第141話:濁った魂
そんなアルピナのすぐ近くでは、スクーデリアが同じように天使を相手に町を縦横無尽に飛び回っていた。鈍色の長髪を靡かせ、複数体の天使を同時に相手取りながらアルピナと同じように思考の渦に飲まれていた。アルピナが理解できていない様に、スクーデリアもまた天使達の魂から感じる違和感に悩まされていた。
「一体誰の入れ知恵かしら、アザリエル?」
「さぁな。教えるものか」
悪戯好きな童のようでもあり悪知恵働く悪童のようでもあるその相好は、スクーデリアの心を弄ぶ。決して上品とは言えない顔面を剥き出しにしつつも当の本人はそのような事実に一切気付いていない、と言わんばかりの態度は、見ていて嫌悪感を覚える。
それでも、憤懣を金色の瞳の中で積もらせるスクーデリアは、しかし相好にその事実を表面化させる事なく平静を保っていた。アザリエル程度の小者を相手に態々感情を消費させる事すら惜しいとばかりに金色の瞳を輝かせる。
そして、スクーデリア対天使達の戦いは再び始まる。アルピナと異なり町の破壊を極力抑え、しかしある程度の破壊を許容しつつ町中を縦横無尽に飛び回る。聖弾と魔弾が交差し、聖剣と魔剣が火花を散らせる。
「思ってたよりはマシなようね。それでも、所詮はその程度。警戒するまでもないわね」
その言葉通り、スクーデリアは複数の天使を相手に選挙区を思い通り描く。決して焦ることなく、思い描いた展開通りに天使達を翻弄し、暇つぶし感覚で殺気と殺気をぶつけ合う。
その間も、眼下では人間達の叫声が反響し、認識阻害の魔法により虚飾された認識と記憶を植え付けられている。どれだけ派手に暴れようとも彼女達が魔王として認識されることはなく、自分が何に恐怖しているのかすら正確に把握することができずにただ逃げ惑う。
さて、これからどうしようかしら? クィクィ達はまだ逃げてるみたいだし、もう少し遊んでいた方がいいかしら?
それにしても、とスクーデリアは相対する天使達を弄びつつ魂を覗き見る。金色の魔眼が魂の奥底まで侵入し、その内奥を詳らかにしようとする。
天使のようでもあり、天使ではない様にも感じられる……。何か不純物が混ざっているかのような……。一体、どんな小細工をしたのかしら?
自分の魔眼が衰えたのか、と疑問に思ってしまうほどの違和感。眼鼻の距離に居る天使の魂すらうまく探知できないもどかしさは、スクーデリアの思考を無限の奈落へと突き落とす。生まれて此の方感じたことが内容ない違和感は、しかしどれだけ考えを張り巡らせようとも解決の手掛かりすら仮定することができなかった。
「折角私達の魔眼を出し抜けても、その程度の聖力ではただの宝の持ち腐れね」
「チッ」
アザリエルとともにスクーデリアへ聖剣を向けるスピナエルは、スクーデリアの挑発に対してわかりやすく苛立ちの相好を浮かべる。神龍大戦でも同じように挑発に乗ってくれていたな、とスクーデリアは思い出しつつ、その感情を弄ぶように微笑を浮かべる。
「相変わらず貴女はわかりやすいわね、スピナエル。もう少し感情を隠す努力をした方がいいわ」
「煩いわよッ!」
スクーデリアの忠告を無碍にするように声を荒らげるスピナエルは、金色の聖眼を焔のように燃え上がらせる。スクーデリアに対して何か恨みでもあるかのようにすら感じさせるそれに対し、スクーデリアは全く身に覚えがないとばかりに無視する。気にしても気にしなくても結果が変わることはないと知っている上に、態々相手の土俵に上がってあげるほどの恩がある訳ではないのだ。
「それで、いつまで続けるのかしら? もう飽きてきたのだけれど?」
面倒だな、と言わんばかりの溜息を零しつつ、スクーデリアはスピナエルの攻撃をかわし続ける。しかし、スクーデリアの辟易とした問いかけに対してスピナエルもアザリエルも、他の天使達も答える様子はない。いつまででも戦ってやろう、という声が幻聴として届いてくるかのような覇気だけが無言の返事として与えられた。
