第156話:魂の揺らぎ
ヒトの子が有する神の子に対する唯一の対抗手段、という逸脱者としての本来の役割を最大限熟すその佇まいは、共に肩を並べて戦う仲間としてはこの上ないほど信頼できる。因果の円環によって本来は敵対するはずの両者の関係も、当事者の性格次第でこれほどまでに好転するとは驚異的な成果だった。
そんなことを考えつつ、セナはアルバートから視線を戻す。瞬き程度の刹那的な時間しか経過しておらず、会議は全くと言ってよいほど進んでいない。ただ重い沈痛な空気だけが彼らに圧し掛かっているだけだった。
逸脱者に与えられた真の役割や存在意義に関して全くの無知である彼ら彼女らには、セナやルルシエがアルバートに向ける眼差しの真の意味を理解することはできない。或いは表面の上の仮初の心情を推し量る事すらできないかもしれない。悪魔の実在性に関して宗教上の信仰心の枠組みから外れることができない以上、それは仕方ないことだろう。
だからこそ、セナとルルシエは英雄アルバートに対して人並み以上の信用と信頼を抱きつつその裏で精神感応を交わらせる。人間達の社会に潜入してその意識の背後で蠢動する任務より優先されるその個人的事情は、他の何事にも代えがたい享楽へと昇華されている。
『そんなに上手? 私としては普通にやってるつもりなんだけどなぁ?』
普通とは一体何だろうか? それが何かをイマイチ理解しないままでルルシエは首をかしげて笑う。事実、普通とは各個体の価値観によってどのようにでも解釈される。そのうえ時や場所、場合といった各種要素の影響も多大に受けるものだ。故に、十把一絡げに普通と言っても普通を定義することは困難を極めるのだ。
その為、ルルシエが考えるアルバートとのコミュニケーションに対する普通がセナ、延いては悪魔や神の子における大多数の理解や同意を得られるとは限らないのだ。だが、だからといってその事実がルルシエの心に傷をつけることもなければ考え方が変わることはない。彼女の価値観が他の大多数と異なっているのと同じように、他の大多数の反論が彼女の思考に合っているとも限らないのだ。
第一、上位階級の意志に縛られる天使とは異なり悪魔は各個体の自由意志が強い種族である。よく言えば自己主張がしっかりしているとも言えるが、悪く言えばプライドが高いとも言える。そんな悪魔特有の性格が、初対面である人間しかも英雄に対して臆することなく付き合うことができる要因となっている。
なまじアルバートが魔王やその正体である悪魔に対して強い不信感を抱いていたことから、彼女の積極的な性格がその不信感を融解するにあたって都合がよかったのかもしれない。彼女の陰日向ない可憐で陽気な言動が、英雄の心に上手く適合した結果だった。
だがそれをルルシエやアルバート本人が意識することはない。彼らの価値観でみればそれが普通であり、態々その原因や理由を客観的に推察しようとする意志は存在しないのだ。そしてセナも、それを分析しようとは思わない。共通の仲間として、そのような些末事に態々目くじら立てて考察しようとは思わなかった。
寧ろ、そうして複雑に意識せずに付き合っていく方が存外上手くいったりすることが多いものだ。余計な思考や解釈を放棄し、単純で単調ながらも要所に深く差し込まれる感情こそが彼我の相性をより親密なものへと変質させてくれる。
『まぁ、人間達に悟られなければ好きにすればいいと思うがな。と言っても、基本的にアルバートの影から出ることのないお前には無駄な心配だろうがな』
ハハハッ、と朗らか且つ明朗に笑うセナは、その感情の高ぶりに呼応するように黄昏色の魂を一層輝かせる。精神感応内での会話故に感情を表出できない場合に起こりがちな心情表現だった。
魂は往々にしてその個体の本心を詳らかにしてくれる。自由意志に基づいた感情の起伏が豊かな悪魔なら、その明瞭さは天使のそれを遥かに凌駕するほど。セナもルルシエも自身の魂に閉心術の魔法を施していないため、容易に把握できてしかるべきだった。
