第146話:天使級の一撃
やがて土煙は晴れ上がり、各種攻撃でボロボロになった地面が露出した。その中央、元々の状態が分からないほど激しく損傷した地面に一柱の少女が立つ。傷一つどころか埃汚れ一つなく、彼女は金色の魔眼を煌びやかに輝かせながら空に浮かぶ天使達を睥睨していたのだ。
アルピナをさらに下回る小柄な体躯に、後ろで一つに纏めた緋黄色の髪。人間換算で10代後半程度の可憐で稚い相貌は眩く輝き、雪色の肌は年齢にそぐわない扇情的な彩りを見せてくれていた。黒を基調としたマスキュリンファッションには、御髪や瞳と同じ緋黄色の差し色が鏤められている。
「ぜ~んぜんダメだね。そんなのでボクを殺せるわけないじゃん。それじゃあ、次はボクの番だね!」
溜息を零して呆れるクィクィは、しかしすぐさま感情を切り替えて笑う。悪戯好きの猫を彷彿とさせる愛らしい笑顔は、何も知らない人間が見れば瞬く間に魅了されてしまいそうなもの。しかし、彼女の本質を知る天使達には死を告げる鐘の音と同等の存在として戦慄する。
地面を軽く蹴って上空に浮かび上がるクィクィ。フワリ、と音もなく飛翔する優雅な姿を無防備に曝け出し、クィクィは天使達の中心まで移動する。
どうぞ好きに攻撃してもいいよ、と言わんばかりの姿勢に天使達は攻撃を加えたくなるが、その先に明るい未来が待ち受けていないことは明々白々なのでグッと堪えて唇を噛む事しか出来なかった。
「クソがァ!」
そんな中、一柱の天使フェルマエルがクィクィを強襲する。憤怒の感情に支配された聖眼を輝かせ、過剰なほどの力で握る聖武器を振り下ろしていた。
「おっ、いい覚悟だねぇ。おいでよ。ボクが相手をしてあげよう」
クィクィはその聖剣を片手で受け止め、空いた手の指を曲げてフェルマエルを挑発する。可憐で稚い笑みは冷徹で冷酷な微笑へと変わり、金色に輝く魔眼が彼の魂を探る。
やっぱり、魂が良く見えないなぁ。でも、見たことない顔だし天使級かな?
天使級は全部で九つある天使の階級の内最も下の階級。第二次神龍大戦終戦後、つまり直近10,000年以内に生まれた天使達が属する階級である。悪魔で言うところの男爵級に相当する地位であり、それはつまりクィクィの相手には到底なりえないほどの弱小であるということ。それでも、玉砕覚悟で強襲してきた覚悟だけはクィクィとしても称賛に当たると認めるところである。
「うん、その覚悟だけは立派みたいだね。でも、さっきも言ったけどその程度でボクを殺すのは絶対に無理だよ」
残念でした、と舌を出して悪戯っぽく嗤うクィクィは、フェルマエルの背後に回り込んで両腕を拘束する。両肩関節が正常可動域を逸脱した方向へ曲がり、フェルマエルは苦痛の相好と声を漏らす。ギリギリ、と音を立てて腕が曲がり、最終域感のさらに先まで動かされる。
クィクィは、苦痛に相好を歪める彼の耳元に顔を近づける。甘く官能的な声色で柔らに語り掛け、彼の心と魂を揺する。
「ねぇねぇ、これからどうしてほしい? もっとじっくり遊んであげようか?」
「黙れッ!」
フェルマエルは叫声を上げてクィクィを振り払おうと藻掻く。しかし、圧倒的な力を持つクィクィの前に、フェルマエルの力は軽くあしらわれる。フェルマエル自身、それなりの力を持っているはずなのだが、クィクィが特別力に秀でていることが災いしてしまった。
クィクィはフェルマエルの拘束を解いて距離を取る。変わらない可憐な冷笑を浮かべつつ、フェルマエルの金色の聖眼を見据えた。
「いいじゃん、悪くないね。もっともっとかかっておいでよ。キミ以外もさ、黙って見てないで加勢したっていいんだよ?」
周囲を見渡しつつ挑発的な眼光を輝かせるクィクィに、天使達は挙って覚悟を決める。フェルマエルの覚悟を無碍にしない為にも、全員が手に聖武器を握りクィクィへ攻めかかる。
