第119話:無傷の悪魔
それにより一時の安心感が齎され、改めてレインザードのを巡る争いに決着がついたことを魂の奥底から実感できた。
そして、そのまま彼は近くでアエラと同じように座り込んでいるアルバートの横まで歩み寄る。スクーデリアと契約を結び悪魔の麾下で人間に味方する英雄という複雑な立場でありながら誰よりも生真面目にその任務を遂行した陰の立役者。その功績は、悪魔と人間の両方においてなくてはならない存在だったと誰もが口をそろえるだろう。
「一先ずは落ち着いたな」
「ええ。しかし、アルピナ様は無事でしょうか?」
茶番のはずの戦いだったが、しかしその終結のためにアルピナは深手を負った。アルバートの瞳にはそう映り、欺瞞の色を知覚することはできなかった。
しかし、そんな不安を吹き飛ばすようにセナは笑う。何よりそれはセナだけでなく、アルバートの影に潜むルルシエも同様の反応を見せていた。
「大丈夫だよ。アルピナがあの程度の攻撃で傷つくとは思えないし。そうでしょ、セナ?」
「なんだ、ルルシエ。まだ陰に潜んでいたのか。てっきり、エフェメラ達と一緒に遠くに逃げてたのかと思った」
「ちょっと、それ酷くない?」
姿は見えないが、怒りに頬を膨らませたルルシエは声だけでセナに詰め寄る。アルバートもそう思うよね、と影の中から同情を求め、しかしどうこたえてよいかわからない彼は困惑して言葉にならない声を零す事しか出来なかった。
「はははっ、冗談だ。兎に角、暫くは身体を休めるとしよう。ルルシエ、アルバートは任せた」
「りょーかい!」
仲睦まじく良好な信頼関係を築いているアルバートとルルシエを余所に、アルバートは改めて琥珀色の空を見つめた。
さて、後はアルピナ達に任せるとしようか。
同時刻、アルピナ、スクーデリア、クィクィの三柱の悪魔はレインザードの上空を飛ぶ。微かに感じられるクオンの魂を魔眼で拾い上げ、彼が休んでいる場所まで悠々とした浪漫飛行を楽しむ。
人間側にとっては死闘だったそれも、彼女達にとってみれば暇つぶしにも同義。深手を負っているように見えた傷は跡形もなく消え去り、普段通りの外観と魂を見せつけたまま優雅で可憐で冷酷な相好を浮かべていた。
当然、そんな彼女の姿を見てスクーデリアやクィクィが驚愕することはない。日常の一コマを切り取ったような変わらない気品と可憐さを存分に見せつけ、アルピナと肩を並べて風を切っていた。
「随分無茶するわね、貴女も」
「下手な演技で勘付かれる可能性があるのであれば、多少の犠牲を払うに厭う必要はない。いくらセツナエルの祝福を受けているとはいえ、あの程度の攻撃で死ぬことはないからな」
しかし、と彼女は心中で当時の状況を思い返す。祝福とはいえセツナエルの力。天羽の楔ほどの効果はないが、しかしだからと言って軽視するわけにはいかないのだ。
セツナエルの祝福……か。面倒事が増えたな。事前に手を打っておくべきか?
