第150話:会議
そうだねぇ、とバルエルは悩みつつ見上げる。澄み渡る様な青空は、周囲に広がるボロボロの街並みと倒錯した平和を見せつけてくれる。しかし、加害者側である彼の心が痛むことは決してない。同情しない事もなかったが、態々自由意志で救済の手を差し伸べてやろうとも思わなかった。人間側から何らかの接触があったらその限りではないのだが、そもそも人間が天使の存在性を認識していないため接触が図られることは限りなくゼロに近いのだ。
そしてバルエルは逡巡する。セツナエルの目的とアルピナの目的、これまでの経緯とこれからの予測、此方の手札と彼方の手札。あらゆることを勘定に入れて、総合的かつ客観的に分析する。
その慎重具合は、アルピナとスクーデリアに対する最大限の警戒から生まれるもの。とりわけアルピナに関しては、セツナエルの力なしでは決して勝てないことは承知の上。スクーデリアに関してもシャルエルが封印を成功させたこと自体が奇跡と言って差し支えないほど。
草創の108柱と称される最古の神の子の実力はその名に恥じない。他の神の子と異なり、生命の樹による誕生ではなく神の手による創造で命を吹き込まれた存在。隔絶された力を持っていて当然とも言えるのだ。
「アルピナ公とスクーデリアが厄介だから、せめてあの二柱をどうにかしないとだめだよね。それにあのクオン君……だっけ? 龍の力を持ってるみたいだけど、あれはどうだった?」
「相当厳しいよ。さすが皇龍様の力なだけのことはあるわね。シャルエル様もルシエル様も神界に送られたって聞いた時は信じられなかったけど、あれなら納得よ。その上、アルピナ公と契約を結んでるんでしょ? もう、どうしようもないじゃん」
お手上げ、とばかりに嘆くレムリエル。その顔は男心をくすぐる可愛らしいもので、悪く言えばカマトトぶっているようにも感じさせる。しかし決して嫌悪感を感じさせず、天使らしさを強調する聖純さと美麗さを補強することに一役買っていた。
バルエルは、そんな彼女の態度に微笑を浮かべつつ意地悪っぽい口調と声色で問いかける。
「勝てないのか?」
「まさか」
負けるわけないよ、と言いたげに自信たっぷりな態度を含んだ相好を浮かべるレムリエル。フフフッ、と妖艶に笑う彼女の自信が何に由来するものかはバルエルですら正確には掴み切れないが、しかし自信なさげに狼狽するよりはよっぽど頼りになるとして気に留めることもない。
何より、彼はレムリエルの実力を高く評価している。座天使級として申し分ない実力に加え、自信の右腕としてあらゆる雑務を完璧に遂行してくれる忠誠心と行動力は他の何事にも代えがたいもの。だからこそ、彼女に対しては気を遣うことなく本音で話し合うことができるのだ。
「取り敢えず、アルピナ公達の相手はレムリエルに一任するよ。天使でも聖獣でも自由に使っていいからさ。その間に、僕はあれの回収に専念するよ」
「りょーかい」
じゃあね、とレムリエルは手を振ってバルエルから離れる。そんなバルエルは去り行くレムリエルの背中を一瞥すると、小さく息を吐いてフードを目深にかぶり直す。これから先に待ち受ける困難と見通せない未来に一抹の不安を抱きつつ、憎たらしいほど澄み渡る青空を睥睨した。
【同刻 プレラハル王国王都】
数千年前から始まったとされている魔獣及び魔王による人間への人的被害及びその生活圏の消失は、人間達の生活とは切っても切り離せない密接な出来事として存在している。マソムラ、ラス・シャムラ、カルス・アムラ、レインザード、ベリーズ。連続する魔獣及び魔王被害は、もはや他人事とは言い切れないレベルにまで深刻化している。今日は我が身かもしれないという不安が胸中で渦巻き、日々の生活で育まれるべき正常な喜びの感情が恐怖と不安により萎縮させられている。