面倒ね、とため息とともに独り言ちるスクーデリアは、天使達から距離を取る様に移動する。そして、同じく天使達から距離を取る様に移動してきたアルピナと背中合わせになる。
その相好はスクーデリアと非常に似通っている。戦うことが好きな彼女ですら、天使を相手にするのは面倒だ、と言わんばかりに鈍い魔眼を鈍く輝かせている。戦いづらい理由がある訳ではないが、心の中で燻る違和感が拭えない為か、不思議と意欲が低迷している様だった。
海風が吹き、肩程の黒髪と鈍色の長髪が絡み合うように靡く。肌の上を温暖な潮騒が駆け抜け、眼前の闘争とは倒錯した平和的な香りを漂わせる。波打つ潮の歌声を背景に、二柱の悪魔は背中合わせのまま目配せする。互いの心中を察し、自然な微笑が漏出していた。
「あら、随分とつまらなさそうね、アルピナ?」
「君こそ、草臥れた蛙のような顔をしているな。何か憤懣でも溜まったか?」
酷過ぎる喩えね、と笑うスクーデリアだが、しかしその瞳に嫌悪感はない。寧ろ、くだらない戦いを彩るスパイスとして丁度良いといった具合の笑顔を浮かべている始末だった。何より、発言者であるアルピナもまた、戦いのつまらなさを一時的にでも忘れられた、と言わんばかりの普段と変わらない相好へ戻っていた。
そんな二柱の眼前に、散り散りになっていた天使達が再び集結する。迸出する聖力を隠そうともせず、しかし同時に天使らしくない魂の色を露呈させて悪魔を睥睨していた。さて、とアルピナは小さく息を吐くとスクーデリアに問いかける。
「スクーデリア、君は何かわかったか?」
「そうね、ワタシの魔眼でも違和感は拭いきれないわ。ただ、今分かった事だけど、彼らの魂はどうも濁っているようね」
「濁ってる?」
どういうことだ、とアルピナはスクーデリアの言葉を鸚鵡返ししつつ問いかける。スクーデリアの魔眼は自他ともに認めるほどに強大なもの。それはアルピナとて例外ではない。彼女の魔眼を誰よりも信頼しているからこそ、彼女の言葉には誰よりも真摯に耳を傾ける。
「ええ。純粋な天使の根源ではなく、何か異物が混入しているような、そんな違和感ね」
ふむ、とアルピナは改めて天使達の魂に魔眼を向ける。魔力を魔眼に集約し、より鮮明に、より深奥まで見透かすように魔眼を凝らした。神龍大戦が最も激化していた頃を彷彿とさせる出力に、彼女は心の片隅で懐かしさを覚えてしまう。あまりに強すぎる出力では不要な力すらも探知してしまう、という理由からめったなことでは使用していなかったことを思い出しつつ、しかし必要が必要であるが故に躊躇している場面ではないことを改めて肝に銘じる。
「なるほど。確かに、君の言う通りのようだ。朧気ながら混濁しているのが理解できた。しかし、これが原因だとしてその正体は何だ? 今のワタシの魔眼ではこれ以上の鑑別は不可能だ」
「残念だけど、私も同じよ。もう少し時間をかければ解析できるけど、そこまで向こうも素直ではないみたいね」
仕方ないわ、とスクーデリアは呟き、二柱は揃って天使達の魂から視線を外す。そして、ベリーズ全体を俯瞰的に観察してクオン達を探す。幸いにしてくぃくの魔力が強大なおかげか、或いはクオンの龍魔力が独特である故か、それほど苦労することなく場所を特定する。同時に、二人と行動を共にしている少年の無事を把握すると心中で安堵の吐息を零す。
やはり、向こうにも天使達が廻っていたか。
クィクィがいればよほどのことがない限り大丈夫でしょうけど……。もう少し探りを入れてみるべきかしら?
それぞれは心中でそれぞれの思考を構築しつつ、天使達の処理をどうするべきか思案するのだった。
次回、第142話は2/16 21時頃公開予定です。