第126話:悪魔達の茶会Ⅱ - ②
「これからどうするの? まだ龍魂の欠片が集まったわけじゃないし、そもそも残りの欠片ってヴェネーノとワインボルトが持ってたよね?」
チラリ、とスクーデリアを一瞥しつつ確認を取るクィクィ。精神支配を抜け出してからあまり時間が経っていない上に、そもそもヴェネーノ達と最後に会ったのは今からおよそ9,000年ほど前になるのだ。記憶が曖昧模糊になっていても致し方ない。当然、スクーデリアもそんな彼女の認知状況を理解しているため特に機嫌を悪くするようなマネはせず微笑を浮かべる。気品に満ち溢れる聖母のような笑みは、無原罪の神の子特有の安心感を誰よりも強く抱いていた。
「そうよ。二柱とも龍魂の欠片は回収できたそうだから、天使に奪われていない限りはどうにかなるわ」
「シャルエルとルシエルが降りてきていたが、魂の色からして残りはバルエルとラムエルか? どちらにせよ、それそうおうのたたかいになることは確実だな」
やれやれ、とばかりにアルピナは溜息を零す。天使と悪魔の相性差が意味をなさない程度には実力の開きがあるとはいえ、しかしバルエルもラムエルもそれなりに古い天使。生きた時間と実力が基本的に比例する神の子としては、それなりの警戒を余儀なくされる相手であることには変わりないのだ。
それはスクーデリアやクィクィにとっても同様。バルエルとラムエルはシャルエル及びルシエルと同世代の天使であり、即ちその実力も凡そ似通ってくる。そんな同世代の天使に一度敗北したという経験が、二柱の心に重く圧し掛かってくる。とりわけスクーデリアに至っては、自分より若い天使にいいようにあしらわれただけにその感情はクィクィのそれを上回る。屈辱と称しても不都合はないような激情を、自らの魂の奥底で静かに燃やしていた。
「そうね。でも、貴女がいればどうとでもなるでしょう? 尤も、私としても二度と負けるつもりはないわよ」
「ボクもだよ。幾ら天使が相手でも、もう負けたくないもん!」
諦観とは対極に位置しているような焔の心を奮い立たせる二柱の悪魔。その頼もしさにアルピナは懐かしさとともに頼もしさを感じさせる。それでこそ、と手放しの賞賛を贈りたくなるほどの光景に彼女は無意識の笑みを零す。それは普段彼女が浮かべる氷のような冷たい冷酷な微笑ではなく、他の大多数と何ら変わらない笑顔であり、彼女の少女らしい可憐な相好がより一層強調される。猫のように大きく僅かに吊り上がった碧眼が美しく輝き、今が天使と悪魔との抗争の真っ最中であることを忘却させてくれる。
「そうだな。では、次は南にいくとしよう。確か、ヴェネーノがいるのがその方角だっただろう?」
「ええ。なら、すぐにでも出発する? あれから5日ほど警戒しているけど、そろそろクオンの身体も回復してきた頃合いでしょう?」
レインザードの一件でクオンが龍脈を逆流させた際に受けた心身および魂の消耗。戦いで受けた物理的な損傷もさることながら、その消耗が彼の回復を妨げていたのだ。アルピナによる魔力を利用した治療を継続的に受けていても、寛解まではそれなりの時間を要するほどだった。
それは偏に、彼が持つ遺剣が皇龍の角が変質したものであるが故。ただでさえ龍脈はヒトの子にとって毒である上に、それが全ての世界に存在する全ての龍を統括する皇龍に由来するものであったために、クオンの心身に圧し掛かる負担は想像を絶するものだった。
それでも、クオンは悪魔公と契約を結びその魔力を魂に宿す稀有な存在。継続的にかかる負担が、彼の心身および魂をより強靭なものへと変質させてくれていた。
「……いや、寛解まではまだ数日かかるだろう。流石に、今の魂の器でジルニアの龍脈を受けきるのは不可能だったらしい」
「せめて龍魂の欠片を魂の中で保管してたら違ってたのかもしれないけどね。もったいぶって態々体外の器で保管してるからこうなるんじゃない?」
「その可能性もあるだろう。しかし、折角の機会だ。部分的に渡したところで面白みがないだろう?」
悪戯を楽しむ我儘娘のような冷たい色味に染まった碧眼を浮かべて笑うアルピナ。それは、可憐で美麗な彼女を悪魔足らせるには相応しい無慈悲な香りを見せてくれる。そんな彼女の相好を見つめつつ、スクーデリアは小さく息を吐く。
「相変わらずね、貴女は。もう少し優しくなってもいいんじゃないかしら?」
「彼我の仲だ。今更気にする必要もないだろう」
