第113話:聖力
そんな平和的な会話の合間にも、戦いは間断なく行われる。嵐のように吹き荒ぶ聖力と魔力が衝突することで生まれる衝撃は、他の地点で生じるあらゆる衝撃を上回り、あらゆる自然災害をも凌駕する。
地上からでも容易に観測できるほどの爆発は、しかしそのお陰もあって地上からでは容易にその正体を捕捉させない。アルバートも、アエラも、エフェメラも、その他一般人も、正体不明の爆発と衝撃にはただただ逃げ惑う事しか出来なかった。
嘗ての神龍大戦と何ら変わらない規模と威力で紡がれる剣戟。しかし、天魔の理の定める範囲内で全力を尽くすルシエルに対してアルピナはその涼しい相貌を崩すことはない。汗を一つかかず、息切れ一つせず、傷一つ負わず、まるで幼子と戯れるかの如き軽やかな足取りで彼女を翻弄している。周囲の殺伐とした死の香りの中では異様なほどに緊張感のない態度は、しかし神龍大戦時から大きく変わることがない普段通りの仕草。
ルシエルの知っている限りでも、アルピナがその態度を崩したのはジルニアかセツナエルと戦った時のみ。彼女の実力を上回る二柱の神の子だけが、彼女の心を刺激できるのだ。
つまり、現在のルシエルではどう頑張っても彼女の本気を引きずり出すことはできないのだ。それを痛いほど理解している彼女の心に、もはや屈辱的な感情が浮かぶことはない。しかし、一縷の希望を模索するように彼女は聖剣を振り続ける。
そんな彼女の必死な努力を全て無に帰すように、アルピナは軽やかにあしらいつつ冷酷な笑顔で彼女の瞳を見据える。金色の魔眼が蛇のように鋭利な眼光を放ち、智天使を掌の上で完全に翻弄することで戦いの行方を縦にする。そして同時に、その意識は魔物を指揮しているエルバへと向けられていた。
ほぅ、レウランディまで連れて来ていたのか。事実、あれは魔法の類をかなり不得手とする。アルバートの鍛錬には丁度良いの相手だろう。
さて、とアルピナは改めてルシエルに意識を向ける。息を切らすルシエルを嘲笑する様な笑顔は可憐に輝き、彼女を悪魔足らしめるかのごとき冷徹な瞳は琥珀色の空の下で心身を凍り付かせるような覇気を放つ。
さて、もう暫くだけ時間稼ぎをするとしよう。
実際の所、アルピナはルシエルを斃そうと思えばすぐにでも斃せるのだ。しかし、町全体にルシエルの魂の残滓が蔓延しているという事実が、その行動に抑制をかける。このままルシエルの肉体に死を贈り魂を神界へ送り返した場合、残された魂の残滓がヒトの子にどのような影響を及ぼすのか想定できないのだ。それはアルピナの知識でも予測不可能であり、ルシエルに問い詰めたところで素直に答えるとも限らない。その為、全住民の魂の洗浄が完了するまで斃すわけにはいかないのだ。
その時、不意に彼女の脳裏に精神感応が届く。
『アルピナ、聴こえてるかしら?』
『ああ、聴こえている。何かあったか、スクーデリア?』
『ええ。たった今、ルークとピジョップから連絡があったわ。レインザード全体の魂の洗浄は完了したそうよ』
ふふっ、と笑いつつ報告するスクーデリア。それを聞いて、アルピナもまた無意識に笑みが零れる。長くもあり短くも感じた時間の流れ。漸く計画を進められる、と彼女は安堵した。
『そうか。では、此方も終わらせるとしよう』
頼んだわよ、とスクーデリアは呟き精神感応を切断する。それを待ってアルピナは小さく息を吐いた。想定より時間はかかってしまったが、しかし無事に計画が進みつつあることに心が落ち着いた。今にも落下してきそうな琥珀色の空の下で、彼女は新ためて魔眼を輝かせる。眼前に構えるルシエルを睥睨しつつ彼女の魂を恐怖で委縮させる。
「さて、名残惜しいがそろそろ終わりにしよう」
「ええ、そうね。私の精神支配も全部処理されちゃったものね」
