第184話:成長の環境
そして、だからこそとでも言うべきなのだろうか? そういった人間を始めとするヒトの子の胸中に渦巻く邪な野望や感情を受け入れられないからこそ、それらの感情を宿すヒトの子と直接触れ合ってみたいという想いがより一層強くなっているのだった。アルバートのことは不思議と全幅の信頼と信用を委ねられるほどには受け入れられるからこそ、彼とは異なる感情を味わってみたいのだ。
勿論、彼の事を捨てて新しいヒトの子と親密になりたいわけではない。そんな男をとっかえひっかえして欲を満たす尻軽女になった覚えはないし、そうなりたいとも思わない。寧ろ、そうした薄情で信頼の薄いヒトの子は彼女を含む悪魔にとっては最も軽蔑する対象だ。魂の管理も可能な限り天使に丸投げしてしまいたくなるほどと言えば、その軽蔑具合はよく分かる。
契約で心に寄り添い時間をかけて対価と願望を取引する彼らにとって、短い時間で全てを雑に済ませて短絡的快楽を積み重ねる姿は自身の対極的存在とも言える。故に、そうした者に関しては例え如何なる理由があろうとも決して相容れることもできなければ許容する事も出来ず、さらに言えば妥協することもできないほどに侮蔑してしまう。
そのため、ルルシエとしてもちょっとした社会勉強程度の付き合いしかするつもりしかない。ちょっとでも不快感を覚えるようであればすぐにでもアルバートの影に帰還する用意すらも整えているほどに、彼女にとって彼は精神的支柱のような役割を果たしているのだ。
しかし、そんな彼女がアルバートに精神的な依存を抱いている様子に反して、アルバート自身の想いとしては何とも言えない複雑な気持ちを抱かずにはいられなかった。本当に自分が彼女の精神的支柱のような役割を担ってもいいのだろうか、という思いが脳裏を燻って離れなかったのだ。
別に彼女が自分の影に宿っている事が不快なわけではない。寧ろ感謝と尊敬の念すら抱いているほど。こんなつまらないヒトの子の一欠片でしかない自分にこれほどまでに精力的に協力乃至支援してくれているという事実は、感謝してもしきれないほどの温かい感情を止めどなく湧出させてくれる。
悪魔という種族の名前のせいで余計な警戒と不安こそ抱いてしまったが、蓋を開ければその評価は正反対になったと言って過言ではないほどだ。優しさと思いやりに溢れた信頼と信用の権化とでも言うべきその種族特性は、天使よりよっぽど天使らしい。寧ろ、実在する天使の態度や価値観及び野望の方が、よっぽど悪魔や魔王と形容した方が良いのではないだろうか、とすら最近は沸々と感じる様になってきたほどだった。
それでも、彼女が自身を信頼し信用してくれる限り彼もまた彼女を信頼し信用することを止めるつもりはない。影の中で精神的回廊を構築した相棒として、彼女と二人三脚でセナと共に英雄として更なる経験と成長を積んでいく強固な覚悟を彼は掲げていた。
そして同時にルルシエもまたそんな彼の期待と覚悟に応える様に、可憐で美麗な微笑みを絶やすことなく陽気で明朗快活な態度で彼のためになる凡ゆる支援を模索する。悪魔としてできる最大限の支援とバックアップが施せるように決意を改める。それは英雄としての業務の範疇すらも凌駕する包括的な支援を目したものであり、セナのみならずスクーデリアからも一目置かれている才能を最大限活用したものだった。
また彼女本人は認識していなかったが、それは全てスクーデリアの掌上の事であり彼女の予想と予測の範疇にある態度でしかなかった。これまでに彼女が抱いてきた感情の変遷もこれからの覚悟も、アルバートのこれまで抱いてきた感情の変遷もこれからの覚悟も、全てスクーデリアにとっては手に取る様に筒抜けだったのだ。
