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ALPINA: The Promise of Twilight  作者: 小深田 とわ
第3章:Mixture of Souls
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第165話:立場故の思考

 その為、東方地区の不審な蠢動に関してはエフェメラ諸共ルルシエに丸投げし、セナは改めて眼前の騎士と貴族に意識を向き直る。何れ訪れるであろう接触の時を楽しみにしつつ、喫緊の問題であるベリーズで暴れる魔王に対して英雄は視線と意識を取り戻した。


「だとしても、誰が向かわれる御積もりですか? 魔王の力は非常に強大でしょう。生半可な覚悟と戦力で向かったとしても、助けになるどころか徒に死体の山を増やすだけになりかねません。そうなったら、どうして民草の理解を得られるでしょうか?」


 声を上げるのはビッテンガルド伯ユークリウス。六大貴族としてそこそこの経歴とそこそこの地位を保持する男で、六大貴族の中では最も影が薄い人物。それでも、世論への影響力と民草からの人望は他の六大貴族にも引けを取らず、その立場に相応しいだけの気概と覚悟を宿している人物として評判だった。

 そんな彼は、同じ六大貴族であるレッドフィールド男爵レイラから齎される意見に対して反駁の意見を表明する。絶対的な地位が下とはいえ、相手の方が相対的な影響力は断然上である。地位と権力に胡坐をかいて漫然とした態度で接することがないように、何より国王陛下の御前であることから決して無礼がないように努々注意しつつ、彼は自身の心中を言語化する。

 積極的姿勢を示したのは六大貴族側だが、こうした消極的失政を表明するのも往々にして六大貴族側である。四騎士や英雄と異なり必要最低限の武力すら持たない彼らとしては、戦闘行為に対して消極的な姿勢になるのは仕方ないことだろう。何より、兵士達の土台を形成しているのは民から徴収する税と貴族からの寄付である。自分達の善意を徒に浪費するようなマネを眼前で行われようとして平気な顔ができるはずがない、というのが彼らの本音だろう。

 それでも、戦わずして平和を獲得できない事もまた事実であり、それは貴族である彼らをして理解できること。その為、積極的な姿勢と消極的な姿勢が両立してしまう。為政者として民草を先導する立場であるが故の理解は、時として自身の立場に蝕まれてしまう良い例だった。

 結果として、六大貴族としての意見は真っ向から二分されてしまう。四騎士達のように積極的姿勢で解決を図ろうとする立場と、消極的姿勢で事の成り行きを見守ろうとする立場の二つ。そのどちらの立場にも正義があり、どちらか一方が必ずしも誤りであるとは言い切れない。

 それは国王や四騎士、英雄としても理解できるものである。その為、彼ら貴族の対立した意見に引きずられるように彼らの意見もまた二分してしまう。

 以前より、四騎士は意見が対立することがあまりない。彼らは貴族の善意や民草の税を利用して行動する側の人間であるが故に、寧ろいつまでも王城に待機してただ飯を食らっている方が民草の反感を買いやすいのだ。

 それが今回は見事なまでに意見の足並みが揃う気配が見られない。決して悪いことではないのだが、普段とは異なる様子であるが故に誰もが違和感を覚えてしまう。寧ろ、誰か一人の意見に流されるがままの惰性的方針を立ててしまう可能性が限りなく少ないといえば良い兆候とも言えるだろう。

 しかし、堂々巡りする会議は時間だけが徒に浪費されてしまう。こうして悠長に会議している間にも、ベリーズからは間断なく衝撃が齎される。人々の心に恐怖を齎す魔王再来という絶望的知らせに、誰もが終末世界の到来を夢想してしまう。

 それほどまでに、彼ら人間達が置かれている状況は悲惨と隣り合わせにある。刻一刻と過ぎる時間が彼らの心の焦燥感を齎し、それが却って正常な思考を削ぎ落とす。結果として、誰の心にも不安と恐怖と焦燥が綯交された不安定な力場が渦巻き、背筋を凍らせるような冷たい汗が全身に滲出する。

