第173話:世代の移ろいと価値観の変遷
人間社会に潜入している天使達の悪意がすぐそこに迫っているかもしれないというのにそれだけの無防備な姿を曝け出せるのは、偏に彼女達がどの天使よりも強いからだろう。最低限セツナエルの居場所さえ把握できていれば、基本的に彼女達は負けることがないのだ。だからこそ、彼女達はその強者としての特権を最大限活用して人間社会を楽しんでいる様だった。
なんとも羨ましいことだが、それができるのは実力と実績と地位があってこそ。たかがヒトの子でしかないアルバートにとってみればないもの強請りでしかなく、考えるだけ時間の無駄でしかなかった。その為、どうにかして騒ぎを起こすことなく安心且つ安全に王都を散策する方法を模索するしかなかった。
「俺もできればそうしたいところなんだが、あの騒ぎで降りようものならすぐに身動きが取れなくなりそうなんだよなぁ。それに、ルルシエの姿を見られたらなんて疑いを賭けられるかわかったもんじゃない。どうにかして、人目を避けるか俺達が英雄だと気付かれないようにするしかなさそうでな」
やれやれ、とばかりにアルバートは溜息を零す。鋸壁に凭れ掛かったその狭間から崖下の城下町を見下ろしているが、一向に人波が捌ける様子はない。それどころか、このブルームから城下町を見下ろしている姿が見つかってしまったようだった。喧騒とともに手を振ったり指で指し示したりする姿がチラホラと見えるのだ。
魔力のおかげか視力が常人を優に上回る彼の眼で漸く識別できるほどの距離にも拘わらず、何故か彼らはアルバートの姿に気付いたようだった。敬愛と尊敬の渇望は人間の限界を一時的に凌駕させることがあるということだろうか。真偽は定かではないが、暫くは王城から出られそうにないことは明々白々だった。
一体彼らは何時までああして王城の入り口前に屯するつもりなんだろう、という疑問がアルバートの心中に沸々と湧出する。そもそも、具体的なスケジュールが公開されている訳でもなければ、そもそも王城から出ることすら確定ではないのだ。場合によっては城内の宿舎に一泊する可能性すらあるし、寧ろその可能性の方が高い。英雄は国にとっての宝であり希望なのだ。こうして王城に招かれた時ですらあれだけの待遇を受けたのだから、まさか宿泊場所が城外に点在する民間の宿場になる可能性は限りなくゼロだろう。
それにも拘らず、彼ら彼女らはああして英雄が出てくるその瞬間を今か今かと待ちわびている。一体何がそれほどまでに彼ら彼女らの熱意を後押ししているのかは全くもって不明だが、それでも一定の感心だけは抱くことができる。それこそ、色々な感情が綯交された溜息を零してしまうほどには、彼ら彼女らの熱狂具合には感心していた。
そして、人間のアルバートでさえそんな感情を抱いてしまうのだから、悪魔であるセナやルルシエが抱く感情はそれ以上のものなのは確実だった。人間と価値観が異なる彼らの心中では、アルバートが抱くそれ以上に複雑な感情が綯交されて入り乱れていた。
神の子がヒトの子の管理者なのは言うまでもないが、人間は神が天使と悪魔を参考にして創造したものなのだ。その為、本来であれば人間の持つ価値観は天使や悪魔と限りなく同一のものであるはずなのだ。それにも拘らず、セナもルルシエも眼下の人間達の真意を理解することはできなかった。
それは、長い時の流れで親から子へ、子から孫へと世代が交代するにつれて価値観が複雑に変化していったことの何よりもの証左だった。ヒトの子と異なり、神の子は外的要因で肉体を滅ぼされない限り半永久的に生き続け、例え滅ぼされても時間さえあれば復活する種族。その為、世代交代による思想や価値観の変化を経験することが不可能なのだ。
