第144話:魔不引害
太古よりアルピナとジルニアのくだらない戦闘を止め続けてきた彼女の存在は、その功績とともにあらゆる神の子に認知されている。
その戦闘は、神龍大戦全体を通してみた時の過激さには少なからず劣る。しかし個々の戦闘と比較してみれば、神龍大戦の方がまだ可愛らしい戦いが多かった、と思ってしまうほどに二柱の衝突というのは世界全体で見ても稀有な事例なのだ。
そんな彼女に、果たして新生天使を含む多数の天使が束になったところで敵うことがあるだろうか。生きた時間と保有する力が比例する神の子の特性も相まって、天使達は自分達程度では決して敵うはずがないと悟ったのだ。更に言えば、生きて天界に帰還することは当然として、生きてこの町から脱出することすら不可能である、と悟ってしまう始末だった。
何より、クィクィの本質は残虐非道。小柄で稚く可憐な外見に反して、その内実は冥々たる黄昏色のオーラで充満している。猫を被った態度とは裏腹に、その性格はアルピナより倫理観が欠如しているとすら評されるほど。
己の感情に忠実であり、己の興味関心の消失とともに、その対象の生死は確定する。必要とあらば虐殺行為すら厭わない。それが例え人間相手であっても、だ。
しかし、自らの同胞である悪魔達にその態度を見せることはない。それは猫を被っているのではなく、純粋に本心として可憐で陽気な態度で振舞っているのだ。二重人格と形容する者も少数ながら存在するが、それは恐らく誤りだろうと大多数は考えている。そう思わせられるほどに、計算高い仕草を随所で見せつけてくるのだ。
地面に降り立ったクィクィは、クオンの側に歩み寄る。恐怖で竦んだ天使達は、無意識に道を譲ってしまう。手を出すな、と無言の圧が吹き荒ぶ。古参天使は平然とそれを耐えているようだったが、新生天使達は消失しそうになる意識を辛うじて握り締めているようだった。
四肢は震え、額からは冷汗が滲出する。一瞬でも気を抜けば神界に送られてしまいそうだった。直近一万年以内に生まれた天使達にとってみれば、これほどまでに強烈な覇気を経験するのは初めての事であり、場合によっては悪魔と会う事自体初めてな者だって存在するかもしれない。
そんな天使達には一切気を留めることなく、クィクィとクオンは肩を並べる。そのすぐ後ろには少年が蹲り、頭を抱え込んで身を護っていた。
「遅くなってごめんね、すぐ終わらせるから」
「ああ、助かるよ。いくら大半が新生天使とは言え、これだけ多いと流石に手に負えなくてな」
小さく息を吐きながら、クオンは本心からの安堵の声を呟く。龍魔眼の乱用で心身がそれなりに消耗されつつあった。レインザードでの戦闘ほどではないものの、皇龍の龍脈から受ける負荷は避けられなかった。
微かに痛みつつある龍魔眼に眉を顰め、横に並び立つクィクィを一瞥する。可憐で稚い雰囲気は変わらず、緋黄色の髪が風に乗って靡いている。しかし、それと同時に感じるのは圧倒的なまでの冷酷な殺気。アルピナのそれと大差ない恐怖は、仲間であるはずのクオンと少年をも襲撃する。
それでも、仲間であるという自負と決して裏切らないという信頼で二人は己の心を保つ。少年は二柱の背中に全幅の信頼を預け、クオンとクィクィはそれに応えるように微笑を浮かべるのだった。
さて、とクオンは呟く。遺剣に纏わせた龍脈を自身の魂へ注ぎ込むことで龍魔力を生成し、それを全身及び遺剣へと環流する。節々の痛みに顔を顰めつつ、しかし気丈に振舞いつつ眼前の天使を睥睨する。
クィクィもまた同様に、魂から高濃度の魔力を湧出させて天使達に微笑む。冷徹で無感情のその微笑みに乗せられた覇気は、天使達の魂に刺さる。
凄い……。何が起きてるのかよくわからないけど……とにかく凄いのだけは分かる……。これなら大丈夫なのかな。
