第160話:英雄と歴史
しかし、それは杞憂かもしれない。或いは、彼が思っている以上に悪魔達の存在は人間達の認識から外れているのかもしれない。それほどまでに彼らの存在秘匿は安全と言い切れるほどに完璧であり、人間達にとって平和的な存在だった。
しかし、仮にも魔王と称されることを否定しない外敵がいるにもかかわらず、神話に登場する悪魔と紐付けられないのは不思議でしかなかった。尤も、何一つ助言もなしで神話と現実を関連付けろといわれてそれができる方が天才的な発想力を宿しているのかもしれないが。
それでも、この会議の場には天巫女が出席している。プレラハル王国が定める国教であるエフェメラ教、その頂点に君臨する少女エフェメラ・イラーフ。彼女ならば、その可能性に至っても何ら不思議ではない。そもそもエフェメラ教の主軸は天使と悪魔による古の大戦を描いた神話に基づくもの。宗教の総本山とでも称すべき彼女ならば、当然誰よりもそのことを知悉しているはずである。それにも拘らず、会議の俎上には宗教の香りが全くと言ってよいほど感じられない。
しかし、それはエフェメラの方針に基づくものだった。エフェメラは天巫女として宗教の頂点に君臨しているが、同時に四騎士として国民を守る為政者としての立場も兼ねている。そのうえで、エフェメラは宗教と政治を極力混同してはならないと考えている。当然、その政治問題が宗教関連のものであれば話は別だが、今回のように宗教に関連しない議題において、彼女は天巫女ではなく四騎士として解決策を導くことを極力優先しようとするのだ。
故に、今の彼女の発言には天巫女としての知識はほとんど含まれていない。思考では宗教に絡めて推察しているかもしれないが、しかし確固たる証拠がない限りはそれを表立たせて関連付けようとはしない。
それは、両方の職務を兼任しているが故の分離思考か、或いは一方を他方に汚させるわけにはいかないという保守的な思考によるものか、将又畑違いの人達に余計な選択肢を抱かせて混乱してしまうのを予防する為か、その真相は彼女のみが知るところ。
しかし、どちらにせよ魔王が魔王として強大な力を持って君臨しているという事実は変わらない。例え神話と結び付けて魔王の正体を悪魔だと看破したところで、肝心の悪魔に対抗するための武器が神話の中から出てくるわけではないのだ。
故に、彼女の顔色もまた決して優れているとは言い難いような暗いものだった。手の届く範囲どころか目で見える範囲にすら希望の光を見出すことができていないのだ。幾星霜に亘る人類史において、これほど深刻な場面は存在したのだろうか。仮にあったとしたら、それはどうすれば潜り抜けることができたのだろうか。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという言葉がある。その言葉通り、この会議に出席している者は皆過去の歴史から解決策を導き出そうとしていた。その結果こそが英雄であり、セナとアルバートが呼ばれた理由でもある。
人間でありながら人間とは隔絶された力を持ち、常に人類の発展のために戦い続けたとされる彼ら彼女らの存在は、人間達の瞳には救世主のようにも現人神のようにも映る事だろう。それほどまでに、英雄と呼ばれる存在が潜在的に宿す力というのは非常に強大なのだ。或いは、それほどまでにこの世界はヒトの子にとっては過酷な環境なのかもしれない。
いずれにせよ、英雄と呼ばれるにはそれ相応の理由が存在する為だということは変わりない。例えそれが神によって創られた世界のシステムであろうとも、例えそれが人間達が自身の身体及び心理的負担を軽減するために祀り上げた運命の奴隷であろうとも、その本質は変わらない。
しかし同時に、人類が歴史から学べることは人類が歴史から何も学ばないということだ、という言葉も存在する。例え会議に参列している彼らが総じて賢人であり、その類稀なる知恵と知識から英雄の力を信頼して解決策を導き出そうとも、過去に英雄の力が何一つ役に立っていなかったという事実から目を逸らしている事には変わらない。
たとえどれだけ英雄の力が人間の常識から大きく外れた類稀なものであろうとも、所詮はヒトの子でしかない。過去地界で巻き起こされた神龍大戦に一体どれ程の影響を与えたと言えるだろうか。歴史書等の記録に記されていないからと言って、人間はその現実を無視してはならない。
英雄の力は神の子全体と比較すればそれは非常に矮小なもの。勇者のように神の子と対等に戦える訳でもなければ、神の子のように星の外や地界の外へ出られるわけではない。たかが一つ星の中で矮小な個人の力を振りかざしても、その影響は蚤の悪あがきにも満たない。
それでも、彼ら人間達は英雄の力に頼らざるを得ないのが現実。魔王の正体がいまだ知れず、そもそも神の子という存在の現実性を欠片たりとも把握できていない彼らとしては仕方ない思考だろう。そのうえで、肝心の英雄が魔王と称する外敵の仲間であるという事実を照らし合わせれば、人間達の足掻きも非常に滑稽なものへと成り下がってしまう。
勿論、セナルルシエもアルバートも彼らのそんな態度を嘲笑するつもりは欠片もない。人間達が希う英雄としての偶像を可能な限り実現しつつ、その上で悪魔としてすべきことを実現できるように状況を整えるだけである。
何より彼らが現在最も危惧しているのは敵対している天使達の動向である。神龍大戦を生き残った四柱の悪魔を封印し、龍魂の欠片を集めるべくあらゆる手段を用いて悪魔と敵対する彼らの存在は到底無視できるものではない。何より、その為なら、例えどれだけ人間を利用しようとも彼らは一向に構わないとすら考えている。あくまでも、人間は管理する対象であって同じ土俵に上がることがない下位種族なのだ。
それでも、彼らは英雄としてはもとより悪魔としても人間を蔑ろにするようなマネはしない。悪魔の本分はヒトの子の魂の管理であって殲滅ではない。その上、人間社会の文化文明は悪魔達の娯楽という側面も兼ねている。そして何より、聖獣を嗾けて人間社会に脅威を齎している天使と同類に成り下がるのは悪魔としてのプライドが許さなかった。
尤も、レインザードはその悪魔及び魔王の手によって壊滅状態へと陥ってしまったのだが。しかし、それについては犠牲者が一人もいなかったということで盲目になることにする。さらに言えば、あれもルシエルが精神支配を全住民にかけていたことが発端であるため、ルシエルが余計なことをしなければよかっただけの事とも言える。そうして考えれば、彼らが行ったことはあくまでも人命救助として正当化できるだろう。
すると、現在ベリーズで行われているアルピナ達の戦いもまた同様に考えることができる。何より、この場にいる者は誰一人として知ることはできないものの、今のアルピナ達は完全な被害者であり正当防衛でもある。バルエルを主軸とする天使一団がアルピナ達を襲撃したがために発生した戦闘であり、そこにアルピナ達の自由意志は介在していない。
偏に、戦闘の影響を受けないほど遠く離れた地に暮らす状況を把握していない人間達が、己の勝手解釈で不満と不安を正当化しているに過ぎないのだ。そして、それはセナ達英雄も同様だった。原因不明ながらもアルピナ達が戦っていると思われる敵の魂を捕捉できないため、果たして彼女達が一体何者と戦っているのか断定できない。ただ状況と規模から天使と戦っているのだろう、と仮定する事しか出来ないのだ。
次回、第161話は3/7 21時頃公開予定です。




