第120話:龍魔眼
中は生活感ある小さな部屋だった。机とベッド、そしていくつかの可愛らしい家具が置かれ、今この瞬間にも誰かが住んでいるのではないか、と思っていそうなほどに生活感あふれる光景だった。
そんな部屋のベッド上にいるのは間違えようがなくクオン本人であり、そのすぐ脇にはアルテアが腰掛けていた。彼女はアルピナ達の来室に予め気付いていたかのように平静を保っており、快く彼女達を迎え入れた。そしてクオンもまた目が覚めていたのか、徐に体を起こしてアルピナと目を合わせた。
「起きていたのか、クオン」
「丁度目が覚めたところだ。それより、無事に終わったみたいだな。お前にしては、随分と時間がかかったんじゃないか?」
「ああ。しかし、偶には悪くないだろう?」
アルピナは魔眼を開く。彼の魂の深奥を除き、彼の心身の消耗具合を詳らかにする。それは、彼の深層心理すらも容易に見透かす程に洗練され、彼女を前に隠し事は出来ないことを改めて知らしめられる。
「ある程度は回復したようだが、それでもかなりの損傷が残っているようだな」
「さすがにな。いくらお前と契約を結んでいるとはいえ、皇龍とやらの龍脈を逆流させるのは無理があったらしい」
仕方ない、とアルピナはクオンに手を翳す。彼の胸の上に黄昏色の魔法陣が浮かび、彼女の魂からその魔法陣を介して彼の魂へ魔力が注がれる。その魔力は瞬く間に彼の全身へ満ちてゆき、損傷した肉体、精神、魂をたちどころに回復させていく。あらゆる医療技術より早くより確実に治療されるその光景は、人間からしたら神の奇蹟と形容できるほどだろう。改めて、神の子の理不尽さを目の当たりにしたクオンは呆然とそれを受け入れる事しか出来なかった。
そして全ての治療が終わり、アルピナからクオンへの魔力流入は途絶える。黄昏色の魔法陣は霧散し、アルピナの瞳もサファイアブルーに戻る。
ふぅ、と小さく息を零したクオンは、金色の魔眼を開いて自身の心身と魂を見透かす。全ての治療は滞りなく完了し、微かな兆候すら逃すことなく完璧に元通りに修復されている。遺剣から逆流させた皇龍の龍脈の残滓も感じさせず、知覚できるのはアルピナの魔力に修飾されたクオンの魂だけだった。
しかし同時に、クオンは自身の魂の色味がこれまでのそれとは僅かに異なっている事に自ずと気付かされる。
そもそも一介の人間、即ちヒトの子であるクオンの魂の色は白色。特別な力を持たないことからも、それは当然とも言える。一方、神の子は個体ごとに差異が有れども、各種族に応じた固有の色も併せ持つ。天使なら暁闇色、悪魔なら黄昏色、龍なら琥珀色といった具合にだ。
そしてそれは、それら神の子と魂を介した紐帯を結ぶヒトの子にも強く現れる。白色のキャンパスに絵の具を乗せた時のように、天羽の楔や契約はヒトの子の魂を主人の魂が持つ色に上書きするのだ。
つまり本来であればクオンの魂は黄昏色、即ち彼の契約主であるアルピナが持つ悪魔としての色に染まっているはずだった。しかし、現実はそうではなかった。確かに彼の魂の大部分は契約主であるアルピナが持つ悪魔としての黄昏色が流入している。
だが、それだけではなかった。それは魂の極一部。ある程度の精度が確保された魔眼でなければ見逃す可能性すらありうるほどの滓かな差異でしかなかったが、白と黄昏が綯交された魂の中に、いくつか琥珀色の残滓が浮かんでいた。
黄昏色の残滓は、その魂の龍の介入があったことの証左。クオンの魂にそれがみられると言うことは、遺剣が持つ龍脈に由来する可能性しか考えられない。
「龍脈の残滓……遺剣の龍脈を強引に逆流させた影響か?」
「ああ。しかし、君は既にワタシと契約を締結済み。その程度であれば影響が出ることはないだろう」
