第143話:ルキナエル
無数の迫りくる天使達の魂を掴み切れず、決して苦戦する相手ではないはずの天使を相手に不必要な苦戦を強いられてしまう。魔眼を頼りに敵の位置や実力や思考や行動を把握してきたがために生じた弊害だった。
しかし、それでもクィクィに敗北の文字はなかった。魔眼に頼らずとも、龍に匹敵する純粋な力を持つ彼女の前に一介の天使如きでは立ち塞がることはできない。それは、小柄で可憐で稚いその躯体のどこにそれだけの力が内包されているのだろうか、と思わざるを得ないほど。誰もが無様な声を上げながらクィクィに吹き飛ばされてしまう。
「おっと、危ない危ない」
不意を突かれる一撃に、クィクィは身を大きく翻して躱す。これまでのような魔眼に頼った柵的ではなく、肉眼での捕捉というのは、どうしても死角が大きくなってしまう。なまじ、クィクィの魔眼はスクーデリアに劣るもののアルピナに比肩する程度には鋭利だ。。それは、出力を上げれば地界全体を手掌の上のことのように感じられるほど。
故に、その窮屈さは他の神の子や人間達には想像できないほど。たかが魔眼一つといえども、それは彼女に甚大な損害を被らせるに十分すぎるのだ。
「う~ん、やっぱり戦いにくいなぁ。キミ達の魂に仕組まれてるその違和感って何なの?」
教えてよ、と圧迫感溢れる相好と声色で天使達に凄むクィクィ。可憐でか弱い外見はそのままに、しかしあまりにも乖離した雰囲気はより増強されて感じられる。羽虫を捕まえた童のような残酷さすら感じられ、その命の終焉が脳裏を過らざるを得なかった。
「いくらクィクィ侯といえども、その問いにお答えすることは出来かねます」
「ふぅん。天使のくせに随分と偉そうだね、キミ。まぁ、いいや。それよりさ、あの子を狙う理由は何? どんな大義があってこんな騒ぎを起こせるの?」
自分達が何をしているのか分かっているのか、と冷徹な瞳で睥睨するクィクィ。死そのものと形容できそうな恐怖が嵐のように吹き荒び、天使達は挙って冷汗を額に滲出させる。それでも、一対二枚の翼を羽ばたかせる天使ルキナエルは答える。
「我が君の御下命のもとに、我々はすべきことをするまでの事。クィクィ侯なら、聞かずとも予想がついていたのでは?」
見たことない天使だ、とクィクィはルキナエルの話を適当に聞き流しつつ彼女の瞳を見据える。燦然と輝く大きな新緑色の光彩は、宝石細工のように煌びやかに映えていた。神の子特有な雪色の肌が、陽光に照らされて眩いほどに輝いている。
そんな彼女の全身をサッと一瞥し、そして自身の記憶と照らし合わせる。しかし、ただ単に彼女の事を覚えていないのか、或いは初めて会うのかは定かではないが、どちらにせよ大した友情や信頼は持ち合わせていなかった。
「天使と話すのは9,000年振りだけど、全然変わってないね。そーやって、すぐセツナお姉ちゃんが出てくる。だから天使って嫌いなんだよ。自由意志を持たない傀儡人形としての生活のどこが楽しいの?」
だからさ、とクィクィは手刀でルキナエルの胸部を貫く。鮮血が噴出し、辺り一面を赤で染める。ルキナエルは断末魔を上げる気力すらなく脱力する。辛うじてまだ生きてはいるようだったが、死を迎えるのは時間の問題だろう。
「殺しても問題ないよね? 大人しく死んでくれる?」
残虐非道で冷酷な大国の皇帝のようでもあり、創作物に頻出する氷の女王のようでもある冷たい無感情の眼光と声色が、ルキナエルの命を抉る。
クィクィの手掌にはルキナエルの魂が握られており、微かに残る新緑色の輝きを辛うじて放っていた。その魂を掌で弄びつつ、クィクィはその秘密を探る様に魔眼を向ける。捉えづらい魂も手掌の上にあれば関係ない。徐にルキナエルの胸部から腕を引き抜きつつ、彼女は解析を続ける。
ルキナエルはそのまま地上に落下する。既に骸となった肉体は、音を立てて転がり土に塗れる。胸部を貫かれた際にかけられたクィクィの保護魔法のおかげで、胸部の風穴以外の損傷は見られない。その上、存在もまた秘匿されているため、逃げ惑う人間達に発見されることもない。