セツナエルの強大さを知っているが故の警戒。人間が創造されるより遥か昔に勃発した神龍大戦の主犯格である彼女の危険度は、アルピナやジルニアすら可愛く見えるほど。何故ここ暫く表立って活動していないのかが不思議で仕方ないほどなのだ。
なによりアルピナの不安を煽るのが、ジルニアの根源である龍魂の欠片の存在。現在の天使悪魔間の抗争の原因でもあるそれは、他の天使達の言動からしてセツナルが目的とする物。仮に彼女がそれを手に入れたところで、肝心の使い道が明瞭としないのだ。態々他の天使達を蠢動させてまで執拗に追い求めようとするその態度は、人間が幽霊に狂信を抱くのとほぼ同義だろう。
どれだけ思考を深めようとも釈然としない疑問。微かなとっかかりすら掴めないことを朧気ながら察知したアルピナは、その思考を止める。決して導き出せない答えを追い求めたところで、それはただ時間を浪費しているだけだ。ならば一度思考を脇に置き、微かな手掛かりを探すために奔走した方が何倍も生産性があるだろう。
「相変わらず頑丈だよね、アルピナお姉ちゃんって」
「年相応だ。君も、今のワタシと同じくらいの年になったら同じような頑丈さを身に付けているだろう」
アルピナは美装を浮かべつつクィクィに諭す。可憐で稚い、人間でいう10代後半程度の外見年齢から発せられる言葉とは到底思えないが、しかし、全悪魔の中で最も古い存在であるが故の視点から生じる発言だった。何より、それを外見年齢が大して変わらないクィクィに対して言っている光景がまた滑稽だった。
「同じくらいか~。気が遠くなりそう」
クィクィは自身が生まれてからの時間とアルピナが生まれてからの時間とを比較して遠い瞳を浮かべる。様な果てしない時間の差が生む格の違いは、悪魔という特殊な寿命を持つ存在として生を受けた彼女ですら辟易してしまう。
「ふふっ、確かにそうかもしれないわね」
「そうかな?」
アルピナとほぼ同い年、即ち彼女と同じくクィクィより遥かに長い時を生きるスクーデリアは、同情の言葉を投げかける。アルピナと対照的な気品ある落ち着いた口調と声色は、これまで幾度と聞いてきたスクーデリアの声。懐かしく頼りになるその声に、クィクィは久しぶりの安心感を感じて微笑みを浮かべた。
それよりさ、とクィクィは話を変える。風を切って町の上空を飛びながら、緋黄色の髪を靡かせる可憐な相好を眩く輝かせ、久しぶりの再会に対する満面の笑みを浮かべていた。
「助けてくれてありがとう、アルピナお姉ちゃん、スクーデリアお姉ちゃん!」
「気にするな。そもそも、キミを助けたのはワタシではなくクオンだ。例ならあの子に言うことだな」
「そうよ。それに、私達が貴女を見捨てるわけないじゃない。大切な友人だもの」
猫のような碧眼を可憐に輝かせるアルピナと鈍色の長髪を掻き上げるスクーデリアは、互いに目を合わせて微笑む。殺気も覇気もなく、魔力の溢出も生じさせていない、ただの友人同士としての牧歌的な一場面。普段もこれほど長閑ならどれほど平和な集団として存在できるだろうか。
普段、クオンが裏で人知れず苦労していることを露と知らない彼女達は、これが普段通りと信じて疑わない。クオンがこの場にいないことは、ある意味好都合だったのかもしれない。知らないからこそ、あれだけの傷心で済んでいるのかもしれない。
さて、とアルピナは眼下の町を見る。金色の魔眼を開き、その町の中に浮かぶクオンとルルシエの魂を探す。そして、見つけた彼らの魂を目印にゆっくりと降下を始める。
「クィクィをルシエルの精神支配から解放した救世主と再会しようか」
町に降り立ったアルピナ達は、眼前に聳える比較的綺麗な一軒家を見上げる。周りの建物は総じて倒壊しているか大破している中、唯一その家だけはまだガラス一枚割れることなく不自然なほど奇麗にその形を保っている。それは偶然の産物なのか、或いはアルテアが戦いから守り抜いたためなのか。それを知る術を彼女達は持ち合わせていないが、しかしクオンとアルテアが無事であればそのような些末事は埃程度の価値しかない。
アルピナ達は早速家に入る。礼節を一切気にする素振りがない様子は、崩壊してしまったこの町においては然したる問題足りえない。例えどれだけ奇麗に残っていようとも、復興の過程でどのみち解体されるのだ。多少の汚れはこの際どうでもよい。
そもそも彼女達は純粋な悪魔だ。人間社会の礼節は彼女達には通用しない。それは、猿山の社会構造が人間社会では通用しない様なものだ。
そして彼女達は、クィクィの案内を頼りに二階へ上がる。広めの階段の先にある迫眼の廊下の一角にある扉。家主の性格が想像できる奇麗な扉を開け、アルピナ達はその部屋になだれ込んだ。
次回、第120話は1/25 21時頃公開予定です。




