第153話:会議④
どうしたものか、とセナは心中で逡巡する。セナに限らず全ての悪魔は各個体の自由意志を尊重されている。その為、オースティン侯からの質問にどう答えるかは彼らの自由である。しかし、セナに限らず全ての悪魔は悪魔公アルピナの管理下に置かれている事もまた事実なのだ。つまり、議論の本質的原因がアルピナである手前、人間側の勝手解釈で人間側の動向を決定しても良いものか、という疑問が付いて回らざるを得ないのだ。
勿論、そのような些末事でアルピナの行動に支障が出るようなこともなければ彼女が不満を抱くことがないことを彼は知悉している。暫くの死亡期間を挟んでいるとはいえ、セナとアルピナの付き合いはヒトの子が創造されてから現在に至るまでの時間をも上回る。その長い付き合いに裏付けされる信頼関係を前にすれば、そのような予測を立てることは造作もないのだ。
しかし、それでも彼が現在進行形で抱いている悩みを解決することはできない。彼女が寛大で寛容な性格であるという事実は揺らぎようのない事実であるのに対し、彼女の行動原理は彼女の感情と気分に由来するため予測することが非常に困難であるためだ。つまり、どれだけ過去の経験から未来を予測しても現在彼女がどういった理由でこれだけの騒ぎを起こしているのかは全くもって予想がつかないのだ。
そのため、例え悪魔側の立場に属する彼らといえども、得られる情報から立てられる予測は人間側とそれほど大差ない。その限られた情報と仮定からどの選択肢が最適であり、どの道筋に人間達を案内すべきなのか全く持って不明瞭なのだ。
それでも、彼はどうにか答えを絞り出す。例え当たり障りのない無難な答えであったとしても、無言を貫くよりはよっぽどマシなのは確実なのだ。
「はい。……しかし、例え私達が英雄と持て囃される立場であったとしても本質的な思考や感情は皆様方と同一の人間でしかありません。その為、状況を反転させるような画期的な案や計画を構築できるわけではないと言うことを前提にお願いします。その上で、私達英雄の立場としてもやはり安全策をとるべきかと愚考いたします。そもそも、現在も間断なく生じているこの衝撃波が確実に魔王のものであるという保証もありません。ほぼ確実だと考えて問題ないと思われますが、裏を返せばその域を越えないということです。そして、仮にこれが魔王に由来するものであり王国が兵をあげてベリーズに出撃したとしても甚大な被害は免れません。私やテルクライアでも皆様を護り切れる保証はどこにもありません。一度情報を確定させた後に、改めて計画を練った上で万全の策を講じて出撃すべきかと」
セナの言葉に国王、四騎士、六大貴族は挙って呻声を上げる。納得できる尤もらしい意見であると同時に、それでもやはりそれで確定しても良いのだろうかという優柔不断な思考が見え隠れしてしまう。人類存亡というかつてない大きな問題に直面している手前仕方ない反応とも言えるが、だからこそ無常に流れゆく時間が恨めしく思ってしまうのだった。
恐らく彼ら人間達にとって最大の計算違いだったのは魔王復活までの早さだろう、とセナは彼らの態度を眺めながら推測する。
アルピナ、スクーデリア、クオン、クィクィという少数ながらも人間の枠組みから逸脱した強大で凶悪な力を持った存在。その領袖と思われるアルピナに、アエラは乾坤一擲の一撃を叩き込んだ。それは紛れもない事実であり、疑いようのない現実である。その傷は現在の人間社会で浸透している最高峰の医療技術でもってしても治療は不可能だと誰もが口を揃えるほどの重傷。即死していなかっただけでも奇蹟としか形容しがたいほどの光景だった。
その為、仮に魔王が人類文明を凌駕する医療技術を持っていたとしても復活まで1ヶ月以上要する目算だった。前例や客観的根拠に基づくものではない希望的観測と主観的予測でしかなかったが、しかしそれ以外に頼るものがない以上仕方ないことだった。
そして、その予測は大きく外れてしまった。当初の予測だった1ヶ月を大幅に下回る僅か10日程度での復活は、彼ら人間達の想定も予想も覆してしまった。あまりに早い復活を前に、当初は別の脅威が新たに台頭したのではないか、とすら疑ってしまったほどだった。
しかし、今やその驚異の正体は魔王によるものだと確信に近い思いを抱くまでになっている。或いは、これ以上脅威が増えて欲しくないという願望に由来するものかもしれない。それほどまでに、魔王の脅威は人間達にとって根源的恐怖として脳裏に焼き付いてしまっていた。
だからこそ、彼らは選択を躊躇しているのかもしれない。自分達の予測や想定を凌駕する強大な力を前にどのような選択をとっても全て覆されてしまうに決まっている、と無意識に思考してしまっているのかもしれない。その結果、彼らの視野を狭窄させ、思考を萎縮し、判断を躊躇させているのだ。
だが、無意識下で忍び寄る敗北の足音に人間達は気づかない。意識下に上る希望の光に魅了され、自分達にとって都合の悪い結末から意識を逸らす。生存本能に由来する至極当然の反応とも言えるそれだが、しかし神の子を前にしてそれは全くもって意味をなさない。
魂の深奥を覗き見るセナの魔眼は、彼ら人間達の本能にしがみつく根源的恐怖を詳らかにする。或いは、ヒトの子を管理する神の子としての立場がそれを露呈させているのかもしれない。そんな彼ら彼女らの無意識に心中で溜息を零しつつ、しかしそれを決して悟られない様にセナは微笑を浮かべる。人間という矮小な存在に対する慈しみの感情が芽生え、しかし神の子の掌の上で狼狽している様が滑稽に映っているのかもしれない。
『何か楽しそうだね、セナ?』
ルルシエは、セナの心情と感情を大まかに読み取りつつ影の中で精神感応に言葉を乗せる。決してヒトの子達に気付かれる事ないそれは、万全を期して魔法による秘匿まで施されている。過剰ともいえる対策は何処かに潜んでいるかもしれない天使を警戒しているからこそのものだが、現状の様子では仮に潜入しているとしてもその尻尾を掴ませてくれそうにはなかった。
尤も、仮に尻尾を掴ませるような介入を天使達が画策しているのであれば、会議がこれほど難航することはないだろう。悪魔と対の存在である天使の知恵が会議に光を指し込むのであれば、現状を打破しうる画期的な案が浮上してしかるべきなのだ。勿論、悪魔として活動している時と顔を一切変えていないセナの姿を見てあまり活発に介入していないだけかもしれないが、しかし僅かにでも介入していたならば何らかの痕跡が残ってしかるべきである。にもかかわらず、そうした痕跡が見られないということは、この場に天使は存在しないか、存在しているうえで介入していないかのどちらかとみて問題ないだろう。
セナもルルシエも、天使に対する互いの意見を必要以上に交換するようなことはしていない。しかし、例えしなくても同じ意見を抱いているだろうと確信めいた自信を抱いていた。
この会議の場においては非常に希少な悪魔という同種。例えルルシエが新生悪魔でありセナとの間に大きな歳の開きがあろうとも、その知性と知能を疑う必要性はなかった。或いは、人間の価値観では永久とも感じさせる歳の開きも、悪魔の価値観では誤差程度にしか感じない為かもしれない。結果として、天使のように階級の差を重要視しない悪魔の価値観が、伯爵級悪魔セナと男爵級悪魔ルルシエ両者の思考に有意差を持たせない事に寄与していた。
次回、第154話は2/28 21時頃公開予定です。