それでも、とルシエルは聖剣を構える。せめて一撃でもおみまいしたい、という淡い期待を胸に聖力を湧出させる。
〈聖天爆炎斬〉
聖剣に焔の如き輝きを纏わせてルシエルは直線的軌道でアルピナに突撃する。暁闇色の聖剣がこれまで以上に眩く輝き、抑えきれない聖力が小さな爆発を発生させながらアルピナの魂を目標に迫る。
しかし、そんな彼女の決死の一撃に対してもアルピナは余裕が残る笑顔を崩すことはない。そして、迫りくる聖力の風で御髪と衣服を靡かせながら、しかし一切身を同時させることなく彼女は徐に呟いた。
「さて、徒に戦いを長引かせてしまったお詫びとして君にはいいものを見せてやろう」
アルピナは右手の意識を集中させる。魂を始点として体内を循環する魔力がより高速に動き、右手に構築された黄昏色の魔剣から放たれる輝きが増す。そして、その輝きを伴う魔剣を構えつつ、アルピナは小さく息を吐いた。瞳を閉じ、全ての意識を眼前の天使に向け、一欠片の油断も慢心も脳裏から掻き消す。
〈聖天爆炎斬〉
瞳を開け、アルピナは徐に呟いた。手にしていた黄昏色の魔剣がその色味を変え、突如として暁闇色の輝きを放ち始める。アルピナの魂から湧出していた魔力は全て聖力へと置き換わり、彼女が悪魔だったと思わせる証拠は微塵も残されていなかった。
そして、アルピナは突撃する。ルシエルと同じく直線的軌道を描き、焔の如き揺らめきと陽炎を伴う聖剣が空間を崩壊させかねない力を纏う。
やがて、瞬きにも満たない一瞬の間に二柱の神の子は接触し、眩い閃光と激しい衝撃波を辺り一面に放つ。聖剣と聖剣がぶつかり合い、あらゆる自然災害とも一致しない特別な衝撃が足元のレインザードに更なる崩壊を齎した。日輪の如き光球が上空に形成され、暁闇色の閃光が果てしなく疾走し、聖力が嵐となって吹き荒んだ。
その時、暁闇色の日輪から二つの人影が飛び出した。弾丸のように超速で飛び出したそれは、今まさにその光球を形成させた張本人であるアルピナとルシエルだった。アルピナの一撃を受けたルシエルが地面に向かって吹き飛び、それを追いかける様にアルピナが彼女を抑え込んでいた。
「クッ……」
全身から鮮血を吹き出し、聖剣を構築することすらできなくなったルシエルは、その勢いを減弱させる余裕すらなく苦悶の表情を浮かべる。そんな彼女の相好を見据えつつ、アルピナは冷徹な笑顔で微笑むのだった。
そして、瞬きにも満たない短時間で、二柱の神の子は地上に到達する。アルバートに襲い掛かろうと身を構えていたレウランディを巻き添えにしつつ、彼女達はある種の質量兵器と化して地上に巨大なクレータを形成した。
瓦礫と土煙が舞い上がり、一寸先すら視認できないほどに辺り一面は崩壊する。そのクレーターの中心ではルシエルが横たわり、息も絶え絶えといった具合で浅い呼吸を繰り返していた。
「アルピナ公……貴女……聖力を……」
「ほぅ、あの一瞬で見極めたか。しかし、君なら凡その理由は見当がついているだろう?」
しかし、とアルピナは聖力を霧散させる。そして、魂から彼女本来の魔力を迸出させて全身を循環させる。徐にルシエルの頭元にまで歩み寄ると、彼女の頭部に片足を乗せる。
「続きは神界ですることだな」
ギリギリと音を立てて彼女の頭部を圧迫し、その苦痛で彼女は相好を歪める。やがてその勢いのまま彼女の頭部を踏み潰すと、グシャリと嫌な音を立てて血が吹きあがった。肉片が辺り一面に飛び散り、生きた肉体を失った魂が新たな宿主を求める様に姿を現した。
その魂をアルピナは速やかに回収すると、散らばった肉体とともに復活の理に乗せて神界へと送るのだった。
「さて、漸く肉体が死を迎えたかルシエル。ならば、大人しく魂は神界へ還る事だな」
◆◆◆◆ ◆◆◆◆
次回、第114話は1/19 21時頃公開予定です。




