第125話:悪魔達の茶会Ⅱ
【輝皇暦1657年7月1日 プレラハル王国王都】
レインザードから王都へと戻ってきたアルピナ、クオン、スクーデリア、そしてクィクィは、王都の目抜き取りを歩く。隙間段差鳴く整然と敷き詰められた石畳に靴音が響き、彼女達の存在感を際立たせる。可憐さと美しさ、そして気品に満ち溢れた佇まいは見る人の心を魅了する。
しかし、そんな周囲の感情を一切気に留めることなく彼女達はつかの間の人間社会を堪能するように周囲を見渡す。目的は、戦いで受けた身体的負傷と心理的疲労を癒すため。ちょっとした骨抜きの時間だ。相変わらず大勢の人で溢れ、地方の祭りと遜色ない喧噪を見せるそこは、季節柄の暖かさと熱気が合わさる。
通りの両脇の建物には種々の店が構えられ、食品や物品、人目を引く様々なブランディングが施された商品が経済を回していた。しかし、久し振りの平和な人間社会を堪能するクオンだったが、それに没頭してしまった結果、アルピナ達の姿がそこにないことに気付くのが遅れてしまった。尤も、自由に動くのはいつものことだしこういう時は放っておいてもいいだろう、とクオン達はそんな彼女たちに気を止めることはなかった。
そして、クオンがアルピナ達を放ったまま自由気ままに町を散策している間、当事者であるアルピナ、スクーデリア、クィクィの悪魔三柱は、以前立ち寄った喫茶店に足を運び心落ち着かせる時間を過ごしていた。
三柱は店の奥にあるテーブル席に座る。陽気な、しかしそれでいて心落ち着かせる静かな音楽が店を染め、芳醇な香りが全体を満たす。アルピナとスクーデリアの前にはティーカップが置かれ、豊かな香りと温かな湯気が立ち上る。クィクィの手にはグラスが握られ、刺さったストローがその朗らかな感情を表現する。
「改めて、久し振りねクィクィ」
「うんっ、久し振りだね」
天使と悪魔の抗争と並行して進められたくだらない茶番によるイザコザが終わり、漸く訪れた平和によって齎された緩やかな時の流れは三柱の間に改めて懐かしさと嬉しさの感情に起因する笑顔を齎す。何よりその笑顔は、不思議三柱の心を癒すとともに抗争によって消耗した魂を回復してくれる。物理的な力だとか、魔力だとかが込められているわけではないが、笑顔にはそういう“力”があるのだ。殊更、クィクィのような無邪気さと純朴さに満ちたそれは、癒す力が増幅される。
アルピナもスクーデリアも、クィクィの笑顔に込められた、そういった力に自然と心を預けていた。アルピナは脚を組み、腕を椅子の背もたれに乗せて可憐で冷徹な笑顔を浮かべつつ、ティーカップを口につける。その男性的な仕草に反して少女的な深紅の唇がより一層艶やかに輝く。
「それにしても、10,000年も経つわりに、君はたいして変わらないな」
「ボクはずっとボクのままだよ。だって、アルピナお姉ちゃんも昔から全然変わってないでしょ?」
草創期の悪魔も人間と同様に、時間とともに成長する。といってもそれは生まれて間もない時の話で、魂が最も望む形まで成長したところでそれは止まり、永劫の完成体として成熟するのだ。つまり、アルピナの少女然とした姿も、スクーデリアの大人然とした忌避なる佇まいも、それで完全体として成熟したものであり、今後魂の霧散が起こらない限り、例え肉体的死を経験したとしてもその姿が変わる事はない。
それと同様に、クィクィもまたその子供らしさで成熟した完全体であり、人間でいうところの成人に相当する。しかし、アルピナの予想ではもう少し大人然とした姿に近づくものだと思っていた手前、その姿で成熟してしまったクィクィに意外性を突きつけられる事になったのだ。
「もう少し成長すると思ったが……クィクィの性格を考えたら今の姿の方がそれらしいか」
「そうね。それかよくてアルピナに近い外見年齢ね。それ以上なら少し違和感を覚えるわ」
「そうかな?」
クィクィは首を傾げつつ可憐で幼気な笑顔を向ける。太陽のように明るく向日葵のように華やかな屈託ない笑顔は、見ているだけで幸せに包まれる。天使と抗争中であることを一瞬ながら忘れてしまいそうな、それほどの絶大的効果すら含まれていた。