これが仮にアルピナやスクーデリアならこうはいかなかっただろう。あの二柱は表面上の感情は悪魔らしく豊かである。しかし、それに反して魂には強固な閉心術が常時施されているのだ。
魔力操作に関して右に並ぶ者はいないと称されるスクーデリアはもとより、そんな彼女には僅かに劣るものの全悪魔の頂点に君臨するアルピナの閉心術ですら、それを突破できる神の子はスクーデリアの他に僅か二柱に限られるとされている。
全天使の頂点に君臨するセツナエル及び全龍の頂点に君臨するジルニア。この世界では草創の108柱のみがそれに該当し、当然の事乍らセナやルルシエでは到底不可能な事である。立場や性格の都合上から他の悪魔と比較して異様なほどに警戒心が高い彼女達ならではの対応とも言えるだろう。
そんな彼女達と仲が良いクィクィは、寧ろ閉心術の魔法をほとんど使用していない。使用するのは秘密裏の情報共有を行っている際のみであり、陰日向ない純粋な性格を有す彼女らしい態度だろう。何より、彼女はヒトの子との交流を誰よりも愛する悪魔でもある。余計な小細工を排した直球の関係性を好む彼女としては、閉心術を嫌うのも納得だといえる。
そして当のセナ自身は、状況に応じて使い分けるタイプであり、大多数の悪魔が好んで用いる使用法をそのまま採用していた。神龍大戦時勃発以前から広く用いられている正統派とも古典的とも称されるそれは、非常に堅実的であり余計な失敗や不備を生じにくいものである。
しかし、こうして人間社会に侵入しているにも拘らずセナもルルシエも閉心術をそれほど重要視していないのは、閉心術はあくまでも魂の揺らぎを秘匿して均質化した偽りの魂を見せるだけの効果しかないため。魂を見通す特別な目を持たないヒトの子の前で、魂を虚飾する閉心術は全くもって意味をなさないのだ。その上、仮に天使が自分達と同じようにどこかに隠れていたとしても、却って牽制効果も狙えるかもしれないとすら考ることができる。
故に、セナは精神感応と魔力こそ秘匿すれども魂の状態は包み隠さず露わにさせている。ルルシエも全く同じ理由で自然体の魂を露呈させて精神感応と魔力を入念に秘匿しているのだった。
そして、それにも拘らず天使が近くに潜んでいる様子は感取できなかった。つまりそれは、近くに天使が潜んでいないことを示している。或いは、近くに天使が潜んでいるもののセナやルルシエをもってしてもその正体を看破できないほどの秘匿術をかけているか。アルピナやスクーデリアからの事前情報では後者とのことであり、セナもルルシエもそれに関する確信は得ていた。
しかし、客観的証拠が存在しなかった。仮に天使特有の暁闇色乃至各神の子固有の色へ染まった魂や聖眼及び聖力の感取、若しくは聖法の影響を知覚することができればこれ以上の証拠はないと断言できる。だが、完璧なまでの秘匿術によりその痕跡は欠片ほども得ることが出来ていないのが現状だった。
尤も、仮に証拠を得たところでその正体を加味すれば到底敵う相手ではないのは明々白々。その為、セナもルルシエもアルバートも下手に動くことはできず動こうとも思わない。しかし、相手も人間社会に潜入している手前、あまり大きな行動をとることは不可能。故に、その動向を把握しつつ監視することは比較的容易である。
体外に魔力が漏出しない程度に抑え込みつつ、セナは魂の揺らぎを勘定の赴くままに任せる。その裏で監視対象の魂を確認し、それらしい動きが見られないことに微かに落胆する。或いは、何事もなく会議の時間が流れている事に一抹の安堵を覚えているのかもしれなかった。自分達では到底どうすることもできずアルピナ達の援護も見込めないこの状況では、寧ろ余計なトラブルは極力避けたいほどだった。
次回、第157話は3/3 21時頃公開予定です。