スクーデリアはアルバートと契約を結びルルシエに期待を寄せている。草創の108柱として神の手により創造され、アルピナの幼馴染として永久の時間を彼女と共に生きて来た稀代の大悪魔である彼女は、他の大多数の神の子と比較しても頭一つ抜けた実力を有している。だからこそ、他の大多数の神の子に対しては我が子の成長を見守る母親のような慈愛の眼差しを向けているのだ。
当然それはルルシエに対しても同様であり、彼女の才能を最大限活かせるような成長を期待している。その為にも、彼女は先達の神の子としてルルシエに最高の環境を用意してあげる責任感を抱いていた。新生神の子という成長性の塊とでも形容すべき存在であり且つ才能に恵まれた存在だからこそ、彼女はルルシエを自身の後継者のような存在にまで押し上げられる可能性を見出していたのだ。
そしてその環境こそがまさにアルバートであり、彼の相棒として彼と共に人間社会で生活することで彼女の才能を最大限引き伸ばそうと企んだのだった。だからこそ、ルルシエがこうしてアルバートに対して全幅の信頼と信用を抱くことも、アルバートがルルシエに対して全幅の信頼と信用を抱くことも全て想定内だった。寧ろ、彼女の成長を促すためにもそうであってもらわねば困る程だった。
また、それは彼女の成長のみならずアルバートの成長にも効果的だった。契約を結んだとはいえ所詮はヒトの子でしかない彼は、今後の天使との抗争を考慮すれば早急の実力向上が必要不可欠だった。大量且つ複数の加護を付与され、更には個人の力で元から英雄の領域に到達していたクオンと異なり、それこそ加護を増やすか魔界に閉じ込めて集中的な特訓でもさせたいほどに彼の実力は天魔の抗争においては不足していた。
しかし、スクーデリアはそれをしなかった。本人の力に依らない加護の追加付与や、本人の感情に寄り添わない強制的な特訓は悪魔としての道理に反していると彼女は見做していた。当然、彼が相応の対価を用意した上でそれを要望するのであればその願いを叶えることは可能だった。しかし、そうでない限りは彼が自分の力で出来て且つ感情的な負担が及ばない方策を提供すべきだと彼女は確信していたのだ。
その結果がルルシエとタッグを組ませる事であり、十分な力を得るまでの保護者にもなることから彼女の存在はアルバートにとってまさに好都合だったのだ。当然、一心同体とでも言うべき密接な環境で苦楽を共にすることから彼が相応の感情をルルシエに向けることは織り込み済みであり、それすらも成長には効果的だとして利用する用意すら整えていたほどだった。
そんな、自身の与り知らない領域で先達の大悪魔が自分達のために凡ゆる工夫を施して成長を促す環境作りに励んでいた事を知る由もない彼ら二人は、陽気で仲睦まじい微笑みと視線を交わしつつセナの魔法による認識阻害がかけられるのを無言で待っているのだった。
やがて、その認識阻害の魔法は刹那ほどの時間で完璧に構築された。薄い保護膜のような魔力のヴェールが彼ら三人の身体を覆い、客観的な身体を別人へと置き換えていた。しかし、生憎と彼ら三人が相互にその姿を見ても認識が阻害されることはない。これまでと変わらない相互の姿が映るだけだった。
そして、待ってましたとばかりにルルシエはアルバートの影からその姿を見せる。猫が低地から高地に飛び乗る様に、身軽で撓やかな態度で彼女の肉体は顕現した。綺麗に編まれた翠藍色の髪が揺れ、それと同色の瞳が陽光を目一杯受け取って宝石のような美しさで燦然と輝く。同時に、雪のように白く透き通るような肌とそれを覆う可憐で鮮やかながらもやや大人しめなガーリー系の服装が姿を現し、空中を舞う蝶のようにその華やかな色合いを振り撒いていた。
「お待たせ。セナもアルバートも、早速行ってみようよ!」
次回、第185話は3/31 21時頃公開予定です。




