第137話:食事
「旅の者か……通行証か身分を示すものはあるか?」
プレラハル王国はそれほど正確に身分を管理しているわけではない。しかし、商人以外が町や村の外に出る必要が生じた際はその都度身分の確実性と安全性を証明する証書が発行される。クオンの場合は鍛冶師としての証書があるためそれを流用できるのだが、アルピナ達は悪魔であるためそれがないのだ。
しかし、だからといってクオン達は慌てることはない。同様のことはレインザードで経験済みなのだ。魔法で偽りの身分証書を創り出し、衛兵にそれを提示する。必要な情報は三つ。名前、前科の有無、証書を発行した町の名前。それらは、全て偽りの内容。しかしこの世界は情報技術がそれほど発展していないため、この確認はほぼ形式上のやり取りに近い。よほどの前科者や逃亡中の犯罪者を炙り出しつつ、子供や力を持たない一般人が魔獣の被害に遭わないようにするための予防策程度の役割しか持たないのだ。
その為、証書の確認もそれほど入念に行われるわけではない。ザッと全体を一瞥して不備や重要事項の記載がなければそれで承認されてしまう。故に、多少粗末な出来栄えだったとしても監視の目をすり抜けることは容易なのだ。
「相変わらず、何のための関所か理解できないわね」
許可を得て門を潜るスクーデリアは溜息を零しつつ失望の声色で呟く。クオンの眼に彼女は普段の彼女と変わらない美貌で映っているが、しかし無関係のヒトの子にはまた異なる姿で認識されているのだろう。それが男なのか女なのか、若人なのか老人なのか。認識阻害の対象に含まれていないため確認する術はないが、それが却って興味を引き立てる。知ったところでそれが何かに影響を与える訳ではない事からそれ以上の追求をすることはなく彼女の言葉に同意する。
「おかげでこれといったトラブルなく町を出入りできてるからまあいいだろう。それより、これからどうするんだ?」
クオンは金色に輝く龍魔眼を開いてベリーズ全体を見渡した。眼に見えない領域まで三次元的に構造を把握することで、そこに含まれるすべての魂が詳らかになる。神の子なのかヒトの子なのか、何らかの外的影響に晒された痕跡が残されていないかなど、必要な情報を全て確認していく。
龍魔眼のお陰で随分と見やすくなったな……。それでも、アルピナ達は普段からこれ以上の世界を見てるのか……先はまだまだ遠いな。
先日のレインザードの一件の時は開くだけでもかなりの負担を強いられていた龍魔眼だが、今では随分と楽になってきたとクオンは自覚している。鋭利な釘を打ち込まれる様な激しい頭痛はほぼ消失し、多少の違和感が残るものの身体操作に支障はない。改めて、龍魔眼の性能に驚くと共に、更なる研鑽の必要性を実感した。
そんな彼の龍魔眼を見つめつつ、アルピナは微笑む。零出する龍脈に懐かしさを覚えるとともに、危うさが残るその瞳に更なる成長性を見出していた。すぐそばで潮騒奏でる海と同じ鮮やかで輝かしい碧眼を浮かべ、肩程に伸びた髪を風に預けつつ彼女は思案する。
まったくといって過言ではないほどに情報が不足しているため、何かしらの手がかりが求められた。カルス・アムラでは龍人、レインザードでは精神支配といった具合で何かしらの特徴があっただけに、無意識がそれを求めてしまっていた。
しかし、現実は空想より非常である。ないものを強請ったところで天から授けられる事はないのだ。ましてやアルピナは悪魔。授ける側の立場ではあっても授けられる側に立つことはできないのだ。
「何をするにも情報が少なすぎるからな。恐らくバルエル辺りが何らかの策を講じているだろうが、ワタシの魔眼に魂が映らない。どうにか誘い出せたらいいが……」
