第140話:魔王再来
二柱の瞳が金色に輝く。肩程に伸びた青メッシュの黒髪と背中から腰に至るほどの鈍色の長髪が魔力の波に乗って靡き、近寄る事すら憚られるような強烈な覇気を身に纏う。冷酷な笑みがこぼれ、氷の女王のような冷たい眼光が辺り一面の感情を凍り付かせる。
大地が揺れ、大気が震える。本来地界には存在しないはずの種族である神の子がその存在感をこれでもかと主張することにより、地界は避けることができない深刻なダメージを被り続ける。
そして、その天変地異はベリーズのみならず周辺地域にまで波及する。誰もが死の恐怖に囚われ、身を護ろうとあらゆる手を尽くし、天使にその無事を希う。その天使こそが事の発端であるとは露とも知らず一心に平和を希うその姿勢は、事情を知る者からすれば非常に滑稽だろう。
その事情を知る者である英雄は、王都の中心に聳える王城に四騎士とともに集結して事の不安要素に対して危機感を募らせる。とりわけ、レインザードの件で現場に居合わせていたアエラとエフェメラの相好は死を覚悟した子供のような絶望感すら浮かんでいる様だった。
「これって地震……なわけないわよね」
「はい、恐らく。南方……ベリーズがあるあたりからのようです」
アエラとエフェメラは、信じたくないと言わんばかりに声を震わせる。しかしどれだけ嘘だと希っても、真実が虚構に反転することはない。事実としてそれが生じている以上、それは紛れもない現実であり、嘘偽りを盾に逃避することは敵わないのだ。
「幾らなんでも早すぎる……まだ十日くらいしか経ってないわよ」
狼狽し、どうしようもない絶望感に理性を混濁させるアエラは、瞠目しつつ冷たい汗で額を滲ませる。先日の戦いで負った疲労と負傷が未だ家切っていない自身の肉体と精神を恨み、敵の回復力の高さには恨みや怒りを通り越して感心すら抱いてしまう。それほどまでに、アルピナが活動を再開していることは想定外だった。
「やはり、魔王というのは特別な存在。俺達人間と同じ枠組みで考えてはならないということだろう」
ガリアノットはアエラの心中を窺いながら感想を零す。四騎士で唯一アルピナ達と対面していないもどかしさを心中で渦巻きつつ、しかしどうしようもないことを悟って冷静を保っていた。
そんな絶望感渦巻く四騎士を少し離れた場所から眺めていたセナとアルバートは影に潜むルルシエとともにベリーズへと意識を向ける。予想通りとも言えるアルピナの魔力を探知しつつ、遠く離れたところで行われているであろう戦いに思いを馳せるのだった。
「俺達も行かざるを得ないんでしょうか?」
「さぁな。現場にいるアルピナ達の指示次第だな。それまでは、変わらず四騎士の監視と王都内に潜む天使の炙り出しに専念すべきだ」
そう呟きつつ、セナはアルバートの影へと意識を向ける。そして、底に潜む新生悪魔ルルシエに精神感応を用いて問いかけた。
『どうだった?』
『ううん、めぼしい情報はないみたい』
『そうか。とりあえず、ルルシエはそのまま探りを続けてくれ。また連絡する』
りょーかい、と快活な返事をしてルルシエの気配は再び王城の中へ溶け込む。影を介して王都のあらゆる所へ侵入する彼女の情報網は、潜伏する聖力の主を探すのに丁度良かったのだ。
そうしてルルシエと別れた後、アルバートとセナはアエラの許へ歩み寄る。これからの国としての方針を定めないことには悪魔としての対応も取りづらいが故の反応であり、必要に応じてアルピナ達への連絡も視野に入れつつ議論を重ねる。
「四騎士としてはこれからどうされますか?」
「そうね……今先遣隊が様子を見に行ってるから。其れ次第ね。必要によっては二人にもいってもらうからそのつもりでよろしく頼むわ」
