第171話:悪戯色の遊び心
また、アルバートとルルシエの恋愛関係に関する口出しや揶揄いに限らず、彼女は復活してからというもののクオンやアルバートに対して悪戯色の遊び心を利用して様々なちょっかいを出していたのだ。一欠片の悪意も乗せられていないそれは、決して誰も不快になることがない清らかなもので、クオンもアルバートもある種の享楽すら見出す程だった。
そして同時に、それはアルピナやスクーデリアといった昔馴染みからは懐かしさを併せ含む温かな眼差しで迎え入れられていた。神龍大戦という殺伐とした命の取り合いの最中であっても失われることがなかったそれは、ある種の清涼剤としての役割を担っていた過去があるのだ。そうした経歴もあり、クィクィの存在価値は彼女自身が思っている以上に重要なものへと昇華していたのだ。
故に、無駄なことをあまりしたがらないアルピナですら彼女の遊び心は一緒になって楽しむ事が意外と多いのだ。彼女は朝な夕な傲岸不遜で威風堂々とした態度を隠すことなく曝け出しているために勘違いされやすいが、これまでに他者を軽蔑したり侮辱したりしたことは一度たりともない。現実的な評価を下して他者にその現実を突きつけるか、挨拶としてのちょっとした揶揄程度に留まっている。
その為、あまり他者と一緒に遊ぶ姿が想像できない彼女にしては、正に異様ともとれる行動だった。スクーデリアがその背後で溜息を零している姿が脳裏に浮かぶほどに、アルピナもまた悪戯色の遊び心を湧出させるのだ。幾星霜の過去から変わらないそれは、これまでにも数え切れないほどの享楽を見出してきた。
それでも、彼女はそうしたアルピナの態度を改めさせようとは思わなかった。決して誰かが不快になるようなことでないことから、態々止める必要性が見出せなかったのだ。勿論、程度が過ぎるようであればそれとなく制止することはあったかもしれないが、何よりそれ以上の厄介事をクィクィと協力して制止することで頭が一杯で余裕がなかったのだ。尤も、そのおかげもあって今になってもアルピナはスクーデリアとクィクィには頭が上がらないのだが。
それは、アルピナとジルニアの戦い。蒼穹や世界を舞台にして度々行われていたそれを制止することが何よりもの彼女にとっての悩みの種だったのだ。そして、だからこそクィクィのそうした遊び心は疲れた思考を癒してくれる大切な存在として愛していた。
当時を知るセナは、言語化できない複雑な心境に困惑とも当惑ともとれる溜息を零していたアルバートを心中で笑っていた。但し、それは嘲笑ではなく単なる微笑ましさに由来するものだった。クィクィの遊び心の標的にされた彼の心境を察し、天使との抗争を忘れられる平和的な光景に当時の懐かしさを当てはめていたのだ。
逆に、当時を知らないルルシエはアルピナの意外な一面を目撃して驚愕とまでは言わないながらも驚きを最初は隠せなかった。クィクィとは彼女がルシエルの支配下に落ちる前に会ったことがある為にその性格も把握していたのだが、アルピナはレインザードの件で対面するまで一度も会ったことがなかった。その為、スクーデリア達の話でしか聞いたことがないため、彼女の本質的な性格を完全に読み違えていた。
それでも、今となってはそうした驚きの感情は鳴りを潜めていた。アルバートと異なりクィクィの遊び心の標的にされた経験が幾度となくあるからというのもあるだろうが、何より同じ種族だからという側面からだろう。同じ種族だからこそ、クィクィの遊び心を抱く理由やアルピナがそれに合わせる理由もそれとなく理解できるのだ。
そして、そんな悪魔の意外な側面に触れるアルバートとクオンは当然の事乍ら彼女達の掌上で弄ばれ続けている。人間達と異なり他者の心を魔眼を通して見透かすことができる彼女達は、的確に彼らが困惑する様な事ばかりを重点的に狙うことができる。そして同時に、心が読めるからこそ不快感の色が僅かにでも出てきそうな気配が感じられたらその時点で悪戯から手を引くこともできるのだ。
その為、アルバートもクオンも彼女達の悪戯に振り回されて困惑することはあれども不快になることはただの一度もなかった。そして、だからこそ彼らは悪魔達との交流に対してより一層の享楽と過ごしやすさを見出すことができた。人間社会への恋しさすら忘れかけてしまうほどに、彼らの心は悪魔色に染まりつつあったのだ。そして、それが余計にアルバートの英雄として受ける民草からの賞賛と悪魔の仲間という現実の乖離を助長しているのだから、何とも皮肉なものだろう。
「それは構わないし好きにすればいいと思うが、あんまり目立つようなマネはするなよ? まぁ、お前の事だから大丈夫だとは思うがな」
アルバートは足元に広がる影から身体を伸ばすルルシエを見下ろしつつ、緊張感のない長閑な声色で念押しする。決して彼女の能力を過小評価していたり信用していないというわけではない。純粋な心配から生み出された言葉だった。それも、英雄としての立場が揺らぎかねないことに対する心配ではなく、共に戦う相棒の身を案じた心配に由来するものだった。
勿論、悪魔であるルルシエの心身に危険を及ぼすようなことを人間達ができるとは到底思えない。しかし、自分たちと同じく人間社会に潜伏している天使達ならその限りではない。男爵級、即ち新生悪魔でしかないルルシエでは例え他の上位悪魔達による鍛錬を受けているとはいえ勝てる天使は限られてしまう。その上、天使と悪魔の相性差を考慮すれば、勝てる相手であろうとも油断はできないのだ。
そして同時に、その言葉は彼のそうした心配のみならずルルシエに対する信頼から齎されるものでもあった。自分では到底追いすがる事すら許されないような隔絶された実力差を持っているのだ、という確信に由来する安心感の方が悪魔という異種族に対する不信感より何倍も大きい。例え出会って僅か数日しか経過していない浅い関係性であろうとも、彼女に対するその信頼は他のどんな人間に対して向けるそれよりもはるかに強固である。
しかし、彼のそうした悪魔という人ならざる存在に対する信頼感は、或いは潜在的恐怖に由来する畏怖や絶望感からの逃避行動として表れ出た感情なのかもしれない。それほどまでに、悪魔という存在はこれまでの人生で蓄積されてきた彼のあらゆる価値観を正面から叩き潰せるだけの衝撃を内包しているのだ。
そもそも、プレラハル神話において天使と悪魔は善悪の象徴、或いはそうした概念を擬人化したような存在としての扱いを受けている。その為、天使や悪魔が仮に実在するとしてもその本性はそれぞれ善か悪の両極端に位置しているという考え方が基本だった。
しかし、そうした思考とはまるで異なる悪魔達の人間臭さい言動や気さくで身軽な態度。それは価値観に多少のずれこそあれども、現実の彼らを知らない無垢の人間達が抱く印象と比較すれば随分と人間社会に馴染むものだった。宛ら猫を彷彿とさせる彼女らの自由奔放具合は、寧ろちょっとした愛着すら抱かせてくれる。なまじルルシエの瞳がアルピナと同じく猫のような形状と大きさをしていることからも、アルバートが彼女に抱くその印象に拍車をかけた。
彼女の翠藍色の瞳が陽光を受けて燦然と輝き、眼下で喧噪を上げる民草の揺らめきに合わせて視線が可憐に踊る。たかが英雄如きにこれほどまでの騒ぎは過剰反応が過ぎるのではないだろうか、と思わざるを得ないのは彼女が悪魔であることの何よりもの証左だろう。
次回、第172話は3/18 21時頃公開予定です。