「漸くその気になってくれたんだね。それじゃあ、始めようか」
大胆不敵且つ嗜虐的な微笑みを浮かべたクィクィは、両手掌に自身の魔力を集約させる。魂から湧出するそれは黄昏色に輝き、死を告げる鐘の音の如き殺気と絶望感を振り撒いた。
そんな恐怖の予告に負けじと、天使達は雄たけびをあげながらクィクィを強襲する。覚悟が決まった金色の聖眼は血走り、もはや正常とは言い難い。まともな感情を放棄し破滅的な感情だけを頼りにした直情的な攻撃が、クィクィの魂を目指して襲い掛かろうとしていた。
〈魔鳳嵐〉
クィクィの手掌に集約されていた魔力が弾ける。それは瞬く間に周囲一帯へ広がり、濃密な魔力の渦を形成する。
嵐のように吹き荒ぶクィクィの魔力。それが天使達を包み込んで行動を制限するとともに、真空の刃が彼らの身体を切り裂いていく。不可視の斬撃は決して防ぐことはできず、天使達は為す術もなく体力を消耗させる事しか出来なかった。
やがて、嵐が止む。温暖な海風が吹き込み、潮騒の調べとともに優しく頬を撫でる。クィクィは小さく息を吐くと、魂の湧出を抑制する。周囲では深手を負った天使達が雨粒のように地面へ降り注いでいた。
所詮はこの程度だよね。そろそろ終わらせよっか。魂の違和感が分からなかったのはちょっと悔しいけど、調べる機会なんてこれから幾らでもありそうだしね。
クィクィは指を銃にして眼下に転がる天使達に照準を合わせる。肉体を失った魂が復活の理へ流れる様に魔法を重ねがけし、魂で産生される魔力を指尖に集約する。
その時だった。クィクィの背後からフェルマエルが聖剣を振りかぶって強襲した。魂の不安定化に伴う索敵障害の影響により、クィクィは一瞬ながら反応が遅れてしまった。薄い暁闇色に輝く聖剣がクィクィの背中を辛うじてながら斬り裂くと、力を失ったのかその場で霧散してしまった。
傷を負ってしまったクィクィは、しかしそれに一切気を留めることなくフェルマエルの頭部を小さく愛らしい手で掴み上げる。関心と苛立ちが両立する相好を浮かべ、しかしそんな動揺を悟られたくないとばかりに気丈に振舞いつつフェルマエルへ語り掛ける。
「ふぅん、なかなかやるじゃん。でも、まだ足りなかったね。そんな満身創痍で、ボクに致命の一撃を与えられるわけないよね」
クィクィの魔力が、彼女が負ってしまった傷口部分へ集う。その魔力は彼女の失われた血や皮膚組織、その他必要物質へと置換される。ものの数秒で、斬り裂かれた服とともに彼女の身体は何事もなかったかのように修復される。
新生天使の攻撃でボクの身体に傷が……? やっぱり、何かがおかしい……?
天使と悪魔の相性差により、本来であれば天使の攻撃は悪魔にとって致命となる。しかし、それはあくまでも天使が悪魔を上回っているか双方の実力がある程度拮抗している場合に限られる。悪魔側の実力が圧倒的に高い場合は、例外的に相性は無無効化される。
それに限らず、神の子の身体はヒトの子と比較して異常なほど頑丈であるため、実力が乖離している場合は相性に関係なく傷を負わせることはできないのだ。その為、今回のように新生天使であるフェルマエルとクィクィが戦った場合、本来であれば天使フェルマエルによる悪魔クィクィへの特効は効果を失う。その上、新生天使と悪魔侯という別次元の実力差によりフェルマエルの攻撃は全て無効化されるはずなのだ。
それにも拘らず、フェルマエルの攻撃はクィクィに傷を負わせた。命にかかわるほどの傷ではないとはいえ、傷を負わせたこと自体は事実であり、それは到底あり得ない事なのだ。
困惑の相好を浮かべつつ、クィクィは傷口を黙然と見据える。不穏で冷たい無言の時が流れ、重苦しい緊張感で辺りは包まれる。
次回、第147話は2/21 21時頃公開予定です。