折角手に入った強大な戦力を眠らせておくには惜しいとばかりに英雄を酷使しようとする四騎士の言葉に、セナもアルバートも渇いた笑いしかでてこなかった。魔力のおかげで通常の人間より心身は頑丈になっているとはいえ、あまり喜ばしい扱いではないのだ。
しかし、心象を悪くしない為にも、二人はどうにか生真面目なペルソナを張り付けて、心中で揃って息を吐いた。南方の空を眺めつつ、激しく衝突する声量と魔力の余波に位相好を浮かべるのだった。
そうしてセナ達が王都の中で自由に動けないもどかしさに心を悩ませている頃、ベリーズでは天使と悪魔による戦闘が開始されていた。町中を三次元的に飛び回り、聖力と魔力を放出させた複数柱の神の子が、それぞれの想いと覚悟をぶつけ合っていた。
聖剣と魔剣が火花を散らし、聖弾と魔弾が町を破壊する。人間達は逃げ惑い、戦いの余波に巻き込まれてその命を散らしていく。肉体を失った魂はその場で天使や悪魔によって輪廻や転生の理に乗せられていく。
天使や悪魔にとってそれは日常茶飯事の出来事であり、今更人間達に対して申し訳なさを浮かべることはない。神龍大戦でも多数のヒトの子が巻き込まれる形で戦死した歴史があり、それと大差ないと判断した彼ら彼女にとって、魂を理に乗せることは贖罪ではなく作業の一つとして消費されて終わるのだ。
その後も、喧騒が悲鳴へと変わったベリーズの町はレインザード程ではないにしろそれなりの破壊が進む。瓦礫が音を立てて地面に崩れ、足音が町の至る所で悲鳴と血飛沫に変換される。親を眼前で失った童が絶望と恨みに満ち溢れた叫声を悲しみの色に染まった涙とともに落とし、空を飛び交う未知の災害に対して復讐の焔が燃え盛る双眸を向ける。
恨みの眼光に追われつつ、倒錯的な青空の下で衝突する天使と悪魔。余裕を浮かべるアルピナとスクーデリアに対し、アザリエル達は弄ばれている苛立ちに相好を歪めつつある。押せども退けども一定の距離感を保ちつつ戦いを長期化させようとしているかの如き態度を浮かべる悪魔への眼光は、嘗ての神龍大戦時を彷彿とさせる懐かしさすら感じさせる。
しかし、アルピナは天使達の瞳から感じる懐かしさと同時に、どうしても解決できない違和感が拭えずに頭を悩ませていた。それは悪魔公として君臨してなお理解が及ばない領域であり、絶対的な優位性を誇示しているかの如き性格を常日頃から浮かべているアルピナにしてみれば屈辱とも言える状況だった。
そんな彼女の背中を強襲するクシュマエルの一撃を、振り向くことなく受け止めたアルピナは彼女に問いかける。
「やはり違和感が拭えないな。クシュマエル、魂にどのような細工を施した?」
「えー、何の事かな?」
「とぼけるな。襲撃される前から思っていたが、君達程度の聖力でワタシやスクーデリアを欺けるほどの秘匿聖法が施せるとは思えない。何をした?」
聖剣と魔剣がほぼ互角に鍔迫り合い、純白の件を剥き出しにして女性型の神の子同士は顔を近づける。吐く息の音さえも容易に聞き取れるほどの距離感で両者は魂を昂らせ、金色の瞳は妖艶に輝いた。
そんな殺伐とした状況でありながらも、クシュマエルはまるで平和な街中にいるかのようにゆったりとした口調と声色でアルピナの質問を躱す。悪魔公に対して一切臆することない姿勢は、それだけ自信がある為なのか、或いは単なる白痴なのか。神の子である以上恐らく前者なのだろうが、しかしその自信を見つけられるだけの要因もまた掴み切れなかった。
「教えないよ。そういう決まりなんだもん」
えへへ、と稚い笑顔で挑発するクシュマエルに微かな苛立ちを覚えるアルピナ。謎が解けないことへの憤りも同時に押し寄せるが、しかし立場故の心情なのか、怒りよりも愛らしさが勝っていた。それは、子供の悪戯に微笑ましい感情を浮かべる母親のようでもあった。
次回、第141話は2/15 21時頃公開予定です。




