第178話:記憶力
当然、そんなことを面と向かって突きつけるほどセナもルルシエも愚昧で外道な心は持ち合わせていなかった。本心をグッと押し殺し、英雄として相応しい言葉を模索して無感情のそれを紡いでいく。それが正しい選択なのかはわからなかったが、しかし最善の選択であることには相違ないだろう。
本心とは他者に晒して初めてその本性を理解されるものだが、時として押し殺すことによって相互の円滑な人脈形成を促すことだってある。或いは、人間という種の本質としては本心を晒すべきではないのかもしれない。自己を封殺し、他者に自己を照らし合わせることの方が社会構造の形成にはより適しているのかもしれない。
対して悪魔は、本音と本質による相互理解を基本とする。そもそも、悪魔に限らず全ての神の子は魂を見通す瞳のおかげでよほどの手練れでない限り嘘が通用しない。そして、天使や龍は階級による縦割り社会を重視している——龍の場合は、皇龍若しくは龍王とそれ以外という非常に大雑把なものでしかないが——のに対し、悪魔は階級を無視した包括的で平坦な構造を持っている。
それにより、他の神の子と比較して悪魔は話し合いによる相互理解の機会が非常に多くなるのだ。その結果、どのみち嘘は通用しないから、という気持ちから本音と本心のみで語ることが本能に刷り込まれていったという経緯があるのだ。
故に、セナもルルシエも人間達との価値観の乖離に対する本音をグッと堪えて人間達の思い描く心情に寄り添う。仮初の感情で創出したペルソナを顔面に貼付し、都合の良い怒りの捌け口として利用された王城に心中で同情するのだった。
だからこそ、人間達は英雄に心酔するのだろうか? 人間達の心に寄り添い、その心身を犠牲にしてまで巨悪と立ち向かう自己犠牲的な精神が、彼ら彼女らの脳髄に麻薬的作用を齎しているのだろうか? 或いは、悪魔という種族として本能的に有する魂の掌握術により無意識的な信奉を抱いてしまっているのだろうか?
全てが正解のようでもあり、同時に全てが誤りなのかもしれない。魂の深奥に存在する深層心理を覗き見ればその答えは自ずと導き出せるだろうが、しかしそれをするほどの価値をヒトの子から見出すことはできないだろう。故に、神の子としても態々それを見てやろうとは思わなかった。
それから暫く後、ブルームを離れてから数分ほど経過した頃。三人は迷子の子供のように視線を右往左往しながらも、広大な王城をそれでも着実に下っていき城下町へと近づいていく。徐々に大きくなる喧騒の調べだけが現在地を把握する頼りであり、それらしき看板や案内は一切存在しなかった。
故に、アルバートはやや不安げな相好を浮かべながら周囲を窺うように視線を泳がせながら歩かざるを得なくなってしまった。傍目から見れば完全な不審者だが、しかし周囲は挙って英雄の称号に対して恭しい態度を見せてくれた。
対してセナはそんな複雑な立体構造の王城を一切迷うことなくどんどん進んでいく。まるで長年住んでいたかのような足取りは、英雄らしい堂々とした態度を殊更に強調していた。その理由は単純明快であり、セナはこの城の構造を完全に把握していただけである。関係者なら誰もが入れる場所から一部の高官のみが立ち入れる地、更には王族をはじめとする一部の特権階級のみに伝えられている隠し通路にいたるまで、彼の脳裏には王城全体の設計図が立体的に描かれていた。
そしてセナに限らずルルシエもまた同様に、その構造は玉座の間から壁に開けられたネズミの巣穴に至るまで完全に把握し記憶されている。影から影へ飛び移る様にして構築された彼女の情報網にかかれば、つい先ほど行われた英雄による国王との謁見式ほどの時間で十分すぎるほどには容易いことだった。
そうして集められた情報が彼女からセナへと与えられ、同時にアルバートにも共有された結果が現状なのだ。なお、与えられた情報を英雄としての振る舞いの裏に隠された余剰意識で完璧に処理できたセナに対して、アルバートは全くと言ってよいほどに理解できていなかった。