それでさ、とクィクィはアルピナに詰め寄る。ずいッと顔をアルピナに近づけて、尻尾を振る犬のような顔で見つめる。
「アルピナお姉ちゃんに聞いておきたいことがあるんだけど、クオンお兄ちゃんとはどういう関係なの?」
「どう、と言われても、ワタシとクオンは悪魔としての規約に則った契約に基づく関係を結んでいるに過ぎない。ワタシは龍魂の欠片を求め、彼は天使への敵討ちに燃えていた。利害の一致に他ならない」
なんてことないように、至極当然の事を説明するようにアルピナは淡々と答える。ティーカップを口元に近づけ、温かな湯気と芳醇な香りで鼻腔を満たしつつ静かに口を濡らす。
しかし、そんな彼女の対応に不満を覚えたように、クィクィは少々強めの口調で改めて彼女を問いただす。
「そういう話じゃなくてさ、もっと本質的な話をしてるんだけど? ボクとキミの仲なんだからさ、隠し事話にしない? それに、スクーデリアお姉ちゃんには説明してるんだよね?」
「ほぅ、やはり気が付いていたか。シャルエルやルシエルですら自力で気づくことはなかったんだがな。その様子だと、態々正解か否かを確認するまでもないだろう」
「まぁあの子の魂も見られたし、あの台座を持ってたらね。それにしても、龍魂の欠片がまさか本当に成功するなんてね。ログホーツからある程度教えてもらったんだけど、幾ら天魔の理が破壊されたからって言っても随分無茶なことしたよね?」
ログホーツとは、各世界に一柱ずつ存在する龍王の称号を冠する龍。龍人の長が僭称しているそれとは異なり、彼が襲名するその称号は皇龍の次点に位置する正式な称号としてこの世界に存在する全ての龍を纏める。
皇龍と異なる点は他の世界に影響力を持つか否か。全ての世界に存在する全ての龍に対する上位顕現を持つ皇龍と異なり、龍王はその龍王が存在する世界でしか効力を持たないのだ。
皇龍が死亡したことによりこの世界における龍の頂点が空席となった現在、そのログホーツが龍達を指揮している総大将となる。それほどの大物であり、その知識量や慧眼は他の神の子と比較してもかなり上位に位置する。
クィクィはストローを咥えつつ呟いた。それに対し、同感の意を唱えるスクーデリアは焼き菓子に手を伸ばす。人間と変わらない味覚を持つ悪魔にとって、人間社会の食べ物は良く馴染む。種族的に食事を摂る必要はないのだが、食べられない訳ではない上にどれだけ食べても体型が変わることはないため遠慮することなくいくらでも食べられるのだ。
「無茶なこと……か。事実、ワタシにしては随分と不確実な手段を強行したものだな、と今になって用思う。しかし、当時のワタシの実力ではあれが最良の手段であり最終手段だったからな。尤も、セツナエルの話を聞く限りでは全てジルニアの掌の上だったようだがな」
「ジルニアお兄ちゃんの?」
「つまり、私達の与り知らない所で何らかの陰謀が働いている、と言いたいわけね? それでも、貴女ですら把握していないほどの出来事何て一体何なのかしら?」
アルピナの思いを代弁するかのように、スクーデリアは徐に口を開く。冷静さを絶やさない金色の瞳が蝋燭の灯に照らされて艶めかしく輝くと共に、その気品ある扇情的な香りに誰もが思わず理性を奪われる。対してアルピナは、理解力高い友人に微笑を浮かべつつ脚を組み替えた。雪色の大腿が机の下でチラリと輝き、猫のように大きな青い瞳が眼前の友人を一心に見つめていた。
「相変わらず、君は理解が早くて助かるな。兎も角、暫くは龍魂の欠片集めに専念するべきだろう。中途半端な情報で勝手解釈を組み立てて自分たちに都合よい過去を創造している様では、近い将来に自分の首を絞めることになるのは確実だろうからな」
そうだね、とクィクィは頷きつつコップの中で揺れる鮮やかな色のジュースを飲む。複数の果物が綯交された特徴的な味と香りは、しかし絶妙なバランスでそれぞれの味を引き立て合っていた。それよりさ、とクィクィはそんな鮮やかな色で充ちるコップを机に置きつつ話を転換させる。
次回、第126話は1/31 21時頃公開予定です。




