第138話:歓迎会
「ったく……誰が払うと思ってるんだ?」
どんどん軽くなっていく革袋に溜息を零しつつ、しかし本心から嫌悪感を抱いているわけではない彼は呟いた。ただでさえアルピナとスクーデリアに頻繁に持ち出されているにも拘らず、クィクィが合流してからというもののお金の消費量が格段に増加した覚えしかないのだ。溜息を零したくなっても仕方ないだろう。
しかし、マゾヒストになった覚えはなかったが不思議と悪い気はしないのだ。それが何故かと問われても言語化できる自信はなかったが、ともかく楽しい旅の思い出の1ページとして処理された結果だろう。
「大丈夫だよ。それに、もしもとなったらボク達の魔法でどうにかするからさ」
「確かにそうだが……面倒事を増やすようなマネは止めろ。お前らの力なら絶対にバレないと思うしバレたところで幾らでも対処できるとは思うが、何時何処に天使の力が介入されているとも限らないからな。現に、そのバルエルとかいう天使だって姿も魂も見つかってないだろ」
自由奔放すぎる問題児を取り纏める敏腕教師の苦労がボンヤリと理解できるような気がし始めて来たクオンは、気を紛らわす様に料理に手を伸ばす。王都のそれとは趣向が異なる料理の数々は、初めて食べたにもかかわらず、そのどれもが口に合っていた。彼はアルピナとの契約で授かった魔力のおかげで多少は食事を抜いても生きていけるようになっていたが、それでもこの食事に関しては十分満足に足るものだと確信した。
そしてそれは、アルピナ達悪魔にとっても同様だった。人間の価値観で生きるクオンは少年と異なり、アルピナ達は悪魔の枠組みで生きる異種族。同じ味覚を持っているとはいえ味に対する感覚は多少異なっているはずなのだ。それにも拘らず、眼前の料理はどれもが悪魔の価値観でも美味だと判断できる品々であり、万人に共通する美食を生み出したベリーズの文明発展には尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
しかし、そんな朗らかな空気もクオンの発言により微かな陰りが浮かび上がり、アルピナとスクーデリアの瞳には微かばかりの真剣さが映っていた。
「確かに、バルエルどころか天使一柱の魂すら探知できない」
「昨日までは問題なく探知できていたにも拘わらずよ。何か裏があると思わない?」
どんな歓迎が待っているのか楽しみね、と言いたげに妖艶な笑みを零すスクーデリアは、瞳を動かすことなく周囲を見渡す。しかし、どれだけ魔眼を凝らそうとも怪しい魂が浮かぶことはない。須く純粋無垢な人間の魂であり、天使も、悪魔も、龍も感じ取ることはできない。本来はそれが普通なのだが、しかしこの状況においてそれであることは異常と呼んで差し支えない。なまじ、昨日は平原にいながらベリーズにバルエルの聖力を探知できたことからもその違和感は確固たる事実として脳裏に燻る。
スクーデリアの魔眼は非常に正確である。魔力の操作技術は彼女に並び立つ者はいないと自他ともに認めるほどであり、発達した魔眼は閉じることができないほどである。彼女本来の鈍色の輝きを失って久しい瞳は氷のように輝き、ベリーズ全体の魂を何度も何度も見返す。
それに追随するように、アルピナとクィクィも魔眼を開き、クオンも龍魔眼を開いて同様に周囲を警戒する。それでも表面上は至って普通の旅人を装うことで、何も知らない記憶を失った少年とともにテーブルをかこっている。故に、彼はアルピナ達の警戒を会話上でしか認識することはできず、表面上のやり取りに隠された本心を見透かすことができず困惑する。