そもそも、世代の移ろいは単なる子孫繁栄の為だけに存在するのではない。血が混ざり合い、遺伝子が組み合い、魂が宿ることで、新たな命はこれまでの誰とも異なる唯一無二の個として誕生する。趣味も、思考も、感情も、価値観も、全てが異なる新しい生命としてその産声は世代が移ろうことによって初めて上げられるのだ。
何より、天使が司る輪廻の理も悪魔が司る転生の理も、そうした世代の移ろいによる価値観等の変遷を促すことも目的として生み出されたシステム。魂を満遍なく循環させることで、偏った思想や狭窄した視野を生み出さないように仕組まれているのだ。
神の子に与えられた職務により神の子が理解できない変化が現れるというのは何とも言えない皮肉だが、ヒトの子が神の子に完全屈服してしまわない為の予防措置としての働きも担っているのだろうか。その真意は神に直截問いたださなければわからないが、態々聞くまでの事でもないだろう。
そして、そんなアルバートの悩みを解決する一手を提案するのは彼と同じく英雄として人間社会に潜入しているセナだった。彼は、純粋な悪魔としての知識と技術でアルバートとルルシエの望みを叶えるための手段を提案する。伯爵級という悪魔としては中間位に属する彼も、言い換えれば神龍大戦を経験した猛者。肉体的死から復活間もないといえどもアルバート程度なら軽く捻りつぶせるだけの力は残っている。その上、レインザード攻防戦のおかげで全盛期の力量を取り戻しつつあり、今や遺剣の力を借りずとも主天使級天使までなら互角に戦えるクオンとも互角に戦えるだけの力を獲得していた。
そんな彼からの提案は非常にシンプルなもの。決して暴力的でもなければ過激なものでもない。人間達には一切の危害を加えない悪魔らしいものだった。
「こうなったら、バレないような変装をするか、或いは魔法で認識を阻害するしかなさそうだな。あまり町の中で魔法を使うべきではないと思うが、このままだったら明日以降も王城から出られそうにないしな」
仕方ないな、とセナもまた鋸壁に腕を乗せて凭れ掛かる。そしてそのまま、眼下で騒めき立つ人間達の群れを見下ろした。
認識阻害は、対象に魔力のヴェールを被せることにより別人へとその認識を書き換える魔法。魂ではなく肉体に作用するために聖眼や魔眼、龍眼といった神の子の眼には何一つ効果がないのが難点だが、しかし王都は人間の町であることから大した問題足りえないだろう。或いは、認識阻害がかかっているにも拘らず彼らを英雄本人だと認識する人物が現れたらそれは神の子だと炙り出せる可能性すら秘めているのだから、一定の利用価値はあるだろう。
菫色の瞳を金色の魔眼に染めることで露呈される彼ら彼女らの魂をジッと眺め、セナはその深奥に隠された彼らの彼女らの本心を丸裸にする。特別な力を持たない彼らヒトの子ではセナの魔眼に抗う術はなく、墓場まで持っていくと誓っているような秘密すらも全て把握されてしまう。尤も、一個人の秘密程度に対した価値はないためセナも態々一つ残らず入念に確認しようとは思わなかった。ザッと全体を一瞥しつつ、彼らが抱いているであろう共通認識や全体的な価値観の傾向を分析していく。
英雄としての存在を疑われることがないよう臆病であり、且つ悪魔である自負を忘れない大胆な態度でその金色の魔眼は陽光を受けて燦然と輝く。地上に存在するあらゆる宝石を上回る美しさは、ルルシエや他の神の子にも共通する彼ら彼女らの特権。ヒトの子は自力で手に入れることの能わない権能であり、それが却って自らが純粋無垢の人間でないことを示す客観的証拠となる。
だからこそ、細心の注意を払って扱わなければならない。そうしなければ、他者の魂に打ち込むはずの楔が無意識のうちに自らの首を絞めることになりかねないのだ。流石にそんな間抜けになることだけは御免被りたいのが、この場にいる三者の共通認識だった。
次回、第174話は3/20 21時頃公開予定です




