第154話:密かな楽しみ
そうしている間にも、心の深奥の片隅でセナもルルシエも奇妙な居心地の良さを感取する。不必要な言葉を交わさずとも理解し合える相互の相性は、同一価値観を持つ者が少ない人間社会において貴重な安らぎの供給源だった。
だからこそ、セナはルルシエに対し、ルルシエはセナに対して建前やプライドを排した本音で語り合うことができた。未だ他人行儀な信頼関係が抜けきれないアルバートと異なり、同種族であるという最大の強みが最大限発揮されているが故だった。
当然、その事実はアルバートには知らされない。その上、セナもルルシエもその事実をアルバートに伝えることはない。そもそも、そのような些末事を二柱は一切気にしていない。
種族が異なれば価値観が異なるのは当然の事であり、それを咎めたところで何かが変わるという訳でもない。信頼の構築は早くなければならないという事実もなければ最初から全てが滞りなく構築されるわけでもないのだ。
契約という方法を用いてヒトの子の心に取り入ることを本分としている悪魔二柱にとって、それは疑いようのない真実として刷り込まれている。例え英雄アルバートが相手であろうとも変わりなく適応されると知悉しているからこそ、彼らは敢えてそのことを意識下に浮上させないのだ。
『そう見えるか? まぁ、強ち間違いではないのかもしれないな。久しぶりにヒトの子と交流を持ったからっていうのもあるだろうが、単純にこの状況が面白くてな。ルルシエこそ、随分と楽しんでるみたいだが?』
影に潜みつつ精神感応で会話を交えているため、彼女の顔色や相好をセナは確認できない。しかし、その精神感応で齎される声色と口調は誰よりもヒトの子との交流を楽しんでいるように彼は感取していた。
その予測を裏打ちする決定的な証拠がある訳ではない。何より、セナとルルシエが会ったのはレインザードでの一件でスクーデリアに呼び出された時が初めてだ。件の少し前にセナは復活していたものの、新生悪魔全員と顔を合わせるには時間が足りなさ過ぎたため仕方ないことだろう。
新生悪魔の正確な数は公爵級悪魔として全悪魔を管理しているアルピナですら正確に把握していないほどに膨大である。尤も、彼女は神龍大戦終結後からほんのひと月前までこの世界から姿を消していた為、把握していなくても無理ないことだが。
そもそも、新生悪魔と一括りにしてもその定義は第二次神龍大戦終結後に生まれた全悪魔を指すため、最古の新生悪魔になるとその生まれは10,000年前である。まだプレラハル王国が建国されていない時代であり、歴史書ですらその正確な歴史を語られていない。当然、今生きている人間は誰一人として生まれておらず、或いは当時存在していなかった種族すらそれなりにいるかもしれない。寧ろ、場合によっては歴史書よりも神話の方が一定の信憑性と物語性があるのではないか、と一部で揶揄されているほどの遠い過去である。
現在、プレラハル王国で国教と定められて広く信奉されている宗教において現在から10,000前と言えば、地上を侵攻する悪魔から人間を護るために天使が悪魔と戦争をしていたと記述されている頃である。天使や悪魔といった超常の存在の実在性が半信半疑となりつつある昨今において、それらの方が歴史書より信憑性があると揶揄されるほどなのだから、それが人間達にとってどれほど果てしない過去か想像するに難くない。
しかし、大多数の人間達には知る由もないことだが天使と悪魔は実在する。その上、今この会議の場にもそれらは参列している。決してその正体を悟られない様に秘匿されたその正体は、特別な力を持たない彼ら彼女らでは手掛かりすら掴ませてくれない。
