第152話:会議③
『どうした、ルルシエ?』
『あっ、ごめんね急に。ただちょっと、感じ取っちゃって……』
何を、と問いかけるアルバートは、自身の影に潜むルルシエの心が哀傷に染まり切っていることを知覚した。契約で魂を結びつけていないにも拘わらず知覚されるのは、彼女が自分の影に潜んでいる為なのか。それを確認する術は存在しないが、感取される感情の重さの前にはどうでもよいことだった。
そんな深く聞いてはいけないとすら思える深く沈み込む感情は、決してただ事ではないと本能が警鐘を鳴らしていた。しかし、そんな彼の意志に反してセナは単純な思考で尋ねる。
『何かあったか?』
『えっと……確証がある訳じゃないんだけど、多分、ルキナエルが神界に送られたみたい』
ぼんやりとした口調は、しかしどこか確信めいた心情を心の片隅に抱いているような印象を与える。そして同時に、それが気のせいであってほしいという期待も並行して抱いてすらいるかのように不安定なものでもあった。
『ルキナエル……天使か?』
『うん。私とルキナエルって姉妹だから魂の状態がぼんやりと共有されるの。だからこの感覚は多分……神界に送られたんだと思う』
そうか、とセナは徐に呟く。天使が神界に送られることはそう珍しいことではないため特別な感情を抱くことは本来ないのだが、しかしルルシエの姉妹という身近な存在となると事情は変わってくる。何より、状況からしてそれを実行したのはアルピナ達の中の誰か。誰が悪いという訳ではないが、それでも罪悪感は感じてしまうのだ。
一方アルバートは哀傷や同情を抱きつつも、姉妹という単語に疑問を抱いていた。神の子に対する知識がまだほとんどないため、天使や悪魔に兄弟姉妹という概念が存在することが意外だったのだ。
以前彼はルルシエから生命の樹による神の子の誕生方法を聞かされていた為、天使や悪魔の成り立ちについては大雑把ながらも理解していた。だからこそ、完熟した実から生まれる神の子に血縁関係が存在するとは到底理解が及ばなかったのだ。
何より、天使と悪魔という異なる種族から血縁関係にある者が生まれるという事実が彼の思考をより惑わせる。天使は天界、悪魔は魔界の生命の樹から生み落とされる以上、それらが血縁関係にあるとは到底思えなかったのだ。
『天使と悪魔が姉妹関係になる事なんてあるのか?』
『滅多にないな。草創の108柱以外の場合且つ同じ種族同士なら、この星で言う桜桃みたいに2つ以上の実が一ヶ所から生った場合に兄弟姉妹として誕生する。一方で、異種族で兄弟姉妹関係になろうと思ったら完全な偶然に任せるしかない。天界と魔界それぞれにある生命の樹の果実が全く同じタイミングで寸分の狂いもなく完熟したら兄弟姉妹として誕生する可能性が生じる。そこから先は神の気まぐれだ』
一体どんな確立になる事やら、とばかりに呆れるセナは、ルルシエとルキナエルの奇蹟を素直に感心する。アルバートもまた、ヒトの子としての価値観が未だ抜けていないため、そのスケールの壮大さや神の存在を前に呆然とする事しか出来ない。最早想像することすら出来ない次元の話であり、ただ適当に相槌を打つ事しか出来なかった。
それでも、彼はどうにか理性を手繰り寄せて理解しようと努力する。例え自らの想像力の範疇を越えた次元だとしても、これから長い付き合いになるであろう悪魔、何よりルルシエの事を知る為にもその努力を惜しむべきではないと彼は決意する。
『それじゃあ、他に異種族間で兄弟姉妹関係になったこととかもあるのか?』
『ああ。ルルシエとルキナエル以外だと——』
セナが異種族間の兄弟姉妹の例をいくつかあげようとした時、彼の意識は彼を呼ぶ声によって精神感応から現実世界に引き戻される。話に花が咲き始めていたが、生憎と今は会議の真っ最中。彼らもまた英雄として会議に出席していることを努々忘れてはならないのだ。
