡ぎ続けてきた種族としての系譜を後世に継承する使命は、凡ゆる生命が共通して抱く本能。家系としての断絶なら未だしも種族としての根絶は何が何でも避けなければならない未来なのだ。
これまでにも、人類存続の危機は幾度となく訪れた。戦争、飢餓、疫病、災害。その原因は多岐に亘るが、その都度人類は壊滅的危機を乗り越えてきた。方法は様々だが、一貫して共通するのは諦めなかった事。何時か必ず希望の光が見えて来ると信じ続け、何度も繰り返し藻掻き続けた結果こそが今この瞬間に凝縮されている。
だからこそ、今回もすべき事は変わらないのだ。仮令その魔王と呼ばれる存在が人間の範疇から大きく逸脱した存在であろうとも、仮令人類では抗う事すら到底許されない様な強大な力を持っていようとも、だからと言ってそれを諦める理由にしてはならない。最期の瞬間が訪れるまで、彼らは足掻き続けるのだ。
そうした意地と矜持による燃え滾る様な覚悟により、彼らの瞳は焔の様に燃え盛る。国家の非平穏的状況を眼前にしているお陰か顔色こそ酷く窶れているものの、その内奥に秘めたる反骨精神までは窶れていなかった。沈痛な空気に押し潰されない様に必死で耐え忍び、英雄を始めとする人類の希望が花開くその瞬間を決死の覚悟で手繰り寄せようとする。
当然、そうした決意や想いはセナやアルバートやルルシエにも届いている。彼らの瞳には、彼らのそうした燃え盛る決意が押し寄せる大波の様にハッキリと知覚できた。只の人間と雖も決して侮れないほどの熱意と覚悟は、彼ら人間種との関わりがあまり深くないセナとルルシエには新鮮な景色として映った。
悪魔である彼らは契約に際して双方の同意を必要とする事から、相手の思考や感情乃至心情を読む事に非常に長けた種族である。勿論、神の子なら聖眼や魔眼或いは龍眼を持っている為、それを利用して魂を覗けば大抵の感情や思考は大した苦労も無く読み取れる。
しかしそんな中、悪魔はそれらの特殊な瞳を使用せずに他者の目に見えない情報を読み取る力が残りの二種族と比較して非常に秀でているのだ。視線や呼吸、態度や声色など、肉眼に映る凡ゆる情報から対象の心を詳らかにするその才能は、主要な契約相手である人間は元より他のヒトの子、更には魂を認識し秘匿出来る神の子が対象ですら有用なほどである。
当然、旧世代の悪魔であるセナは長期間死亡経験を挟んでいるとはいえその力に一切の衰えは無い。抑、彼が死亡したのは第二次神龍大戦初期とは雖もそれは今から僅か700,000~800,000年程度前の事。ヒトの子が神により創造されてから9,200,000年程度経過してからの事である。ヒトの子は当然として、現在生きている神の子の過半を占める新生神の子では絶対に敵わないと断言できる量の経験を彼は積んでいるのだ。
そしてそんな新生神の子の一柱である男爵級悪魔ルルシエでも、ヒトの子の感情の機微を読み取るのは造作も無い事。仮令ヒトの子との交流経験が一切ない処女だとしても、その方法や仕組みに関しては本能レベルにまで落とし込まれて魂に刻み込まれている。それこそ、人間の嬰児が生まれて直ぐ誰に教わるでも無く自発呼吸の仕方を知っているのと同じく、彼女達も誰かから態々《わざわざ》教わるまでも無く全て知悉しているのだ。
それでも勿論、本能で経験に勝る事は出来ない。仮令知識や本能で感情の機微を読み取る術を身に付けているとは雖も、余りに微細な変化や正常から逸脱した情緒への対応は経験が全てに勝るものだ。それは、身体が脆弱な高齢者の介護なら誰でも実行できるのにも拘らず、突発的な動向に対しては完全素人の家族よりも経験豊富な介護乃至リハビリテーションの専門家の方が上手なのと同様だ。
事実、ルルシエとセナでは得られた情報の量や質には大きな差が付いている。同じ環境、同じ視点、同じ時間、そして同じ人物を対象としているにも拘らずだ。唯一異なる要素と言えば自分が英雄として客観的に認められているか否か程度だが、その差は感情の読み取りに於いて重要な要素とはあまり言えないだろう。寧ろ、周囲の期待という色眼鏡が無い分ルルシエの方が俄然有利なまであるだろう。
英雄としてその集団の中から見るセナと、英雄としてその集団に直接的に属する事無くその傍辺から俯瞰的且つ客観的に見るルルシエ。勿論、状況や雰囲気に流される事無く対象の精神状況を見られるのは後者であるルルシエだが、前者であるセナとしても対象と同じ視座で物事を認識出来るという点では有利ではあるかもしれない。それでもやはり、情報の客観性に富むのは圧倒的にルルシエの方だろう。
それにも拘らず、ルルシエとセナでは感情の機微に対する反応が圧倒的に異なっていた。より正確に言うならば、ルルシエの眼で得られる情報はアルバートが彼らを観察して読み取った情報に僅かに毛が生えた程度でしかない。悪魔としての優位性は全くと言って良い程に活かし切れていないお粗末なものだった。
知識や本能の基づく頭でっかちな理論では、悪魔としての永く厚い経験を持つセナは元より抑として人間であるアルバートにすら大した優位性は取れないのである。アルバートはこの世に生を受けてから今この瞬間に至るまでの全てを人間として生き人間としての経験を積み重ねてきた。例え齢20の若造であろうとも、経験と心だけはルルシエに勝る自信はあったし、事実としてそうである。
尤も、例え本能と知識だけの頭でっかちな理論とは雖も、彼のそんな経験を多少ではあるものの上回れるあたりは流石悪魔である。ヒトの子を管理する上位存在としての意地や矜持だけは最低限確保できたと言っても良いだろう。
しかし勿論、そんな彼女の事を悪く言う者はいない。セナもアルバートも、ルルシエを非難したり責め立てたりしようとは微塵も思っていなかった。抑として、ヒトの子との交流が全く以て処女な彼女がそこまで完璧に出来るとは最初から思ってもいなかったのだ。
失敗と改善を積み重ね、成功を経験として蓄えていくのは悪魔も人間も変わらない。失敗は成功に繋がる第一歩であり、失敗を経験しない成功など単なる偶然か身の丈にあっていない低レベルな学習かの何方かでしかないのだ。
次回、第192話は4/7 21時頃公開予定です。