そんな彼の心理的不安を読みとったのか、クィクィは彼に優しく微笑むことでその不安を解す。契約に基づかない約束を結ぶことはしないが、それでもその安全を保障することはできる。彼女なりの気遣いを交えつつ、表面上の団欒を維持しつつ警戒を続けるのだった。
しかし、いくら警戒しても天使の存在を感取することはできない。探知範囲をプレラハル王国全体に拡大しても同様であり、バルエルの魂だけが奇麗さっぱり消え去っていたのだ。
「ほかの国に行ってるとか、それこそ天界にいった可能性が高いってことか?」
「平時ならそれを考慮することに躊躇しなかった。しかし、この状況だ。どこかに潜伏しているとみなした方が合理的だろう」
だよねー、とクィクィはアルピナの予測に同意する。ムッとした相好で辺りを見渡しつつ、面白くなさげに息を吐きながら椅子の背もたれに身を預けた。天井を見上げ、飾り気も彩りもない無機質なそれをただ眺めた。
「バルエルの性格を考えても、何か企んでそうだもんね。……ごめんね、こんなことに巻き込んじゃって」
隣に座る少年に視線を移しつつ、クィクィは柔和に語り掛ける。決して悪気がある訳ではないことを強調する様な笑みを浮かべ、しかし有無を言わせない覇気が魂の片隅から零出していた。故に、少年は少し気圧されつつも気丈な振る舞いを見せて答える。
「いえ、僕は大丈夫です」
その時だった。アルピナの背筋に悪寒が走る。それは決して彼女の身に危険を及ぼすものではなかったが、不確実な周辺環境が警戒心を過敏にさせていたようだった。
それは当然だろう。アルピナの身に何らかの害を及ぼす程の危険となれば、それはこの町どころかこの地界すら容易に破壊できるほどのものになってしまう。いくら目的があるとはいえ町一つを更地にするような攻撃を仕掛ければ発動前に探知できないはずがないのだ。
それでも、アルピナはその悪寒に対して反射的に叫声を上げていた。
「伏せろッ‼」
僅か一瞬の出来事。コンマ数秒にも満たない僅かな時間で齎された言の葉の情報を頼りに、クオン達は反射的に行動に移っていた。誰もが席を同じくする少年を護る様に展開しつつ、その悪寒が齎される根本に魔眼及び龍魔眼を向ける。そして、やがて齎される危険を正面から浴びるように受けるのだった。
直後、巨大な爆発が生じ、建物は吹き飛ぶ。アルピナが叫声を発してからそれまでは瞬きにも似たないほどの一瞬。ただの人間であれば反応すらできないほどの刹那的な時間であり、或いはその攻撃により建物が粉微塵に吹き飛んだことすら気付かなかったかもしれない。
ガラガラ、と音を立てて瓦礫が崩落し、残骸と思われるものが風に乗って遠くへ運ばれる。通りからは阿鼻叫喚が錯綜し、無事だった人間達が蜘蛛の子を散らす様に逃げ去っていった。しかし、当時建物内にいた人は全滅しており、肉体的死を迎えた骸からは宿主を失った魂が浮かび上がっていた
そんな建物跡地の片隅から、クオンは瓦礫を取り除きながら起き上がる。身体の下には少年が蹲っており、どうやら傷一つないようだった。それを確認したクオンは安堵感に満ちると息を零しつつ立ち上がった。
「くそッ、一体何が……?」
痛む頭を手で摩りながら、クオンは周囲を見渡す。通りの人間達は一人残らず逃げ去った後であり、埃煙が湧き上がる跡地に数柱の影が浮かび上がっているだけだった。その姿を発見し、クオンは安心感と警戒心を同時に浮かべるが、やがてその影の正体を認識して感情の焦点を一つに絞る。
クオンが一つに絞った感情は安心感ではなく警戒心だった。眼前に立つアルピナ、スクーデリア、クィクィ以外の影の正体を探る様に龍魔眼を開きつつ、改めて性根を護る様に前に立った。
「アルピナ」
「クオンか。君はその少年を護っておけ。どうやら、私達に対する随分手荒な歓迎会が始まるらしい」
次回、第139話は2/13 21時頃公開予定です。