何より、妙な行動をとって人間達から怪しまれる様な事は決してあってはならない。正体が悪魔だと悟られる様なことはないだろうが、魔王の仲間だと思われる可能性は十分にある。未だその存在性が認識されていない悪魔と異なり、魔王は四騎士の前に堂々とその姿を晒している。何分セナは魔王の出現と同時に台頭したため、関連付けられる可能性が極めて高いのだ。
故に、英雄セナ及びその知人関係にあると対外的には認識されている英雄アルバートとしての像を崩さない為にも、彼らは手早く現実世界へ帰還せねばならなかった。
それでも、暫く精神感応に意識を集中させていたにも拘らず、会合の内容自体は大して変化していない。或いは全く、と形容して良いかもしれない。それほどまでに彼らは思考の泥濘にはまり込み、無限の螺旋階段を歩み続けていた。
「英雄殿はどのように考えられますか? レインザードで実際に魔王と対峙した貴方方の意見を是非とも参考にしたいと思っている。テルクライア殿もキトリア殿もまだお若い故にあまり危機感を抱きづらいかもしれないが、ここはどうか我等に力を貸していただけないだろうか?」
代表して二人に呼びかけるのは六大貴族が一人オースティン侯アーノルド。セナとルルシエには遠く及ばないものの、この会合に参列している者の中では最高齢の男。身体は年齢相応に貧弱だが精神力と気力は非常に屈強で、認知機能も若人に引けを取らないほどにしっかりしている。当主としての立場も長く、先代国王の時代から王国に仕えている重鎮中の重鎮。
重低音響く声色と荘厳な口調は、肌に刺さる様な緊張感と威圧感を生み出して英雄達を襲う。まるでその力量を見極めるかのようでもあり、セナもアルバートもルルシエも無意識に緊張感を高めてしまう。
しかし、当の本人としてはそんなつもりは全くないのが現実。生まれ持った声色と外見で無駄に他者を威圧してしまうだけであり、密かに気にしていることでもあるのだ。
セナとアルバートは、無意識に高められた緊張感を意識で正常に引き戻す。彼の威圧感程度、アルバートもセナも大した問題足りえなかった。まだアルピナの傲岸不遜で冷徹な瞳の方がよっぽど脅威足りえると二人は口を揃えて反論できるだろう。それほどまでに、彼女の存在は人間のみならず悪魔にとっても非常に強大なものとして君臨しているのだ。
さらに言えば、スクーデリアが持つ氷の女王のような冷徹な覇気やクィクィの天真爛漫で明朗快活な性格の裏に隠し持つ残酷な嗜虐的性格にもまた、オースティン侯の覇気は遠く及ばない。
故に、セナもアルバートもオースティン侯の睥睨に対して臆することなく彼の瞳を見つめ返すのだが、それが結果的に彼からの心証を爆発的に増加させることに寄与した。
英雄として祭り上げられただけの若造ではなく、心から英雄として存在するに相応しい覚悟を抱いていると彼は理解し、人間社会の未来を賭けるに相応しい存在であると確信したのだった。
そんなことを露と知らず、セナとアルバートは心中で彼の問いに対する答えを心中で構築する。悪魔そのものであるセナ及び悪魔と契約を結んだ存在であるアルバート。人間が敵愾心を抱く対象でありながら人間社会に潜入している立場として、彼らはあらゆる選択肢を保有しているに等しかった。
つまり、彼らの掌の上で人間はワルツを踊っているも同義。彼らの選択一つで人類文明の展望はあらゆる道を進むことが可能である。存続するか、滅亡するか。敵対するか無知のままでいられるか。その全ては人間達に選択する余地が残されている様で、現実はその正反対の位置に置かれている。
次回、第153話は2/27 21時頃公開予定です。