 そもそも、魔王達の目的は何なのか。魔王とは何者なのか。そして魔獣とはどのような関係性なのか。アルピナ、スクーデリア、クィクィ、そしてクオン。名前以外の一切の情報を未だ得ることができず、それが一層の焦燥感を齎していた。

 恐怖と不安と焦燥が彼らの正常な思考回路を麻痺させ、麻痺した思考回路が統一した意思決定を阻害する。非統一な意思がさらに彼らの恐怖と不安と焦燥を煽り、そうした負の螺旋階段が彼らの思考の泥濘に深く突き刺さっていった。

 しかし、そうした彼らの様子をすぐ間近で目撃しつつもセナとアルバートは 積極的に意見を述べるようなことはしなかった。できなくもないし、寧ろ英雄という地位や階級に縛られない特殊な立場として積極的な意見を提示するべきかもしれないことは重々承知していた。しかし、この場においては敢えて向こうから意見を求められない限りは静観することで人間達の動向を観察することに決めた。

 それは、何処かに潜んでいる天使の邪魔を危惧している為ではない。そもそも上位三隊の階級に属していない限りはセナでも十分対処可能であることから、よほどのことがない限り態々目くじら立てて警戒する必要はない。ただ純粋に、人間達がこの問題に対してどのような解決策を導き出すのかが気になっただけだった。ヒトの子の心を仕事道具とする悪魔らしい興味関心とも言える態度だった。

 そんなセナ達の自由本坊な態度に一切気付くことなく、六大貴族も四騎士も揃って唸り声をあげて黙り込む。腕を組む者もいれば頬杖を突く者、天井を見上げる者もいるなどしてその態度は様々だった。ただ共通しているのは、決して顔色が良いとは言えない事だった。

 荘厳で煌びやかな天井画だけが忌々しいほどに快適な楽園を描いて彼らを見下ろし、倒錯した心情風景が彼らの心を一層傷つける。その天井画の基となった神話のように非現実的な状況がすぐ手の届くところで繰り広げられ、だからこそ、彼らはその先行き見通せない状況に苛立ちを隠しきれなかった。

 或いは、神話に登場する非現実的な超常の存在に無意識的な救済を求めているのかもしれない。人間達の平和と安全を願う救済の理想形とも言える天使のような存在が、こうして悩めるヒトの子に手を貸していただけないだろうか、という願いは例え無神論者であろうとも無意識に抱いてしまうものだった。

 しかし会議の俎上に載っている騒ぎの原因がその天使であるとも知らず、彼らは他力本願の解決策を心中の片隅に宿していた。そして同時に、彼らが自身を脅かす外敵の象徴として忌々しく思い始める悪魔こそが、自分達の命を守る救済の手だと理解することはなかった。悲しいほどに倒錯した認識の乖離は、神龍大戦時から変わらない様式美だった。

 そんな神龍大戦時から変わらない彼ら人間達の態度は、当時を知る悪魔であるセナには懐かしさすら感じられた。逆に、当時を知らないルルシエやアルバートには無様にも滑稽にも感じられた。しかし同時に、そう勘違いしても仕方ないだろうとも思えた。

 神話において人間側に立ったのは天使であり、悪魔は人間に危険を振り撒いた厄災の象徴ともいえる存在なのだ。まさか神話が誤っているとは到底考えることはできず、仮にできたとしてもそれは誰の眼にも単なる妄想としか映らない。

 同様に、彼ら六大貴族や四騎士も、無意識的に天使に救済を求めていた。天使に最も近い神の子とヒトの子の懸け橋的存在である天巫女が同席している事もあり、その願いは一入だった。しかし、いつまでも現実逃避できない事もまた誰よりも理解できた。そのため、理想と幻想に依存した妄想的願望に浸るのではなく、対立する意見をどうにか一つに絞ろうと策を講じる。

次回、第166話は3/12 21時頃公開予定です。

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