どうしたものか、と思案しつつ、しかし表面上は普段と変わらない相好を浮かべたままアルピナとクオンは並び歩く。その一歩後ろでは少年を中心にスクーデリアとクィクィが両脇に肩を並べて追随していた。身長差が大きいためにかなり凹凸が激しい並びだが、しかし不思議と仲睦まじく感じさせる穏やかさを振り撒いていた。宛ら一つの家族のようにすら感じさせるその光景は、認識阻害越しですらすれ違う人間達に平和の香りをおすそ分けしていた。
その時、不意に少年のお腹が鳴る。空腹を伝えるそれは両脇に並び立つ二柱の耳にも届き、少年は羞恥心に顔を赤らめて俯く。
「もしかしてお腹すいちゃったの?」
稚い笑顔で少年の顔を覗き込むクィクィ。稚いその相好に一切の悪気はなく、純粋な心情にもとづく乾燥でしかないようだった。
しかし、それも仕方ないことだろう。アルピナ、スクーデリア、クィクィと異なりクオンと少年は人間、即ちヒトの子でしかない。三大欲求の一つである食欲に抗うことは不可能なのだ。当然、悪魔達もそれを否定するつもりはないため、本能に基づくその欲求には不快感を浮かべることなく受け入れた。
「なら、そこの店で食事にしましょう。見たところそれほど込んでいる様子ではなさそうよ」
やったー、とスクーデリアの提案に一番喜んだのはクィクィだった。人間社会を誰よりも愛する悪魔クィクィにとって人間社会の文化が最も色個感じられる食事というのは格別の楽しみなのだ。ヒトの子が創造されてより10,000,000年ほど経過しているが、神龍大戦中も戦火から離れているスキを窺って遊びに来ていたほどの愛しようだ。それをよく知っているだけに、アルピナもスクーデリアも懐かしさに頬を綻ばせる。
そして全員がその提案に賛成し、足並みそろえてその店に立ち寄るのだった。
店内は、通りと変わらない陽気な雰囲気に満たされていた。可能な限り大きく設けられた窓からは陽光が差し込み、潮騒とともに運ばれる温暖な風が吹き込んでいる。鼻腔には空腹を一層刺激する芳醇な香りが満たされ、口腔には唾液が次々と分泌される。
クオン達は席に着き、それぞれが縦に料理を選ぶ。少年は、申し訳なさから積極的に選ぼうとはしなかったが、クィクィに促されて遠慮がちに食べたいものを示す。その光景はどこにでもいる普通の団体客であり、認識阻害のおかげも重なり一切怪しまれることはない。尤も、悪魔の姿は人間と何ら変わらないため、顔さえ割れていなければ不審がられる可能性は到底無きに等しい。唯一の可能性として挙げられるのは文化文明の違いによる挙動不審な態度と無知の露呈といったところだが、それもクオンとクィクィがいれば問題として表面化されることもない。
やがて、机の上に注文した料理が運ばれる。温かな湯気が立ち上り、それが出来立てであることを教えてくれている様だった。しかし、一見して何ら不思議ではない光景にクオンは首をかしげる。それほど目くじら立てて追及するほどの事ではないのだが、どうしても気になってしまった。
それは、机の上に並んだ料理の量だった。現在その机を囲んでいるのはクオン、アルピナ、スクーデリア、クィクィ、少年の5人。しかし、机の上に置かれた料理は明らかな五人前を上回っていた。
「明らかに5人前とは思えないんだが……またクィクィか?」
「いーじゃんいーじゃん、全部ボクが食べるんだからさ。それに、折角新しい町に来たんから色々食べたいもん」
朗らかで稚い口調と声色で答えるクィクィ。しかし、お金を払うのはクオンだ。自分の懐が痛まないから、と好き勝手する辺りは彼女も悪魔なのだろう。それでも、クオンは怒ることはない。幸いにして金銭的余裕はかなりある上に、レインザードの一件が終結してから今日にいたるまでの約10日間で慣れ切ってしまったのだ。
次回、第138話は2/12 21時頃公開予定です。