少年は、恐怖に沈む相好を希望に満ちた明るい相好へ着け替える。天使達に執拗に狙われる理由はいまだ不明ながらも、この人たちと一緒にいればきっと大丈夫、と無意識のうちに確信する。記憶が失われていることすら亡失し、純粋な感情でクオンとクィクィを応援していた。
「始めようか、クィクィ」
「うんッ! ……ごめんね、もうすぐ終わるから」
クィクィは快活な返事をクオンに返す。外見に反しない可憐な声色と口調は、まるで夏の日輪のように眩く輝き、心に燻るくだらない不安が浄化されていくようだった。
そのままクィクィは、背後に蹲る少年を振り向く。希望を見出せたとしても未だ大きな不安と恐怖に囚われている少年の心を癒すように、優しく語り掛けた。冷静沈着な言の葉を信用し、少年は静かに頷いた。
「あっ、そうだ」
何かを思い出したようにクィクィは声を上げる。そして少年の足元に魔法陣を描くと、魔力を流し込む。
〈魔不引害〉
規定量の魔力が補填されるとその魔法陣は起動し、彼を護る様に半球状の半透明のドームが出現した。その魔法は、魔力で構築された盾。邪な感情に起因する害意を寄せ付けず、内部の者の安全と安心を保障する膜を構築することで、少年を天使達の襲撃から護ることができるのだ。あまり長時間構築することはできないが、それでもこの戦闘中程度であれば問題なく起動し続けることができる。
一時の安らぎを確保した少年は安堵の時を零し、クオンもまた、心置きなく戦闘に集中できる安心感と開放感を獲得したことによる微笑を浮かべるのだった。
そして、クオンとクィクィは同時に地面を蹴る。踏み込んだ足が地にめり込み、その反動を利用してクオンとクィクィは超高速で天使の群れに突撃する。人間は当然として、大した力量のない新生天使ですらその姿を捉え切れないほどの超速度のそれは、一縷の躊躇もなく天使の群れに突入した。
不鮮明な魂に阻害され魔眼や龍魔眼が頼りにならないながらも、二柱は天使達を蹂躙していく。文字通り悪魔の所業を体現するかのような悪逆非道な雰囲気で戦場は包まれ、天使達の断末魔だけが反響する。血飛沫が辺り構わず噴出し、肉体を失った魂が新たな肉体を求めて彷徨する。レンザードの戦いより遥かに小規模だったが、それでも人間社会には甚大な影響を及ぼすことは確実だろう。
クオンもクィクィも、そのような事を一切気に留めることなく、天使達と力を衝突しあっている。クィクィは当然の事乍ら、クオンもまた天使を相手に有利に立ちまわることができていた。それはクィクィという強力な助っ人兼精神的支柱がいることもあるが、それ以上に龍脈の影響が大きかった。
そもそも、どれだけ精神的支柱が存在していようとも、気持ちだけでヒトの子が神の子に抗うことはできないのだ。聖獣や魔物であれば完全に不可能とは言い切れないが、しかし天使、悪魔、龍の三種族には天地が逆転しようとも不可能である。
にも拘わらずクオンが多数の天使を相手に有利を確保できているのは、偏に遺剣に宿る皇龍の龍脈のおかげだろう。シャルエルやルシエルと言った智天使ですら真っ向から立ち向かえるほどの力は、皇龍にしか成し得ない奇蹟だろう。
しかし、一介の人間でしかないクオンがそれほど強大な力を扱うに代償が生じないことがあろうか? 皇龍の力は、例え遺剣に残留する程度の量であってもヒトの子に扱いきれる許容量を大幅に超えている。にも拘らず、クオンは遺剣の力を自由自在に使いこなし、剰えそれを自身の魂に逆流させても僅かな代償を支払うだけで済んでいるのだ。
それは偏に、契約で授かったアルピナの魔力のおかげなのだろうか? 或いは、それ以外に何らかの要因が作用しているのではないだろうか?
次回、第145話は2/19 21時頃公開予定です。