う~ん、よくわかんないや。アルピナお姉ちゃんかスクーデリアお姉ちゃんならわかりそうだけど、魂を持ったままにするわけにもいかないし……仕方ないよね。
クィクィはルキナエルの骸に魔法陣を描く。そして、手にしている彼女の魂と紐付けして復活の理に乗せる。それに乗せられたルキナエルの肉体と魂は、神界へと送られるべくその場で姿を消すのだった。
そして、そこから先は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。可憐で稚い小柄彼女が何故悪魔の中でも指折りの強者なのか、そもそも彼女が真に悪魔であることを再認識させられる光景だった。
「ほら、どうしたの? 早くかかっておいでよ」
満面の笑みを浮かべ、血しぶきを全身に浴びながら彼女は金色の魔眼を輝かせる。緋黄色の髪と黒を基調とした可愛らしいストリート風の服が鮮血色に染まった。
そして、僅か数分で、彼女に襲い掛かって来ていた天使達は骸となった。全ての肉体はそれぞれ本来の魂と紐付けされ、クィクィの魔法により神界へと送られる。
それを見届けたクィクィは小さく息を吐いた。さて、と気持ちを切り替えると金色の魔眼を燦然と輝かせるのだった。
「そんなことよりクオンお兄ちゃんを助けなくちゃ」
クィクィは魔眼を凝らしてクオンの魂を探す。人間と悪魔と龍が結合した特徴的な魂の波長は、大した苦労もなくすぐに見つけられた。龍魔力を放出し、無数に攻めかかる天使達を相手に辛うじて立ちまわっている様だった。
さすがに、ジルニアお兄ちゃんの龍脈なだけのことはあるみたいだね。
それでも、とクィクィはクオンの許へ急行する。戦いが激化していくにつれ、それなりに距離が離れてしまっていたようだった。それでも、神の子である彼女にとっては大した距離とは言えない程度でしかない。しかし、その短い距離で生じる僅かな誤差が勝敗を分かつ要素になり得ると知っているからこそ、彼女は町に被害が出ない程度に急ぐのだった。
チッ、一体何柱いるんだ?
クオンは、少年を護りつつ、無数に迫りくる天使達を斬り伏せていた。抱えたままの戦闘が困難になったことから、戦いの舞台を空中から地上に移したのだが、それでもクオンの手には負いきれないほどの天使が攻めてきているのは確実だった。
足元では少年が恐怖に蹲りつつ震え、しかし決して泣くことなくクオンの背後に隠れる。折り重なるように襲撃する天使達に創作上の悪魔の如き恐怖を抱き、どうにかして早く戦闘が終結してほしいと希っていた。
しかし、戦闘が終結する気配は一向に訪れない。それには少年のみならず、クオンもまた同様に辟易としていた。決してあきらめないと言えば好印象だが、言い換えれば粘着質であり、嫌悪感すら抱いてしまう。
そして、天使達の目的がこの少年であるということは、クオンもまた織り込み済み。だからこそ、クオンは戦いながら少年の正体に思いを馳せていた。しかし、どれだけ考えても予想の一欠片すら浮かばなかった。そして、そんな少年を何故天使達が執拗に欲しがっているのかもまた同様に予想できずじまいだった。
さて、どうしたものか。せめてクィクィが戻ってくれば助かるんだが……。
金色に輝く龍魔眼を開き、クオンはベリーズ全体を見渡す。襲撃してくる天使達の不明瞭な魂が邪魔で捜索を阻害されるが、それでもどうにかそれをかき分けてクィクィを見つけ出す。そして、彼女が今まさにこちらへ来ようとしている事に気が付いた。
「お待たせ、クオンお兄ちゃん!」
どこからともなく聞こえてくる可憐で稚い純粋な声色。聞いているだけで心が安らぐような、そんな心地よさも併せ持っている様だった。
しかし、それはクオンと少年に限った話。天使達にとってそれは文字通り悪魔の呼び声であり、自らの命の灯が消えることが確定した瞬間なのだ。
次回、第144話は2/18 21時頃公開予定です。