それは単純に、セナ乃至ルルシエとアルバートの根本的な種族としての性能に左右された結果だった。英雄の領域に到達しているとはいえども只の人間、即ちヒトの子でしかないアルバートに対し、セナもルルシエも純粋な悪魔、即ち神の子である。外見上は全くと言って差し支えないほどには差異がない両者だが、目に見えない内面の差異は天と地ほどもかけ離れているのだ。
改めて、アルバートは自身とセナ達の差には呆れる事しか出来なかった。人間たちにバレない様に必死に隠しているが、だからこそそうした神の子の常識外れな能力の高さを強く意識してしまっていた。
なお、そうした情報はアルピナ達にもある程度は共有されている。勿論、全てを逐一報告していてはキリがないためある程度取捨選択したものには限られてしまう。それでも、ヒトの子では全て処理するにはそれなりの時間を要するほどには膨大だった。
例えば四騎士を含む王国に属する全兵士一人一人の動向。決して彼女達に有効な攻撃力を有しているわけではないが、下手に巻き込まないため、或いは適度に利用する為にもその動向をある程度は把握しておきたかった。
また、城に潜伏している天使のちょっとした悪戯で祝福を与えられてしまい、彼らが悪魔に対する特効を知らずの内に持ってしまう可能性も考えられる。勿論祝福程度で揺らぐ実力ではなかったが、それでも事前に知っておいた方が天使の動向も多少は予測できる可能性があるのだから知っておいて損はないだろう。
それ以外にも国として掲げる対魔王の動向や魔王に対する為政者各自の心情、国民に対する通達の内容や今後の方針など、あって損はない情報は枚挙に遑がない。それらすべてが精神感応を通してアルピナ達魔王に全て横流しされているのだ。
しかしそれを為政者達は知らない。希望の光と目される英雄がまさか魔王の内通者だとは誰一人として考えなかった。実際は内通者ではなく限りなく魔王そのものと言って過言ではない存在なのだが、それに思い至れるほどに彼ら彼女らは聡明ではなかった。
一方アルピナ達は、そうして得られた情報を全て脳内で処理して一欠片の取りこぼしもなく記憶していく。スクーデリアは当然として、アルピナもクィクィも普段の傲慢で傲岸不遜で冷酷で明朗快活な態度からは想像し難いものの、かなりの知恵者なのだ。
それこそ、この地界に存在するどんなヒトの子でも彼女達には敵わない程度の知能は最低限確保されている。記憶力も情報処理能力も、あらゆる能力がヒトの子レベルからは大きく隔絶されており、神の子としてもそれなりの上位層に数えられている自信すら持っている。
特にアルピナは悪魔公として全世界に存在する全悪魔を管理及び統括する立場にあることから、彼らに関する情報は全て把握している必要があった。その為、神の子の名前と顔と魂の色に関しては第二次神龍大戦終結以降に生まれた所謂新生神の子以外は全て記憶している。またその新生神の子に関しても、この世界で生まれた者に限るもののレインザード滞在中に全て確認し記憶したため問題ない。
神の子の数は非常に膨大である。一つの星に限ってもヒトの子は数千億と存在しており、そんな星が地界には数千億と存在している。その上、そんな地界を内包する世界は蒼穹内に数千億と存在しているのだ。そんな彼らを管理する必要がある以上、それにふさわしい数だけ神の子は存在していることは言うまでもないだろう。
神龍大戦で大半が霧散乃至復活の理で神界送りになったとはいえ、天使と龍はヒトの子の価値観では膨大と言って差し支えないだけの数が生き残っている。それらの生死及び霧散したか否かといった魂の状況を把握することはヒトの子の脳の処理能力ではまず不可能だろう。しかし、それをやってのけているのだから彼女の能力の高さがよくわかる。
次回、第179話は3/25 21時頃公開予定です。




