第131話:行かなければならない場所
しかし、だからと言ってアルピナ達は特別慌てる素振りを見せない。もし彼が何処にでもいる普通の少年であれば多少の驚きは見せていたかもしれない、しかし、一目見た段階で彼の魂に違和感を抱いていたためある程度の異常には事前の覚悟ができていた。
『この記憶喪失は……』
『うん。多分、魂の違和感と何か関係があるんじゃないかな? ボク達も初めて経験するから確証はないけど、脳に異常はないみたいだし』
クオンの精神感応に続くのは、同じく精神感応を繋いでいるクィクィの明朗快活な声。内容がない洋だけに表立って話せない為にこうして精神感応を繋いだのだが、やはりクィクィ達といえどもその原因をすべて特定することはできなかったようだった。
そもそも、彼らが少年の魂に感じた異常。それすらも言語化するには不明瞭な点が多すぎる。故に、煮え切らない思いが湧出するのだが、現時点ではどうしようもないことだった。
『仕方ないわね。仕方ないわね。このまま少し様子を見るとしましょう』
四人は精神感応を切断する。そして改めて眼前の少年へ意識を向ける。
「記憶喪失、というものだろう。今のワタシ達ではどうすることもできないようだ。ところで、君は何を望む?」
「何を?」
一体何を言っているんだ、とばかりに少年は首をかしげて訝しむ。しかし、それも無理ないことだろう。突如として姿を現し、人一人殺害してもまったく平然としている正体不明の少女からそのようなことを問われて、まともに答えられる者はいない。仮にクオンがこの少年の立場だったとしても、全く同じ心情になっていただろう、とクオン自身は心中で納得する。それほどまでに話の整合性が整っていない奇天烈な会話だった。
これがアルピナではなくスクーデリアであれば、これほど心情が拗れることはなかっただろう。多少の語弊や齟齬があったかもしれないが、それも種族の差異による範疇に収まり、表面的な会話の頭と尾の連続性は保たれていたはず。
それでも、こうなってしまったものは仕方ないのだ。例え天使や悪魔であろうとも、過去を変えることはできず、例えできたとしても神がそれを許すはずないのだ。与えられたカードを見つめ、最適な手札を斬れるように慎重に会話を進めていきたいとクオンは希った。勿論、アルピナを前にしてその通りにことが進むとは到底思っていなかったが、自身の精神衛生を保つためには必要な措置だった。
「そうだ。今の君は記憶がない。その上、ここは町から離れた平原の直中。このままここにいても野垂れ死ぬか聖獣に殺されるのが関の山だ。君はどうするつもりだ?」
「えっと……あっ、そうだ。僕はいかなきゃいけない所があるんです」
「行かなければならない場所? でも貴方、記憶がないはずでは?」
今の彼は自身の名前を含む全ての記憶がない。にも拘らず、いかなければならない場所がある。一見して矛盾した発言のように感じられ、スクーデリアが問いかける。その瞳は、普段と変わらない金色の魔眼が開かれ、氷の女王のような鋭利な眼光とともに鈍色の長髪が柔和に揺れていた。
「はい。……でも、どうしてもどうしてでしょう? やらなきゃいけない様な気がして……」
おどおどとした口調で小さく呟く少年。小心者という訳ではなさそうだが、記憶喪失の影響で無意識的に自分の記憶にすら疑義の念を持ってしまっているのだろう。しかし、だからと言ってクオンもアルピナ達悪魔も現状を打破できるわけではない。
勿論、いくら悪魔といえども万能ではないのだ。自分達の能力不足は神によって定められた結果であるが故に、それに対して憤りを覚えるのは完全にお門違いだと彼女達自身把握している、その為、同情こそすれども改善できないもどかしさで心が押し潰される様なことはあり得ないのだ。
「それで、その場所というのはどこかしら?」
「はい。……ベリーズという町だったと思います」
ベリーズという町は、つい先ほどまでクオン達の会話の俎上に載っていた名前。この場からそれほど遠くない地に広がる港町で、彼らが目指す目的地でもある。
「ベリーズか……ちょうど俺達が今から行くところだな」
偶然か、或いは必然か。しかし、状況からして前者である可能性は限りなく低い。ないとは言い切れないが、魂を知覚して漸く察知できる違和感が併発していることからこれが神の子にみつかる前提で用意されたものと考えるのが自然。しかし、この邂逅が必然だとしてその目的は何か。そもそもアルピナ達を狙って用意された者なのか、別の人を対象にしていたところをアルピナ達が先に発見してしまったのか。あらゆる可能性が考慮できるが、同時にあらゆる可能性も確実性に乏しい。
どちらとも言えないもどかしさに微かな苛立ちを覚えるが、現状ではどうしようもないと小さく息を吐いた。その時、そんな苦悶を吹き飛ばすような快活とした可憐な声色が響く。それは他でもないアルピナの友人、クィクィの声だった。
「ボク達もこれから行くところだしさ、折角だし皆でいこうよ!」
キラキラ、と輝く緋黄色の純粋な瞳が真っ直ぐとその少年の瞳を見据え、他の悪魔と異なり一切の殺気も覇気も込められていない穏やかな香りを漂わせる。いいでしょ、とアルピナやスクーデリアに問いかけるその仕草は可愛いという概念をそのまま具現化させたかのような雰囲気すら感じさせてくれるほどだった。
「えっ、いいん……ですか?」
「フッ、クィクィにそう言われたら断れないな。いいだろう。どのみち町はすぐそこだ。共に行くとしよう」
やれやれ、とばかりに溜息を零しながら首肯するアルピナ。それでもその相好に一切の嫌悪感は見られない。あくまでも口先だけの嫌がり方だった。
そもそも、彼女としてもこの少年を手の届くところに置いておきたいという思いが思考の片隅に存在していた。龍魂の欠片を集めつつクオンによる視床の敵討ちのためのこの旅に彼が関与している保証はどこにもない。しかし、彼女がこれまで歩んできた時間の流れで培ってきた経験が、その必要性を僅かに教えてくれていた。
さて、と彼女は町がある方角を見る。平原の先にまだ小さいながらも城壁が見える。やはり、聖獣によるヒトの子襲撃から身を護るためにはそれ相応の備えが必異様と言うことだろう。アルピナ達にしてみれば大した障害にはなりえないが、しかしあらゆる手を尽くして神の子に対抗しようとするその姿勢にはいつ見ても感服させられる。
「話はそこそこにして進むとしよう。日が暮れてしまっては、色々と不便だろう?」
まだ日は高い。天頂からやや西に傾いた辺りといったところ。普段であれば全く気にならない時間帯だが、しかし人間の少年を連れるとなっては普段通りに移動できないのも事実。悪魔だと真実を打ち明けてしまえば余計な配慮が不要になって楽なのだが、しかし記憶がなく困っているところに新たな知識を与えても余計な混乱を生んでしまうと悟りグッと堪える。
『アルピナ』
クオンは精神感応でアルピナを呼び出す。こういう場面で誰にも怪しまれる事なく秘密裏に会話ができるという点で、精神感応は非常に役に立つ。これまで一階の人間でしかなかった頃の苦労を脳裏に浮かべつつ、クオンはそのありがたみを嚙みしめ乍ら静かに少年を一瞥する。決してその不信感を悟られない様に表面上は柔和で無垢な青年を演じつつも、その仮面の裏では悪魔色に魂を染めたヒトならざる存在としての覇気を燻らせていた。
次回、第132話は2/6 21時頃公開予定です。