そんな神話の存在の一欠片でもあるセナとルルシエにとって、眼前で繰り広げられている滑稽な会議は歴史書を揶揄する無神論者の気分に等しい。歴史書を揶揄するのは神話を信奉しているが故であり、無神論者であることは神話を蔑ろにしているが故の行為である。その二律背反する思考を両立させつつ自らの都合がいいように世界を廻そうとする行為は、無謀とも愚行とも形容して問題はないだろう。
加えて、魔王の存在に恐怖しつつ本質的な原因を生み出した天使に救済を願う彼ら彼女らの無知蒙昧さを眺めるのは、道化師の曲芸を舞台袖で眺める演出家の気分にさせてくれるのだ。神龍大戦という生産性の欠片もない愚行から始まり、現在もベリーズで行われている小規模な抗争にまで続く天使と悪魔の対立で荒んだ心を盛り上げてくれる清涼剤として機能しているかのようだった。
しかし、セナもルルシエも他者の愚行を嘲笑して自らの心を癒すような卑劣で非道な心を育んできた覚えはない。あくまでもちょっとした気分転換程度の楽しみに留めつつ、それでもその限られた楽しみを最大限享受できるように心を躍らせる。
その享楽の感情を一身に受けて、彼らに宿る金色の魔眼は妖艶且つ大胆に輝く。魂から湧出する魔力が感情の揺らぎに比例して昂り、しかし居合わせる人間達に一縷の影響も及ぼさない様に理性で体内に圧し留める。結果、僅かな滲出すら許さない完璧な魔力操作により彼らの思考はアルバートを含む誰にも訝しがられることはなかった。
しかし、それは当然の結果ともいうべきだろう。セナは悪魔としての長い経験、ルルシエは新生悪魔としては天才的とも目される高い魔力操作技術を有している。故に、魔力を体内に留める程度のことは造作もない。寧ろ、その程度もできないようであれば悪魔から魔物に降格させてもよいほどだ。実際は悪魔から魔物へ降格する制度は存在しないが、神に申請して新設させてもらってもよいほどに初歩的な技術である。
しかし、とある事情からそれができないことを彼らは知っている。魔力を体内に留めて一縷の滲出も許さない技術は、その特性故に魔力量が膨大な悪魔ほど困難を極めるためだ。とりわけアルピナやスクーデリアといった草創の108柱に至っては、例えセナが全魔力を放出したところで彼女の半分にも届かないほどに桁違いの魔力を秘めている。それほど膨大な魔力をどうやって体内に留めることができようか。嘗てセナはアルピナの最大魔力を観測したことがあるが、仮にあれが自分の魔力だとしたら留めることは不可能だと感じたことがある。それほどに桁違いなのだ。
しかし現実として、アルピナとスクーデリアは持ち前の魔力操作技術でそれを可能にしているあたり、その隔絶された彼我の実力の差が露呈してしまう。
そんな魔力操作を無意識のうちに行って魔力の存在と悪魔の実在性を人間達の思考から遠ざけつつ、セナとルルシエは精神感応の連続性だけは保ち続けていた。魔法を秘匿した上で影の中を中継しているため魔力が漏洩することは限りなく低いが、それでも細心の注意を払って天使の痕跡には留意し続ける。
『ほら、私ってギリギリ神龍大戦終戦後に生まれた悪魔だから地界に降りるのって今回が初めてなのよ。だから、ヒトの子の文化文明ってどれも初体験でさ。それに、契約でヒトの子の心に介入する悪魔としての本能って言えばいいのかな? こうやって心迷わせてる人間達を見るのって面白くない?』
分かるでしょ、と同意の言葉を求める様に首を傾げるルルシエ。その姿はセナの瞳には映らないものの、しかし彼女の可憐で純粋無垢な相好は容易に想像できた。
宝石のように輝く彼女の大きな翠藍色の瞳は、セナと同じ悪魔とは思えないほどに美麗。彼は決して憧憬を抱かなかったが、羨望は微かに抱いているかもしれないと思っていた。とりわけ意識する様な事ではなかったが、無意識とも言い難い微妙な心持ちが心中で燻り渦巻いている。
次回、第155話は3/1 21時頃公開予定です。




