第122話:凱旋
【輝皇暦1657年7月6日 プレラハル王国王都】
レインザードを舞台とする人間と魔王の戦闘から十日後。プレラハル王国には、これまでと変わらない日常が取り戻されつつあった。相変わらず魔獣による被害は各地で発生しているが、レインザードのような大規模な被害が生じていないだけでも相対的に随分と平和に感じられる。
高く聳える城壁が今日も普段と変わらない平和を王都に齎す。その内側に広がる純白の町は様々な喧騒で彩られ、誰もが魔獣に対する危機感を亡失した日常を過ごしていた。或いは、レインザードの一件があったからこそ王都の平和さが顕著になったのかもしれない。今ある平和を今のうちに堪能しておこうという人間としての本能が、かつてないほどの活気を齎してくれているのかもしれなかった。
それほどまでに、レインザードでの一件というのは誰の心にも暗い影を落としていた。ラス・シャムラの滅亡でもそれなりの不安を煽られていた民草だったが、今回はそれを上回るだろう。それほどまでにレインザードは人間社会においてもそれなりの規模を誇る町だったと言える。
何より、魔王という明確な敵対勢力の存在が明らかになったことも大きいだろう。未知の存在に対する無知故の恐怖は明瞭な存在に対する恐怖より人間の心を煽るのは事実だが、未知だからこそ過小に評価することも可能だという欠点も併せ持つ。魔王という明瞭な存在が台頭したことによる恐怖の具体例が設定されたことは、それだけ人間達の恐怖心の土台を形成する。そして、それが倒錯的に民草の平和を享受しようとする姿勢に現れたのかもしれない。
そんな王都の目抜き通り。隙間段差なく最新の技術を駆使して敷設及び管理されている石畳を、やたらに豪華な馬車達が歩く。見上げるほどの体躯と巨木のような四肢。荘厳な蹄音を重く鳴らし、その馬たちは荷車を引いていく。一目見ればかなり高価なものだと誰が見ても明らかなそれは、しかしその外観に下品さを感じさせない。それをデザインした人のセンスの良さが如実に表れていると言えるだろう。
それだけ豪華で高価な馬車と言うことは、それに乗ることができる人物は非常に限られる。例として王族、或いはそれに近しい存在だろう。
ここプレラハル王国においてこの特殊な馬車に乗ることが許されるのは、王族、四騎士、そして彼らに招待を受けた一部の者に限られる。今回、この馬車に乗っているのはその中でも四騎士とその招待者が該当する。
では、招待者とはどのような存在だろうか。ここプレラハル王国において招待される者は数多くいるが、現在の情勢を鑑みれば、その候補はただ一つに限られる。
レインザードを突如襲撃した魔王。それを一時的ながらも排除することで微かな平和を取り戻した人類文明における最大の救世主にして英雄。即ち、アルバート・テルクライアとセナだ。二人は、アエラとエフェメラの推薦と招待を受け、こうして王都にまでやってきたのだ。
二人はそれぞれ、荷車の窓から町の景色を眺めつつその平和と喧騒に関心の眼差しを向ける。ルルシエもまた、アルバートの影に潜みながら彼と資格を共有することで同じ景色を盗み見ていた。
「神龍大戦があった割には、ヒトの子の文明も随分と発達したんだな」
セナは、神龍大戦時におけるヒトの子の文化文明レベルと比較しながら眼前の光景に感心する。
アエラとエフェメラはもう一台の馬車に乗っているため、どれだけ悪魔の本性を曝け出したところでその存在が露呈することはない。それでもルルシエの存在は公にされていないことから、念のために影から出ないようにしてもらっている。そんな彼女は、新生悪魔であるが故に神龍大戦時の情勢を知らないためセナの感想に賛同することはない。アルバートと同じく、彼の感想に対して興味津々に疑問符を浮かべる事しか出来なかった。
「昔ってそんなに酷かったの?」
「第二次神龍大戦は、地界の中でもこの星の近辺が主戦場だったからな。それらしい文明が形成されるたびにこの辺りの星は悉く焦土になってたんだ。そんな神龍大戦が終結して10,000年。随分頑張った方に見えるだろ?」
「へぇ」
そんなことより、とセナは窓越しに馬車の進行方向を眺める。英雄に対する称賛と羨望の眼差しと歓声に微かな羞恥心を覚えつつも、悪くないなとばかりに微笑を浮べていた。
悪魔として人間社会に溶け込んでいる現状を思えば罪悪感がないわけではなかったが、しかしクィクィほどではないにしろ人間に対してある程度の好意を抱いている身としては悪くない感情だった。
「そろそろ王城に到着するようだな。一体何が待ち受けているのか……」
「事前に聞いた話では、私達を新たな英雄として公的に保護するとのことらしいのですが……」
「体の良い小間使いか?」
ええ、とアルバートは首肯する。非公式ながらも英雄として世間に認められて活動していた身としては、現在自分たちが置かれている状況に自ずと理解が及ぶ。一方アルバートもまた彼と同じくヒトの子の為政者達が思うところを全て把握していた。それは年の功もあるだろうが、何よりヒトの子の管理者としての明確な上下関係に由来するものがあるんだろう。管理者として被管理者の思わんとするところは全て我が事のように感じられる、神の子としての特権だった。
「魔王は漸く明確になった人類の敵ですが、いまだ不明瞭な点が多いこともまた事実であるなによりその強大さはレインザードを見れば一目瞭然です。そんな敵を排除した実績があるのですから、手放すわけにはいかないのでしょう」
「何というか……厚顔無恥だよね、人間って」
頬を膨らませて人間の打算的思考に失望するルルシエ。アルバートはそんなことないもんね、と微笑む彼女だが、しかし人類を裏切って悪魔の軍門に下った彼としては、素直に首肯しづらい。あの場面で仕方ない選択だったのかもしれないが、その感情を含めて打算的な判断だった可能性は否めないのだ。そのため、アルバートはルルシエの言葉に対してどっちつかずな答えで濁す事しか出来なかった。
「さぁな。しかし、よく当時の人間は絶滅しなかったものですね。勿論、絶滅しなかったからこそ今の私達がいるのですが」
「ああ。だが、俺は大戦の初期に死んだからな。詳しいことは生き残った奴に聞いてみないとな」
そんなことを話している内に、アルバート達が乗った馬車は数多の兵士に守護された荘厳な城門を潜り王城の敷地内へと入っていった。
それを後ろから追いかけるように、アエラとエフェメラが乗った馬車も城門を潜る。中では久しぶりの帰還とそれによって実感する束の間の平和に絶えぬことがない微笑みを浮かべていた。美しく花開く荷車の中では、穏やかで牧歌的で美しく気品ある会話が交わされている。
「漸く戻ってこれましたね」
「ええ。もうへとへとよ。でも、ある程度の復興作業にもめどが立ってきたし、後はどうにかなりそうね」
「はい。最後までお手伝いいただきありがとうございました。ところで、お体の方は大丈夫ですか?」
首をかしげて心配に身と溢れる声で問いかけるエフェメラ。心の底から同僚を心配していることが明瞭な声色と口調だった。
「う~ん……まぁ、なんとかね。まだちょっと違和感が残ってるけど、特に支障はないわ」
それに、とアエラは窓越しを悠々と走る馬車を見る。それはアルバート達が乗った馬車であり、レインザードでの死闘を共に戦い抜いた戦友が乗るそれだった。
「アルバートとセナがいればこの先も大丈夫よ、きっと」
そうですね、とエフェメラも賛同しつつ和らな笑みを浮かべた。
次回、第123話は1/28 21時頃公開予定です。