やれやれ、とスクーデリアは溜息を零す。しかし、アルピナの言葉通りアルピナとジルニアの仲は彼女が誰よりも知っている事。そして、それが今に始まったわけではない事であり、遥か昔から変わらない普段通りの対応であることを思い出す。
それはクィクィも同様である。悪魔として生を受けた直後からスクーデリアとともにアルピナとジルニアのくだらないじゃれ合いを仲裁し続けてきただけに、彼女達の仲の良さはスクーデリアと同じくらい知悉している。
「それじゃあさ、ヴェネーノの所に行くのはクオンお兄ちゃんが回復してから?」
「ああ。そもそも、クオンの回復はもとよりセナとアルバートの英雄としての後処理が残っている。確か、5日後に王城で国王と謁見するらしい。それが終わってからでもいいだろう。それまでは、クィクィも久しぶりの人間社会を堪能しておくといい」
ほんとっ⁉、とクィクィは相好を花開かせつつ緋黄色の髪を揺らして喜ぶ。それほどまでに、彼女はヒトの子の部の文化文明に好意を抱いているのだ。人間社会を堪能できるという名によりもの楽しみに心躍らせた彼女の緋黄色の瞳は、その感情をそのまま表に表出させたように眩く輝かせていた。
「ふふっ、良かったわねクィクィ。……それで、アルピナ? セナとアルバートを英雄として仕立て上げたのはいいけど、これから先はどうするのかしら? まさか旅に同行させたりはしないわよね? いくら私達の顔が外部に知れ渡っていないとはいえ、魔王と英雄が肩を並べていたなんて不祥事、世論が黙認するとは思えないわ」
「当然だ。セナとアルバート、そしてルルシエには英雄として人間社会の情報をいち早く入手してもらい、我々悪魔に共有してもらうのが表向きの役目だ。その裏で、四騎士の監視をしてもらう。あのエフェメラ・イラーフという天巫女……宗教的側面から天使と距離が近いからな。何らかの手心が加えられても不思議ではない。並行して、エルバ達にはカルス・アムラに行ってもらう予定だ。彼らには龍人の血を覚醒させてもらう予定だ」
「なるほど、そういうことね。なら、ナナかレイスには精神感応で説明しておくわ。その方が話もスムーズでしょう?」
ああ、とアルピナは首肯する。しかし一方、龍人なる存在を認識していないクィクィは一人疑問符を頭上に浮かべながら首をかしげている。そして、その疑問の感情に耐え切れなくなったのか、或いは悪魔としての本能が働いたのか、好奇心旺盛な子供のように二人を問いただす。
「ねぇねぇ、その龍人っていうのは何? 名前からして龍が関係していそうなんだけど……」
「龍人は文字通り龍と人間の交配種のことよ。そういえば私達が精神支配を受けたときはまだ龍人なんていなかったものね。知らなくても無理ないわ」
龍と人間の交配。それは即ち神の子とヒトの子の交配を意味する。存在してはならない存在が存在しているという事実に、クィクィは悪魔としての本能に起因する怒りの感情を発露させてその真意を確認する。
「龍と人間? なんで理に反する存在が存在してるの?」
「ああ。しかし、存在してしまったものは仕方ない。相応の手順を踏んで処分しても構わないが、今回の一件にも一枚噛んでいる可能性がある。事と次第によっては何らかの活用があるかもしれないだろう?」
なんてことないように頬杖をついて笑うアルピナ。そんな彼女の態度を見て、クィクィは少々煮え切らない感情がありながらもそれを無理やり飲み込んで納得する。
「……まぁ、アルピナお姉ちゃんがそういうのならそれでいっか」
心を入れ替えたように朗らかで混ざり気も曇り気もない相好を浮かべたクィクィは、グラスの中のジュースを飲み干して笑う。それとほぼ同時に、アルピナもスクーデリアもそれぞれ手元にティーカップに入れられた紅茶をすべて飲み干していた。机の中央に置かれた焼き菓子も全て食べ終わり、それなりに楽しい団欒の一時も終わりを告げようとしていた。
「さて、そろそろ戻ろう」
そう言うとアルピナ達は店を後にした。
「それにしても、よくこの世界のお金を持ってるわね。私やクィクィですら持ってないわよ」
店を後にし、目抜き通りを歩きつつスクーデリアは語る。それに対してアルピナは微笑を浮かべつつ手にした革袋を軽く投げて弄ぶ。
「あら、その革袋って……」
「クオンはまだまだツメが甘いからな」
事情を察知したスクーデリアは呆れた顔でため息を吐く。
「まさに悪魔ね、貴女」
「ああ、ワタシは悪魔だ。正真正銘のな」
次回、第127話は2/1 21時頃公開予定です。




