第179話:人間的価値観と悪魔的価値観
だからこそアルバートのみならず、彼女と行動を共にし彼女に不自然なほど好かれているクオンもまた同様の気持ちを抱かざるを得なかった。どれだけ天才的な人間であろうとも、或いは人間を遥かに超越する知能を有した高度な知的生命体であろうとも、それがヒトの子である限り決して到達することができない領域に存在する彼女達に対する感情は、尊敬を通り越したある種の恐怖すらも過ぎ去った無感動な感心だった。
そして同時に、少しでも彼女達の足手纏いにならない様にどうにかして与えられる情報を少しでも多く処理できるように励むのだった。それこそ、これまで過ごしてきた只の人間としての時代からは考えられないほどの情報量を相手に、彼らは血の滲むような覚悟と努力で追いすがろうと奮戦するのだった。
その結果、アルバートはまだだがクオンに関しては少しばかり脳の情報処理能力と記憶力が向上したように彼自身は感じるようになった。果たしてそれが客観的に見てもそうなのか或いは単なる主観的な勘違いなのかを彼自身は判断できかねているが、それでも一定の進歩はあると確信していた。
しかし、それはある種当然の結果だろう。悪魔と契約し、その力の一端を付与され、龍の力に認められ、それらの力を身体乃至魂の内外問わず縦横無尽に放出している。その上で天使と戦い、聖獣を葬り、魔王として人間に恐怖を与える存在として君臨する最中で、それを間断なく行い続けているのだ。
その為、彼の脳に齎される情報量は尋常ではない。本来人間が人間として生活していたならば決して受け取ることがないはずの情報をそれだけ長時間且つ大量に与え続けられているのだから、それに対応できるように脳機能が書き換えられていても何ら不思議ではない。
解剖学乃至生理学を根幹とする各種医学的知識やその他あらゆる知識では到底あり得ない現象だが、しかしそれはヒトの子のパラダイムで語っているからに過ぎない。これは神の子の力による結果であるのだから、当然そのパラダイムが通用するはずがないのだ。
マウスを用いた動物実験が人間に対する効果の参考になるのとは異なり、ヒトの子の知識が神の子に適応することはほぼ限りなくなしに等しい。例え姿形が似ていたとしても、神の子が上でヒトの子が下と言う絶対的な上下関係が崩れることはないのだ。生命という枠組みを超越した相互関係は、生命の枠組みから逸脱できないヒトの子では到底理解できないレベルへと昇華されているのだ。
つまり、クオンの身体は極一部に限り神の子が持つそれに近づきつつあると言えるだろう。天使乃至悪魔と人間では姿形が限りなく同一であり、そのことから客観的に何らかの変化が出ることがないため誰にも理解されないが、それでも着実に彼はヒトならざる存在に近づきつつあるのだ。
勿論、だからと言って彼やアルバートが完全なる神の子へと昇華できるわけではない。あくまでもヒトの子として相応しい程度の領域に留まった存在までしか至れない。逸脱者としての最高位である勇者の領域であろうともヒトの子であることには変わりないのと同じく、どれだけ悪魔の力をその身に取り入れようとも、本質的立場までは覆すことができないのだ。
そしてそれは、当事者であるクオンとアルバートが誰よりも理解できている事だった。悪魔に好かれ、悪魔と契約を結び、悪魔と行動を共にしているからこそ、彼らは誰よりもそのことを深く理解する。自分達がどれだけ人間から逸脱し、同時にどれだけ悪魔に及ばない半端な存在であるかは、彼ら自身にとって自己という枠組みを決定づける本質的な要素として確立されているのだ。
しかし、その中途半端な立ち位置は、だからこそ彼らに定まった一つの解を与えてくれない。第三者と当事者は当然とし、クオンとアルバートの間、そして何より自問自答の先にある回答ですら一つに定めることができないのだ。状況や気分、価値観や雰囲気など、あらゆる状況に応じて蝙蝠のように立場や趣向を変える都合の良い心が右往左往してしまっていたのだ。
それでも、彼らはそれを深く気に留めることはなかった。クオンはアルピナと、アルバートはルルシエとそれぞれ深く密接な友情を紡ぎ、双方に全幅の信頼と友愛を向け合っているという事実がある限りそれでよいとすら思っていた。例え彼女達が異なる種族、さらに言えば生命としての枠組みからして本質的に異なる存在であろうとも、大きな不都合やトラブルなく付き合えている限りにおいては然したる重要な問題足りえなかったのだ。
『まさか、そんなことないだろう。一応、全体の世論としては英雄の凱旋に伴う祝賀って方向に傾いてるんだ。批判的な立場が台頭するのはもう少ししてからになるんじゃないか?』
ルルシエのやや懐疑的な仮定に対して、アルバートは笑いつつ反対の立場を表明する。しかし、その笑いは決して彼女を嘲笑するためにあげられたものではなく、流石にそこまで国民も愚昧ではないだろうという仮定に基づく笑いだった。
それは同じ人間だからこそ抱く、そうであってほしいという願望に基づくものだろうか? 或いは、流石の悪魔の発言といえどもそれはあり得ない、と無意識のうちに確信してしまっている為なのだろうか? どちらにせよ、流石にそこまで愚昧であってほしくないという願望がその根底にある事には間違いなかった。
彼は人間を信じていた。クオンのように、人間ではなく悪魔的な価値観を中心軸とした非俗世間的な思考に染められるほどには柔軟な思考をしていなかった。勿論それはクオンを軽蔑しているのではなく、ある種の尊敬を込めた考え方によるものだった。
何より、彼はまだ人間的な思考を捨て去ることはできなかった。それは彼が神の子の存在を認識して間もないというのもあるが、何より英雄だからというのが大きい。英雄として人間社会で表立って生活しつつその顔と功績を売らなければならない都合上、人間的な側面を捨てることは許されないのだ。寧ろ、自身の人間的側面でセナやルルシエの悪魔的側面を上書きしていく必要すらあるのだ。
また、それは裏を返せばクオンの思考回路や価値観がそれなりに悪魔を中心軸としたものへと上書きされつつあるということである。アルバートより悪魔との付き合いが長いことと、心を折られる事なく平常心で悪魔と契約を結んだこと、そして何より複数の悪魔と契約を結んだことによる影響だった。
実際、クオンはアルバートと異なりかなり人間の心を失いつつあるようだった。多少の人的資源の損失に対して感傷的になることはなく、眼前で悪魔が無垢の民草を殺めても感情を揺さぶられることがなくなりつつあった。未だ自身が人間と剣を交えることには抵抗があるようだが、それでもアルバートのように完全拒否という訳ではなかった。
悪魔的価値観を否定しつつ人間的思考を信じるアルバートはそんなクオンの様子を窺いつつ、いずれは自分も彼のようになるのだろうか、と偶に考えることがある。今でこそこうして悪魔の発言を笑いつつ人間の思考や世論を信じているが、いずれはそうした人間社会では当たり前のことよりも悪魔の考えを主として賛同するようになるのだろうか、と自身の価値観が揺らぐ可能性を訝しがらざるを得なかった。
勿論、彼もそれが悪いことだとは思っていない。人間の価値観も悪魔の価値観も、時代や場所や種族に則した最適な価値観だということは理解できている。その上、そうした異種族の価値観に染まったクオンの事を裏切り者のように忌避したりもしていなかった。寧ろ、同じ状況を共有する同族的な同情の念のほうが大きかった。
次回、第180話は3/26 21時頃公開予定です。