第142話:色
どちらの心にも、見逃すという選択肢は含まれていない。初めから生かして逃す選択肢は考慮されていなかった。それは神龍大戦時から変わらない彼女達の思考回路であり、彼女らを悪魔足らしめるに相応しいものだった。
しかし、だからと言ってこれまでの戦いの全てにおいて敵を殲滅したという訳ではない。その代表例がジルニアとセツナエルであり、億を超す戦いの歴史の中で、その二柱だけは一度も殺したことはない。正しくは、殺せなかったと表現すべきかもしれない。
それは、純粋な実力の兼ね合いもあるが、何より立場故の弊害が第一に挙げられる。しかし、今彼女達の眼前で敵対する天使達にそのような立場は存在しない。つまり、気兼ねなく頃せる相手であるということであり、今更躊躇する必要性を抱かない。
それでも、龍魂の欠片を巡る対立における天使側の行動原理を掴むまではむやみやたらに殺せないのもまた事実。セツナエルの処遇を決定する為にも、その点だけは確実に抑えたかったのだ。
両立する二つの感情に板挟みにされながらも、アルピナとスクーデリアはイマイチ湧き上がらない闘志に無理やり火をつける。闘志と殺気を燃え上がらせる天使達を遇らいつつ、その本心と秘密に探りを入れるのだった。
さて、どうしたものか。せめてクィクィ達の安全が確保できるまでは囮になるべきだが……。
戦いが苛烈を究めるにつれ、天使側の造園は着実に増えていく。視界の四半分ほどを埋める数の天使が天界から降臨し、それぞれ一対二枚の翼を羽ばたかせて聖力を溢出させている。聖剣を始めとする各種聖武器を手に握り、集団となって悪魔を包囲した。
「ほぅ、随分と天使は数が増えたようだな。その半分でも悪魔側に来るつもりはないか?」
「御冗談を。例えアルピナ公の誘いとは言えども我々がそれに首肯するわけにはいきません」
集団に属する誰かが代表して答える。個体を特定できなかったが、新生天使だったのだろう、とアルピナは自分自身を納得させる。直近10,000年以内に生まれた神の子以外の名前と顔と魂を全て把握している彼女らしい納得方法だった。
そして、その答えは人知れず天使達の寿命を延ばすことにもつながっていた。と言うのも、先程のアルピナの提案は、彼女の本心であると同時に天使達の覚悟を見極めるための材料でもあったのだ。あの場で微かでも悪魔に与する姿勢を見せていたら、天使としての自負と矜持が不足していると見做して即刻神界送りにする予定だったのだ。しかし、幸か不幸か悪魔に心を売る様な行為が一欠片も見えなかったことで、その予定は霧散してしまった。
流石に、そこまで愚昧者ではないか。しかし、まぁいいだろう。
やれやれ、とばかりに溜息を零しつつ、アルピナは天使達を蹴散らしていく。単純なコンベア作業のように単調に処理されていく天使達の魂は次々と神界へと送られていく。生まれたばかりで初戦闘が悪魔公というのは何とも運が悪いとしか言いようがなかったが、しかし始まってしまったものはどうしようもない。アルピナも、そのような些末事で見逃すようなお人好しでもないため、所々に混ざる旧知の天使諸共その魂を肉体とともに復活の理へ流していく。
そんな彼女のすぐ近くでは、スクーデリアもまた同様に無数の天使に囲まれながらその数を着実に減らしていた。アルピナのように心を試すようなマネはせず、氷の女王のような金色の瞳を輝かせながら機械人形のように仕事をこなしていた。
鈍色の長髪が大きく靡き、淡色のドレスワンピースが血肉の香り充満する殺伐とした戦いとは無縁の清楚で長閑な彩を添えていた。倒錯した環境の中でもその輝きが失われることはなく、スクーデリアの気品ある佇まいは、天使達に囲まれて尚負けず劣らずの美麗を教えてくれた。
