第158話:理論値と個人差
何よりその神龍大戦に関しても、第一次と異なり第二次神龍大戦では戦場がこの世界の地界へと移ったことによりヒトの子の前に姿を現さざるを得なかっただけの事。つまり、何かしら人間と関係を持ちながら戦争を継続していた訳ではない。寧ろ、未知の侵略者として苛烈な抵抗を見せられる事の方が屡々だった。
その為、こうしてこれまでの常識とはまるで正反対な長閑な光景を見ることができるというのは何とも幸福を感じるものだろうか。神龍大戦という非生産的な神の子最大の愚行を経験しているからこそ浮かぶ心情とも言える。
同時に、それはルルシエだからこそ為せた光景なのではないか、という思いも彼の心の片隅に浮かび上がった。言い換えるなら、新生悪魔だからこそこれだけ人間達と対等な関係性を築けているのでないだろうか、という思いだった。
10,000年前に神龍大戦は終結し、その後悪魔はヒトの子の前に顕現することを自主的に控えるようになった。特に、神龍大戦を生き残った五柱の悪魔がそれぞれ何らかの理由で地界から姿を消したことも相まって悪魔内でヒトの子に対する知識や偏見がほぼ完璧に浄化され、ヒトの子に対する免疫や警戒心が喪失してしまった。その結果、こうして10,000年越しにヒトの子の前に姿を現しても大きなトラブルや小さな衝突のない円滑な対ヒトの子交流を形成することができたのだ。
しかし、改めて考えてみればそれほど不安を燻って苦心する必要はなかったのかもしれない。アルピナとクオンの関係性を見れば一目瞭然だと、それを知る誰もが口を揃えるだろう。それほどまでに、アルピナの言動は嘗てのそれとそれほど変わっていなかった。
勿論、全く変化していないという訳ではない。10,000年もの間、彼女は様々な世界を渡り歩き、様々な経験を獲得した。この世界の中で神龍大戦に明け暮れていては決して手に入らなかった体験だろう、と彼女はいつか口にしたことがある。スクーデリアからの又聞きでしかなかったが、それでもセナとしては十分信じられた。
それほどまでに、彼女は精神的に成長し、落ち着いた言動をとっている。今でも彼女らしい傲岸不遜で威風堂々とした言動は相変わらずみられるが、それでもかなり落ち着いてきた方なのだ。スクーデリアやクィクィと言った、彼女との付き合いが長い友人がそう言っているのだから、セナとしてもそれは確固たる意志を持って肯定できた。
『心配するな、アルバート。ルルシエの言う通り、精神感応と会話の両立程度は訳ないこと。お前だって、慣れてくればその程度は楽にこなせるようになる。人間の心身構造上不可能ではないからな』
さも周知の事実であるかのように軽い口調で教え諭すセナ。ヒトの子を管理する立場にある神の子として、人間の心身機能及び構造に関する知識は当然の事乍らどんな人間よりも優れている。故に、人間の生物学的な限界点を参考として何ができて何ができないかを提示することは容易なのだ。
そして、それはセナのみならずルルシエのような新生悪魔であっても同様である。彼女が暢気に精神感応に花咲かせられるのは、彼女自身が精神感応と会話の両立が可能であると同時に例えアルバートが参加しても彼ならできると知っているからこそである。
勿論、理論上できるからと言って今この場で彼がそれをできるかは別問題である。しかし、それでも不可能を勘定に入れないのは彼に対する信頼の表出。かなり短い付き合いでしかないにも拘わらずそれだけの信頼を預けられるのは、偏に彼が英雄の領域に到達しているからこそだった。
仮にこれが人間と人間の交わりだとしたら、そこにはある一定の個人的感情に基づく一方通行の期待が多分に含められていただろう。しかし、悪魔が個人的感情に左右されない種族であることからそれが含まれていないことは明々白々。故に、彼女達悪魔からアルバートに向けられる期待と信頼には、人間達が英雄アルバートに向ける期待と希望の歓声とは比較にならないほどの信憑性を担保してくれている。
しかし、だからといってアルバートがそれに納得できるかと問われたらその答えは異なってしまう。確かに、セナもルルシエも神の子としてヒトの子を管理する立場にある。それはアルバートも最近理解し、現在となっては一欠片の猜疑心すら抱いていない。レインザードでの経験は当然とし、何より同じ立場に置かれた者同士であるクオンとの交流が、彼の心から疑義の念を払拭してくれたのだ。
当然、悪魔と契約を結んだ者同士であるという立場や広義としての逸脱者であるという立場こそ共通しているが、クオンとアルバートではそこに至るまでの経緯が明確に異なっているのは事実である。育ての親を聖獣に殺害されたクオンと聖獣を金儲けに利用していたアルバートでは、全く正反対の境遇だったと言っても過言ではない。しかし、結果として同じ立場へと到達したという事実により二人の心は下手な男女の友情を遥かに上回る強い紐帯を形成するまでになっていた。
何より、やはり神の子とは往々にしてヒトの子の想像と想定を遥かに凌駕する存在として君臨するものだ。彼ら彼女らが人間であるアルバートを信頼し、その上位階級故の知識と知恵で彼の技量と実力を補強したとしても、必ずしも彼ら彼女らの期待に添える結果を残せるわけではないのだ。
人間、即ちヒトの子は神の子と異なり個体差が大きい。根源に特別な力を宿すわけでもなく、長く生きれば無条件で強くなれるわけではない。体験と学習による経験値の積み重ねによってのみ進歩する彼ら彼女らでは、身体構造上できるからと言って必ずしもその通りにならないのが原則。或いは、身体構造上ですらできる基準に到達しない事すらありうる。
生物学的性別が男であったり女であったり。或いは、背が高い者や低い者。脚が速い者や遅い者。筋力が優れる者や劣る者。理解力のある者や要領の悪い者。判断力に長けた者やそうでない者。決断力に優れた者や優柔不断な者。危機管理能力が高い者や低い者。
須くヒトの子の能力値は個体ごとに大きく差が生じる。全てにおいて優秀な能力値を持つ者もいれば、ある特定の技量に秀でたものだって存在する。当然、その反対も存在しており、何事も要領が悪く上手く熟せないものだって少なからず存在するのだ。
対して神の子は、多少の差異はあれども総じて高い能力値で安定している上に、長く生きれば無条件で能力値の上昇が見込める。魔力操作に秀でたスクーデリアやルシエル、物理的な力に秀でたクィクィ、絶対的な魔力量に秀でたアルピナといった具合に多少の個体差こそあれども、生きていればいずれはその段階へと到達できるのであり、そこに不可能の文字は存在しないのだ。
故に、彼ら神の子は往々にして誤解しがちである。ヒトの子の構造上できるからと言って、その個体の能力値がその構造上の上限値まで伸びるかは別問題なのだ。
なお、魂にとって最適な外見まで成長したらその時点で成長が止まる神の子の特性がそれと類似した境遇にある。それに気づけたものであれば、その勘違いは基本的に修正される。
当然、セナもルルシエも外見変化が魂の個体差に影響されることは当然の事として知悉している。誰かに教えてもらった訳でもなく、本能的にその事実に気付いて納得した。彼ら彼女らのみならず、現在アルバートやクオンと行動を共にしている者や、明確に敵対している中位三隊以上の天使は須く理解している者達である。
次回、第159話 21時頃公開予定です。