それにしても、とアルピナは心中で微笑を浮かべる。クオンの魂を染める懐かしい色に対して、彼女は感慨深い瞳を向けていた。
やはり、遺剣に残っていた残滓が定着したか。逆流させた時は果たしてどうなる事かと思ったが、どうやら杞憂だったようだな。
アルピナは、彼の魂を見ていた瞳を動かす。その視線は、やがて琥珀色の染まるクオンの瞳と真っ直ぐ見つめ合っていた。猫のように大きく可憐なアルピナの瞳が、端整で逞しさに磨きがかかったクオンの瞳と一直線に繋がる。恋愛創作物のように甘く儚い束の間の時間とは程遠い、さっぱりとした契約に基く他人行儀な視線が交わされた。
「どうやら、瞳にも龍脈が残っているようだな」
「ああ、そう見みたいだな。だが、瞳に残ってる龍脈はごく僅かだ。特に悪影響はない。寧ろ、魔眼と馴染んでいるお陰で以前より魂が見やすくなったほどだ」
話は変わるが、とクオンはスクーデリアとともに近くの椅子に腰掛けるクィクィを見る。長閑な雰囲気を零出し、何処からともなく取り出した紅茶を嗜んでいた。甘く温かい芳醇な香りが部屋に満ち、窓の奥に広がる破壊的な廃墟と倒錯した平和的な空間を作り出すことに貢献していた。
「クィクィ……だったか? 改めて思うが、お前達は揃いも揃って桁違いな魔力だな」
名前を呼ばれたクィクィは、手にしていたティーカップを机に置いて声の主を振り向く。可憐で稚く、一切の殺気を感じさせない純粋無垢な緋黄色の瞳を輝かせる。
「クオンお兄ちゃんだっけ? 助けてくれてありがとっ」
「アルピナと契約を結んだからな。成り行きに過ぎない。それより、アルピナが龍魂の欠片を持ってるはずだって言ってたんだが……」
チラリ、とアルピナを一瞥しつつ問いかけるクオン。それを見て、アルピナはすっかり忘れていたとばかりにハッとする。まるで危機感がない間の抜けた態度だが、それだけ戦いに精神をすり減らしていたのだろう。誰もがそう半ば無理やりながらも納得し、波風絶たない時の流れの中で言葉を交わす。
「そういえばそうだったな。クィクィ、10,000年程前に君に依頼していたジルニアの龍魂の欠片探し。スクーデリア曰く回収済みとのことだが、今も手元にあるか?」
「うん。今も持ってるよ。だって、ずっと持ってないとルシエルに取られちゃうもん」
そういうと、クィクィは誰にも知覚することができない魂の深奥に厳重に保管されていたジルニアの龍魂の欠片を取り出す。彼女の小さな手掌の上に浮かぶそれは、淡い琥珀色の光を放ちながら濃密な龍脈を迸出させている。クオンが持つ遺剣を遥かに上回る、ジルニアそのものと言って過言ではないほどのそれは、やはり格別の力を保持していてしかるべきなのだろう。
なによりクオンの魂と瞳に残るジルニアの龍脈が、龍魂の欠片から放たれる龍脈と共鳴して痛いほどに胎動していた。
「クッ……」
「つらそうね、クオン。さながら龍魔眼とでも言ったところかしら?」
心配の言葉を投げかけるスクーデリア。鈍色の髪が龍脈の風に乗って靡き、気品さに満ち溢れる彼女の佇まいはより一層強調されているように感じられる。
「一応魔眼は閉じてるんだがな……。まぁ、ちょっと違和感がある程度だ。直に慣れる」
そんなことより、とクオンは改めて龍の力を零出する琥珀色の瞳で龍魂の欠片を見据える。スクーデリアが持っていたそれと何ら変わらないそれは、誰の力を受ける訳でもなくひとりでに浮かび、静謐な佇まいでクィクィの手掌の上に収まっている。
敵でもなければ味方でもないような、まるで中立に立つ第三者のような不思議な雰囲気が感じられるそれを、アルピナは懐かしさに溢れる相好を浮かべて徐に歩み寄る。
次回、第121話は1/26 21時頃公開予定です。




