第157話:英雄と勇者
そして、その希望通りに天使の蠢動が露わになっていないことに対する安心感が、そのまま彼らの会議に対する無関心と精神感応の活発化に寄与している様だった。
だからこそ、とでも言うべきだろうか。余計なお世話よ、とセナの悪戯っぽい嘲笑に笑顔を浮かべながら反論するルルシエに怒りの感情は込められていない。現在置かれている状況を楽しみつつ精神感応に花咲かせる彼ら悪魔の態度は、文字通り神の子としての上位種族的優越感や万能感を色濃く感じさせてくれる。ヒトの子では足を踏み入れることすら許されないほどに乖離した彼我の種族差は、種族の存亡をかけた重大な場面においてさえ緊張感を殺してしまっていた。
『二柱とも、世間話に花を咲かせるのもいいけど、会議の方もちゃんと聞いておいてくれると助かるんだが……。ルルシエは兎も角、セナさんは姿を見せてるから尚の事……』
不意に二柱の精神感応に割り込んで不安そうな声色と口調で問いかけるのはアルバートだった。目に映る相好にその心情は現れておらず、どうやらセナ達悪魔に引けを取らない程度のポーカーフェイスを習得できている様だった。
しかし、魂までは秘匿することができていなかった。セナとルルシエのように敢えて閉心術を使用せずに魂の揺れ動きを露呈させているのではなく、純粋に魔法が使えないために魂の様子が開示されていたのだった。
アルバートは逸脱者と呼ばれる領域へと至っているとはいえ、その本質はただのヒトの子、即ち人間である。そんな彼も、当初は逸脱者としての第一段階である狭義の逸脱者でしかなかったが、スクーデリアと契約を結んだことでその第二段階である英雄の領域へと至っている。
しかし、未だ契約に基づいて授かったスクーデリアの魔力を自由に扱うことはできないでいる。魔力操作及び限られた極単純な魔法程度なら行使できるものの、クオンのように他の悪魔と遜色ない練度で魔法を行使することはいまだ不可能だったのだ。
それでも、複雑な魔法が必要な際はその都度ルルシエが彼の影からサポートしているため、これまでに何らかの形で支障を生んだことがないことは幸いとも言える。或いは、悪魔の仲間意識の強さを知る良い機会だったと思えるかもしれない。
そんな彼でも、精神感応は今や自力で構築できる程度には魔力操作技術を獲得していた。しかし、スクーデリアと契約を結んで僅か数日。未だ本格的に訓練したことがないこともあり、使用できる魔法も戦闘用・非戦闘用問わずかなり限られる。技術にも粗が目立ち、何より人間社会で英雄として生活していることから表立って使用することができなかった。おかげで、まともな使用機会がなければ訓練する場や状況すらも限られてしまっている。
それでも、精神感応の他に異空収納だけは並程度に使用できるようになっており、クオンと比較しても遜色ない程度にまで洗練されている印象だった。尤も、異空収納は使用しているところを人間に見られるわけにはいかないため、その使用機会はそれなりに限られてしまうのが難点だが。
しかし、それ以外の魔法全般や魔力操作及び魔力の絶対量に関しては悪魔どころかクオンにすら遠く及ばない。だからこそ、神の子の実在性を確信していないその他全ての人間達から受ける純粋無垢な尊敬と称賛は彼の心に燻る劣等感を顕著にする。同時に、その並外れた実力を有すクオンに対する称賛と尊敬の念を生み出している様だった。
それほどまでに、クオンの実力はアルピナとの鍛錬及び度重なる天使や聖獣との戦闘、そして師匠の仇を討つという覚悟により高められている。スクーデリアとの契約をきっかけに狭義の逸脱者から英雄へと進んだ彼に対し、クオンはアルピナとの邂逅以前から英雄の領域へと至っていた。それがアルピナとの契約によって目覚め、更に遺剣から齎される龍脈の余波により今や勇者の段階にまで到達していたのだ。
そもそも、勇者の領域に至れるほどのヒトの子は限りなく少ない。英雄の段階ですら一つの星に一人程度しか存在せず、勇者に至っては一つの世界に一人程度しか存在しないとすら言われているほど。神の子ですら勇者に会った事無い者は数多く、それほどまでに貴重な存在なのだ。
その希少性故に、勇者の領域へと至ったクオンの実力が英雄の領域にいるアルバートより数段上であっても何ら不思議ではないのだ。そんな逸脱者のシステムについてセナ達から聞かされたお陰もあり、アルバートは素直にクオンの実力を手放しで称賛しつつ尊敬と羨望の眼差しを向けることができたのだ。
そして何より、そんな彼の称賛や敬意はクオンのみならず契約主を含む悪魔達にも向けられる。
英雄の領域へと至ってさえ、今の彼では契約主たるスクーデリアはおろか世話役のルルシエにすら敵わない。そんなルルシエが敵わない領域に到達したのが勇者にして魔王でもあるクオンであり、そんな彼でもアルピナ、スクーデリア、クィクィには遠く及ばない。何より、クオンが上位三隊の天使と対等に戦えているのは遺剣に宿る皇龍の龍脈による影響が大きい。それがなければ、彼はセナ達にすら及ばないのだ。
そんなあまりにも隔絶された彼我の実力に、彼は絶望を通り越して無感情でいられることができた。これも、レインザードでの一戦で心を折られたお陰かもしれない。いずれにせよ、こうしてセナやルルシエと気兼ねなく交流できているのだから結果的に良かったのだろう、と解釈するのだった。
『だいじょ~ぶ。精神感応と会話の両立くらい、そんな苦労するようなものじゃないでしょ?』
悪魔の価値観を存分に発揮するように、ルルシエは精神感応の中で笑う。魂を大波に乗せ、仮にも狭い空間内で大勢の人間達に囲まれているのだ。危機感がないと言えば悪い気もするが、自信に満ち溢れているとでも形容した方が良いのだろうか。クィクィに似た天真爛漫で大らかな性格を持つ彼女らしい態度とも言える。
また視点を変えて思考を深めれば、それほどまでに彼女がアルバートのことを信頼していると解釈することもできる。さもそれが当然であるかのような発言は、彼も同様の事ができると考えているが故のもの。つまり、彼を自分達が管理しているヒトの子ではなく共に同じ志を抱く仲間であると認めているのだ。
しかし、実際はそれほど深く考えていないかもしれない。ただ単純に普段通りの軽い気持ちで適当に吐いただけの言葉かもしれない。或いは、人間であることを認識したうえでそれを弄る目的で発した言葉かもしれない。
そのどれが真実にせよ、彼女にアルバートを嘲笑しようとする意志はなく、アルバートもまたその一言で傷つく事はない。気の合う者同士のちょっとした言葉遊び程度の認識でしかなく、種族の垣根を越えた稀有な友情だった。
そして同時に、セナもまたそんな二人の会話を聞きながら微笑ましさを滲出させていた。人間と悪魔が仲睦まじく歯に衣着せない言葉を交わしている光景は、長い時を生きた彼ですら珍しく思える光景だったのだ。
元来、神の子が人間の前に正体を隠すことなく降臨することは珍しかった。クィクィのような人間好きな極一部の悪魔がその大半を占め、大多数の神の子は人間と関わらずに輪廻乃至転生の理に乗せるための魂を回収する。或いは時として人間社会の文化文明を堪能するために地界に降り立つこともあったが、それも人間に擬態した上で行われることが専らである。つまり、神龍大戦時を除き神の子が神の子であることをヒトの子に知らしめるようなことはなかったのだ。
次回、第158話は3/4 21時頃公開予定です。




