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ALPINA: The Promise of Twilight  作者: 小深田 とわ
第3章:Mixture of Souls
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第155話:感想と感情

 しかし、悪魔は一個体に対して特別な感情を抱くことはない。愛はヒトの子に与えられた特権であり、神の子を凌駕する数少ない利点とでもいうべきもの。故に、セナがルルシエに抱くそれも決して恋心ではないことは確実。風景や物品に対して抱く感想と全く同一のものであり、そこに邪な思いや心情は乗せられていない。

 だからこそ、セナはその思いを敢えて口にすることはない。口下手だとか奥手だとかいう訳ではなく、例えどれだけ美麗で可憐だと感じてもそれは個人的な感想であり相手の意識を手繰り寄せようとする感情を孕んでいるわけではないからに他ならない。

 当然の事乍ら、同じ悪魔であるルルシエにとっても同様である。仮にセナに自身の瞳を綺麗だとか可愛いだとか言われたところで何一つとして感情が揺らぐことはない。愛や恋に由来しない個人的感情を押し付けられたところで、それで空腹が満たされることはないと理解しているが故の反応である。

 一方で、それが仮にセナではなくアルバートから言われたとしたらまた事情は異なってくるだろう。例えルルシエが新生悪魔とはいえその本質は悪魔であり地界に降りるのが初めてであろうとも、ヒトの子に関する知識は人間が持つ人間に関する知識を遥かに凌駕する。故に、ヒトの子が恋と愛に心躍らされる生命であり心躍らせる生命であるることは当然の事乍ら理解している。

 だからこそアルバートが同様の発言をした場合、往々にして彼の心に何らかの感情が含まれている可能性が高いと仮定することが可能である。神の子とヒトの子の性質の差異に由来するその仮定は、ヒトの子の心を惑わす悪魔としての特権行為だろう。加えて、神の子というヒトの子を管理する側の立場として有している本能も含まれているのかもしれない。

 そもそも本質的に、感想と感情は全くもって相異なる性質から成り立つものである。感想は物事に対する客観的事実の整理と主観的な思考を指す。それに対し、感情は物事に対する主観的心情の溢出と客観的印象を指す。つまり、前者に対して後者には発言者の趣味嗜好が多分に反映されており客観的公平性に欠如する特徴を有しているといえる。

 従って、神の子による他の個体に対する評価は往々にしてその相好に反した無感情で無機質なものになりがちである。しかしながら、そこに悪意や認識の齟齬が生み出されるきっかけは孕んでいない。そうした評価と感情の差異が、神の子なら誰もが常に経験し続けていることだと相互に知悉しているためだ。だからこそセナもルルシエも、互いに交わらせる会話の節々に見え隠れする感情と感想の乖離には見て見ぬふりをしてやり過ごすのだ。


『そういえば、お前はまだ新生悪魔だったな。アルバートの扱いが上手いから、てっきり地界には頻繁に出入りしているかと思っていたよ』


 チラリ、とセナはすぐ横に座るアルバートの顔を一瞥する。その菫色の瞳は、天井から吊り下げられているシャンデリアで揺れる蝋燭の灯を受けて煌びやかに輝く。窓の外から差し込む陽光もまたそれを増強し、ルルシエと並んでこの場に参列する誰よりも美麗だった。

 しかし、その視線には誰一人として気づかない。視線を受けているはずのアルバートですら、彼の眼光に気付く素振りを見せなかった。それは真に気付いていないだけなのか、或いは気付いたうえで余計な詮索を避けるために気付かないふりをしているのか。彼我の実力差を考慮すればほぼ確実に後者だと断言できるが、しかし必ずしも前者の可能性がないと断言することもまた不可能である。

 逸脱者という、ヒトの子の枠組みから足を踏み出した領域外の存在。その第二段階である英雄の領域に至った実力は虚飾ではない。そもそも逸脱者と呼ばれる制度は神の子に対して一切の対抗手段を持たないヒトの子のために用意された救済措置のようなものだ。