しかし、疎らに薄雲が広がる青空の下。幾重にも重なる喧噪が通りを縦横無尽に駆け回る王都での生活は、そんな魔獣及び魔王の脅威から意識を逸らされる。平時と何一つ変わらない長閑且つ陽気な日常が繰り返され、完璧と形容できる安全が保証されている。男も女も、老人も子供も、強固な城壁と強大な軍事力のありがたみを一身に受けることでその安全に肖ると同時に、それを当然の事とすることでそのありがたみを希薄化させている。
そして、そこへ新たに加わったのが英雄の存在。人間でありながら他の人間を遥かに凌駕するその実力は、単独で一つの部隊に匹敵すると称されるほど。そんな英雄が二人も存在するとなれば、人間の生活は確実な安全が確保されたと同義。そう解釈しても何ら不思議ではないだろう。
しかし、それは国民の視点に立った場合の話である。為政者の立場に立って思考を廻せば、その解釈は早合点だと誰もが口を揃える。とりわけ、英雄とともにレインザード攻防戦を戦った四騎士の一人であるアエラ・キィスはその思考が強かった。
彼女が剣を交えた魔王と称される存在。その強大性はとても言語化できるような易しいものではない。それが今もなお国の何処かに野放しにされているという事実には恐怖すら覚える。
そして、そこへ齎されたのはベリーズの方角から届く衝撃。人間技とは思えないそれを王都から観測し、アエラを始めとする為政者たちはその原因を確信した。魔王の再来、それ以外に考えられなかったのだ。
そして、すぐさま為政者たちによる会議が開かれる。国家の存亡、延いては人類文明の存亡をかけた分水嶺だと誰もが危惧していたからこその行動力により、それは火急に開催される。国王主導の元、四騎士及び英雄二人を交えたそれは、王城のとある一室にて行われた。
「魔王が再来したというのは事実か?」
プレラハル王国国王バルボット・デ・ラ・ラステリオンは問う。重厚感ある声は至って冷静そのものであるが、しかしその相好にはどこか不安が隠しきれていなかった。一国家を背負う領袖として危機感以上に重く圧し掛かる責任感は、一介の為政者程度では理解できない程だろう。しかし、極力それを悟られまいと隠す努力をしつつ、彼は小さく息を吐いた。
「はい。現在も間断なく発生している衝撃が何よりもの証左です。正誤は先遣隊の帰還後になりますが、断言して問題ないかと」
「だが、先遣隊の帰還まではどれだけ急いでも5日はかかる。それまでただ黙然と指を咥えて座して待つ訳にもいかないだろ?」
ガリアノットは尋ねる。それは相手を特定していない不特定多数へ向けた問いかけだった。そして、その指摘はまさに自分達の急所を穿つ痛い内容であり、誰もが言語化できない呻声を上げるだけだった。為政者として国家の平和と安全を確保するために注力しなければならない立場として、5日というのはあまりに長すぎるのだ。
「しかし、徒に兵を派遣して王都を手薄にするわけにもいかないのでは? あの衝撃は揺動で、王都が手薄になったスキを突いて襲撃してくる可能性だってある」
そう意見するのは、プレラハル王国内でそこそこの地位と影響力を持つ貴族リーンガード子爵家当主アベルド。比較的頭が廻る人間との評判によりこうした会議には頻繁に呼ばれる男で、先代の病死により比較的若く当主の座を世襲したものの、持ち前の勤勉さで他の貴族家に後れを取ることなく喰らい付く努力家でもある。
「しかし、仮にそうだとしてその目的は何になるのでしょう? その魔王とやらがこの王都を襲撃し、仮に支配を完了したとしてそこから何が得られるのでしょう? そうでなくても、先日のレンザードの一件ですらその目的が掴み切れておりませぬ。その点を考慮しても、早合点をすべきではないでしょう?」
次回、第151話は2/25 21時頃公開予定です。