しかし、客観的には冷静沈着で美麗な雰囲気を他射していない彼女だが、内実はそれとは程遠い荒模様だった。辟易とするほどの圧倒的な数的不利は、決して質的不利に繋がらない。しかし、戦いを好まない性格上、仕方ないとは言え戦いの長期化を素直には受け入れがたかった。クィクィやクオンのためという大義がなければ今すぐにでも戦いを終えたい始末だった。
……向こうも天使達が増えてきたようね。クィクィがいればよほどのことがない限り大丈夫でしょうけど……。
心中で心配の感情を吐露しつつ、魔眼でベリーズの外れを探る。クィクィ、クオン、そして気を苦を失った少年が果たして無事なのか。よほどのことがない限り敗北はあり得ないと確信しているものの、しかし長い時を共に生きた友人であるが故の心配は、理性だけで抑え込めるほど単純な回路で構成されていないのだ。
スクーデリアが、そんな心配を胸に秘めながら天使達を蹂躙している頃、クオン達は少年を連れてベリーズの空を飛行していた。背後や眼下の町中から天使達が湧出してくるのを迎撃しつつ、恐怖と不安の震える少年を守り抜いていた。
「クソッ、数が多いな」
金色の龍魔眼を輝かせながら、クオンは遺剣を振るう。片手に少年を抱えたままの戦闘のため、なかなか実力が出し切れない。それでも、あらゆる限りを尽くして少年を守り抜こうと足掻き続ける。
それは、彼が悪魔達と異なり契約に基づかない自由意志で行動できるが故のもの。天使に家族を奪われてしまった悲しみを背負っているが故の想いだった。これ以上、誰も同じ思いをしてほしくない。それが彼の想いであり、レインザードでも犠牲者をだれ一人出さなかったことからもその本気度合いは本物だと確信できる。
遺剣から逆流させた龍脈と魂から湧出する魔力を混合し、龍魔力として全身へ還流させつつ遺剣へ還元する。人間と悪魔と龍が綯交した不安定な力を魂で強引に抑え込みつつ、どうにか天使を追い払う。
「大丈夫、クオンお兄ちゃん?」
稚い可憐な相好を燦然と輝かせるクィクィは、クオンと背中合わせになりながら問う。魂からは濃密な魔力が湧出し、その小柄な肉体からは想像できないほどの強烈な覇気が辺り一面に広がった。
これがクィクィの魔力か……。流石、純粋な力だけならアルピナを上回るだけあって、魔力も圧倒的だな。
「あぁ、なんとかな」
仲間であることがこれほど頼りになる瞬間はそう多くないだろうな、と感心できるほどの信頼を胸中に抱きつつ、クオンはクィクィを一瞥した。
そんな彼のすぐ背中で、クィクィは金色の魔眼を輝かせて天使達の魂を見る。しかし、どの天使を探っても変わらず感じられるのは不透明で言語化できない違和感だった。
本来、魂はそれぞれ種族固有の色を持っており、そこからさらに個体固有の色を併せ持つ。天使なら暁闇色、悪魔なら黄昏色、龍なら琥珀色といった種族色と、セツナエルなら茜色、アルピナなら青色、ジルニアなら白銀色といった個体色という具合だ。
しかし、今のクィクィの瞳に宿る金色の魔眼にはそのように映っていなかった。種族職も個体色も、それぞれ不自然なほどに不鮮明であり、識別することができないのだ。その上、探知することすら難しく、限りなく意識を集中させないと僅かな不注意でその位置が分からなくなってしまう。
それはまるで、濃霧の砂漠で手掌大の硝子球を探すような難易度であり、非常に繊細な作業を要求されるのだ。
う~ん……やっぱりうまく見えないなぁ。
首をかしげて疑問符を頭上に浮かべるクィクィは、苛立つ心をどうにか理性で抑え込みつつ心中で呟く。しかし、幾ら悩んでもその原因が掴み切れなかった。
次回、第143話は2/17 21時頃公開予定です。