 ただ純朴に神の子の管理下に置かれるだけでは、ヒトの子としても不満や鬱憤の逃げ口が存在せず、神の子としても使い勝手の良い奴隷同然の存在へと成り果ててしまう恐れがある。それを防ぐためにも、必要最低限の対抗手段乃至抑止力を用意するのは至極真っ当な方策だった。

 だからこそ、逸脱者の領域に至った者達には因果の円環に基づいた神の子との邂逅が宿命づけられている。そして、どのような経過を辿るにせよあらゆる艱難に抗わなければならないのだ。或いは、あらゆる艱難に直面しつつそれに抗う宿命を背負っているからこそ、それを超克するだけの力を獲得するとともに神の子にすら対抗できるだけの救済が与えられているのかもしれない。

 どちらにせよ、逸脱者の領域に踏み込んだアルバートの現在の実力は並のヒトの子とは比較することすら憚られるほどに高められている。その外観と魂だけで早合点できるほど単純ではないのだ。複雑な宿命に雁字搦めにされた彼の魂は、神の子としての価値観で生きる彼ら悪魔をもってしても蔑ろにするわけにはいかない。

 だからこそ、初めて地界に降り初めてヒトの子と接するにも拘わらず逸脱者であるアルバートと対等で仲睦まじい良好な関係性を構築できているルルシエのコミュニケーション能力の高さは、長い時を生きて来たセナをしても手放しで称賛できるほどだった。

 肝心の本人が全くその事実に気付いていないのは、果たして良いことなのか悪いことなのか。それはセナにもわからなかったが、良好な関係を気付けていることから大して重要な要素ではないのだろうと判断して思考の海から廃棄する。

 そして同時に、これまで自身が抱いてきた逸脱者に対する固定観念が誤りだったのだろう、と理解した。幾星霜に亘る時の流れの中、これまで数多くの逸脱者は沸騰水の泡のように湧いては弾けて消えて来た。数十万年を超す歴史の中で、その短い寿命サイクルを輪廻と転生により幾度も繰り返すヒトの子の性質上、これまで出現してきた逸脱者の数が膨大になるのは仕方ないことだった。

 しかし、そんな過去の逸脱者とアルバートで明確に異なるのはその凶暴性だろう。過去の逸脱者達はそれが人間とは限らない都合もあるだろうが、総じてその性格が凶暴だった。それがその種族本来の凶暴性によるものなのか、或いは神龍大戦で生じたあらゆる厄災に対する防衛本能なのかは定かではない。

 しかし、どちらにせよ決して神の子の存在に危険を及ぼす程ではないことには変わりなかった。それでもやはり、ヒトの子という立場からは大きく乖離した言動は少なくなかったと今の時代になってより強く感じられるとセナは思っていた。それほどまでに、彼ら過去の逸脱者は目に余る行為を頻発していた。

 それに対してアルバートはどうであろうか。スクーデリアという圧倒的強者と契約を結んでいる手前、叛逆する恐れは限りなく低いだろう。しかし、仮にそれを抜きに考慮したとしても過去の逸脱者から大きく乖離した言動をとっていただろうと容易に想像がつく。それほどまでに、アルバートの性格は過去の逸脱者が有していた凶暴性から遠く離れた位置に存在していた。

 アルバートは文字通り英雄として人間達の為に行動し、地界に平和が訪れることを追求している。少なくとも、セナやルルシエの瞳にはそう映っている。実際はゲラード・ルグランドという裏社会の商人に魔獣の角を横流しすることで金銭を稼いでいたのだが、今となっては過去の話と割り捨てていいだろう。その横流しした角でどれだけの人間に被害が出てしまったかは全くもって不明であり、その責任を追及することはもはや不可能なのだ。その上で彼のレインザード事件での活躍を考慮すれば、過去の罪は帳消されてあまりあるだろう。

 今やアルバートは人間社会の文化文明を存続させる救世主として人間達の期待と希望と願望と夢を一身に背負っている。文字通り英雄として誰よりも優しく誰よりも逞しいその背中は、嘗て存在したどの逸脱者よりも頼りがいに溢れていた。

次回、第156話は3/2 21時頃公開予定です。

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