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ALPINA: The Promise of Twilight  作者: 小深田 とわ
第3章:Mixture of Souls
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第162話:思考

 また、そうした経緯がありツェーノン家はレッドフィールド家と対極した価値観を抱くようになったとされている。

 しかし、だからと言って両家が対立しているわけではない。寧ろ、同じ境遇でありつつも全く異なる価値観を抱いた者同士として古くから深く良好な関係性を築いている。それは初代当主の代から現在の当主に至るまで不変であり、グルーリアスとレイラもまた同様に互いを信頼し尊敬しあっている間柄である。

 故に、グルーリアスはレイラの意見に対して一定の理解と賛同を抱く。勿論、決して仲の良さから思考を放棄して賛同しているわけではない。あくまでも全体を俯瞰して考慮した上での彼なりの判断思考は保たれている。

 しかし、彼はその意見をすぐさま言語化したりはしない。彼は四騎士の筆頭という立場から、どうしても自身の発言には他の参加者以上の影響力が込められていると知っている。故に、その脳裏に描いた賛同意見が本当に情勢を好転させるに足るものであるかを吟味しなければならなかったのだ。

 それほどまでに、彼は慎重かつ聡明だった。或いは、国家を安全に繁栄させ続けることを第一の使命とする立場を長年継承し続けてきた一族であるが故に刷り込まれた本能的思考かもしれなかった。いずれにせよ、彼は自身の思考回路が本当に正しいものであるかを今一度確認する。決して傲慢にはならず、決して臆病にもならず、最大限の結果と最小限の犠牲で終結できる道を探り続ける。

 しかし、例え彼がどれだけ知能面に優れていようと、例え彼がどれだけ王国にとって有用な一族の人間であろうとも、所詮はヒトの子の域を越えることはできない。英雄の領域に至ったアルバートでさえ所詮はヒトの子でしかないのだから、それは仕方ないことだろう。

 そして、ヒトの子がヒトの子でしかないということは、即ち神の子には到底敵うことができないということ。それは武力の面でもそうであるが、同時に知能の面でも同様である。草創の108柱という最古の神の子として生を受けたアルピナやスクーデリアは当然として、中堅世代であるセナはおろか新生世代であるルルシエにすら、クオンのように勇者の領域に到達できない彼らは到底追いすがる事すら許されない。

 その為、魂を全て曝け出しつつもそれを認識できないグルーリアスの思考は全て魔眼の前に露呈されてしまう。決して見られてはマズい代物ではなかったが、秘匿する優位性を全て失ってしまっている事に気付く事すらできないのは屈辱的な事実だろう。尤も、気付けないからこそ傷つく事がないと言えば幸いかもしれない。

 それほどまでに、神の子とはヒトの子が持つ常識の枠組みで考えてはいけない領域に立つ存在なのだ。本来であれば同じ土俵に立つことすら許されず、敵対する意思をみせることすら烏滸がましいとされるほど。正体を隠し、こうして人間対魔王という構図を形成しているとはいえ、本来であれば到底存在しえない対戦カードなのだ。

 そして、それを為している主犯格がアルピナだという事実がより一層の非現実性を生み出していることを彼らは知らない。これがクィクィ主導なら、ちょっとしたお遊びの一環なのだろうと彼女を知る誰もが考えることができる。人間好きの彼女ならこれほどまでに大規模な余興を提案していたとしても何ら不思議ではないのだ。

 しかし、アルピナがこれほどまでに大規模な行動を興すに至っては、その真理を理解できるものはほぼ確実に存在しないだろう、とすら囁かれる。今でこそ全悪魔がその真意を把握できているため問題ないが、これが戦間期ならスクーデリアですら混乱すること間違いないと断言できる。

 同時に、アルピナが主導しているにしては異様なほどに騒ぎが小さいのではないか、という思いもまた悪魔達のみならず彼女を知る全神の子の脳裏を過っていた。

 草創期に神の手により創造され、ジルニアと戦い続け、神龍大戦の直接的原因の一柱として名高い彼女。その傲慢で傲岸不遜な性格は知らぬ者がいないとされるほどに有名で、天使長セツナエルや皇龍ジルニアとは屡々比較される。

 まるで幼子の世話に手を焼く母親が子供を諫めるために鬼やお化けで怖がらせるように、神の子達も生まれた直後はアルピナやジルニアの名を出して怖がらせられたというのはよく聞く話。特に、神龍大戦が始まって以降に生まれた神の子を躾ける際はそれが顕著だったとされている。セナやルルシエもまた同様に、アルピナやジルニア、セツナエルを引き合いに出して怒られたことが幾度となくあったと記憶している。尤も、同じ悪魔同士という事もあり、天使や龍が感じる恐怖に比べたら比較するのも憚られるほどに恐怖心は小さかったのだが。

 それでも、そうして同族の世話ですら名前を引き合いにだされる様な恐怖の象徴がそのアルピナなのだ。それを考慮すれば、現状の人間対魔王の構図はおめでたいほどに平和的とも言える。死者はほぼ全て聖獣に由来するものであり、レインザードの一件に至っては一名たりとも死者がいないのは有名な話。その上、ヒトの子達は知る由もないことだが肉体を失った魂はほぼ全て輪廻乃至転生の理に乗せられているのだ。

 事実、アルピナ達も極力ヒトの子から犠牲者を出さない様に努力している。一部の者は仕方ない理由により命を奪ってしまったが、しかし過去の経歴を考慮すれば十分すぎるほどに配慮できていると言える。

 そもそも、一切の犠牲なくして今回の抗争を終わらせることは流石のアルピナをもってしても不可能であることをセナもルルシエも承知している。クオンやアルバートもまた、こうして悪魔と契約を結んでからはそれを理解した上で納得できるようになった。

 その為、グルーリアスが苦心して最善の選択を模索していることを魔眼で詳らかに出来ても、それが全て徒労に終わる未来しか待ち受けていないことを受け入れざるを得ないのだ。

 しかし、だからと言ってそれを馬鹿正直に打ち明けられる訳でもなければそれをしようと愚考するほど蒙昧ではなかった。彼の気持ちを理解した上で、グッと堪えて受け流さざるを得ない現実と向き合う道を選ぶのだった。

 それほどまでに、ヒトの子は神の子の掌の上でワルツを踊らされているのであり、それを理解できない人間達の彷徨は三流のコメディより悲惨な光景だった。だからこそ、人間達の瞳に諦観の色が浮かび上がることはない。或いは、例えその事実に気付いたとしても進み続けたかもしれない。

 人間は常に進歩し続ける生命であり、人間は諦めたときに初めて敗北するのだ。どれだけ打ち負かされようとも、諦めることなく立ち上がり続ける限り、彼らに敗北が突きつけられる事はないのだ。

 だからこそ、プレラハル王国の平和を担う騎士の頂点に立つグルーリアスは思考を続ける。グルーリアスのみならず、この会議に出席している誰もがあらゆる可能性を模索してあらゆる未来を探し求めた。

 その光景は、彼ら英雄達の魔眼越しでなくても十分理解できるほどに明々白々だった。個人ごとに色が異なる瞳を鮮やかに輝かせ、その内奥では焔が滾る様に燃え盛っていた。

 悪魔としてやや冷ややかな視点で俯瞰的に状況を把握しているセナ達が場違いな来訪者のようにしか見えない光景は、長い時を生きた上位存在である悪魔をして緊張感を浮かべざるを得ないほど。人間達の気概と覚悟が鮮明に浮かび上がり、下位存在なりにできる最大限の結果に到達できるのではないだろうか、とすら思わせてくれる。

次回、第163話は3/9 21時頃公開予定です。

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