第111話:英雄と魔王
〈武装・三光連斬〉
アルバートは突撃する。光の如き超速へと至り、その勢いで剣を三度振るう。瞬きにも満たない時間。その技量は純粋な人間では一生をかけても到達することがないような領域へと昇華されている。
「アルバートッ‼」
瞠目しつつ叫声を上げるアエラ。その音はアルバートに追いつくことなく掻き消され、何も知らないアルバートは直線的にレウランディ達へと突撃する。しかし、彼の斬撃は空を切る。確実に当たったと思ったが、しかしアルバートが振り返った先にその魔物達の姿はなかった。
「当たってない⁉ 一体……どうなって……!?」
剣を下ろし、呆然と立ち尽くすアルバート。まるで彼がやりましたと言わんばかりの光景に、アエラ達は勘違いによる称賛の眼差しを向けていた。慌ててそれを訂正しようとするアルバート。しかしその声は、巻き上がる瓦礫煙の中から聞こえる声によって止められる。
「漸く肉体が死を迎えたか、ルシエル。ならば、大人しく魂は神界へ還る事だな」
グシャリ、と何かが踏み潰される音が鳴る。それと同時に届くのは何度も聞いた声、一度は憎たらしいと思った声、絶対に敵わないと絶望した声。悪魔達を統べる悪魔、人間が魔王と呼び恐怖する少女アルピナが、冷酷な瞳と残酷な口調で見下ろしていた。ブーツの底は血で赤褐色に染まり、金色に輝く魔眼が禍々しさを増強させ、その場にいる誰もが肌を焼かれる様な恐怖心に身を震わせる。
「あれは……」
アルピナ様、と思わず名前を呼びそうになるアルバート。しかし、悪魔に魂を売り払ったことは秘密であるために咄嗟にその言葉を抑え込む。そんな彼の態度と様子、そして周囲の状況を一瞥しただけで把握したアルピナは、人間達が知る魔王としての側面を曝け出して英雄アルバートと対峙する。
アルピナもまたアルバートがスクーデリアと契約を結んだことは認識しているが、しかしそれを表沙汰にするべきではないことを理解しているため、これまでと変わらない悪魔然とした口調と声色を保つ。
「ほぅ、誰かと思えば君だったか。たかが人間が、戦場の中心地に居ながらまだ生きていたか」
「伊達に英雄と呼ばれてないんでな」
ねぇ、とアエラはアルバートの横に並び立つと彼に問いかける。恐怖で上下肢は震え、上下歯がカチカチと音を鳴らす。その声色は、普段の彼女とは打って変わった弱々しいものだった。
「あれが……魔王?」
「ええ。彼女が魔王アルピナです。気を付けてください。これまでの相手とは次元が違いますので」
猫のように大きな瞳はやや吊り挙がり、その中では金色の光彩が輝いている。肩程に伸びた青いアクセントが入った黒髪。男性的な黒色のコートを肩に羽織り、少女的な黒色のスカートとその下から伸びる雪色の大腿は官能的な色気を帯びている。
一見してどこにでもいる少女。外見だけ見ればエフェメラと大差ない、10代後半にしか見えない小柄で可憐な少女。しかし、それは見えるところの話であり、見えない領域から漂う異様な殺気と冷酷な覇気はまさしく魔王と呼ぶに相応しい。
「わかってる。もう、嫌というほど感じてるわ。あれは、絶対に勝てないって」
悔しがる口調で答えるアエラ。そんな彼女の苦痛に満ちた言葉の裏で、アルピナはこの場にいる全悪魔及びそれと契約を結んだクオンとアルバートを対象にした精神感応を起動する。尤も、未だ気を失ったままのクオンにそれを聞く力はないのだが……。
『さて、クィクィが復活しルシエルの精神支配の排除も完了した。そして、そのルシエル本人もまた、たった今神界へ帰還した。よって、計画を第二段階へと移行しよう』
了解、とそれぞれが返答し、精神感応から離脱する。町の各所で悪魔が一斉に動き出し、魔眼を持たないアルバートにも、その気配は嫌というほど知覚できる。
何より、町の各所にいる魔物達がその動きを止めて大人しくしていた。その異様とも言える光景は、戦いの香りが一時的に薄まったことを示すとともに得体のしれない恐怖を齎す。
そんな中、アルバートだけは精神感応を切断することなくアルピナを睥睨する。彼女が言う計画とやらを何一つ聞かされていない彼は、これから何をすればいいのかわからず困惑の心情で惑う。そんな彼に対し、アルピナはいつもと変わらない可憐な声色と冷徹な口調で語り掛ける。
『契約の話はスクーデリアから話は聞いている。それより、君にも計画の内容を伝えなければならない。本来であれば事前に説明しておくべきだろうが、しかし君が信頼に足るだけの存在か見極める必要があったからな。しかしどうやら、ルルシエと随分仲良くしているらしい。ならば、我々としても君を信頼して事を任せるに問題はないだろう?』
『なら、仮に俺がルルシエをぞんざいに扱うようなマネをしていたら……』
『この場で、君の魂を一欠片の魂すら残すことなく霧散させていた。仮に君がいなくなったとしても、代替は用意できるからな』
淡々と告げられる真実。選択を誤っていた場合に起こっていたであろう最悪の結末がアルバートの心を刺激する。魂の霧散が果たしてどのような状況かは理解できないアルバートだが、しかし想像を超すような恐怖が訪れるであろうことだけは容易に想像できる。或いは、恐怖を過らせる暇すら与えられないかもしれない。仮定の領域を出ない話だが、しかしそれだけに未知の恐怖は彼の心に重く圧し掛かる。
『それより、計画と言うのは……? というより、そのルシエルと言うのはいったい……?』
アルバートを含む人間側におけるこの戦いとは、単純な人間対魔王と言う構図。しかし、実際はそこへルシエルを始めとする天使による暗躍とジルニアが生んだ龍魂の欠片を巡る天使対悪魔の抗争も含んでいる。しかしそれは人間達に決して悟られないように慎重に進められていたこともあり、アルバートは訳が分からないといった具合で疑問符を浮かべる。
『そうだな。しかし、まもなくスクーデリア達が到着する。天使の存在やルシエルとの闘いの顛末については戦いながら話すとしよう』
『はい。では、その計画について説明をいただけますか?』
『ああ、計画は単純だ。間もなくスクーデリアとクィクィ、そしてエフェメラという天巫女なる人間を連れたセナがこの場に到着する。そこで、君はセナと協力して我々魔王を討伐しろ。それにより、君は英雄としての地位をより強固にできるだろう。そこへ、セナを新たな英雄として擁立することにより我々悪魔の力を人間社会に浸透させる』
至って単純な計画。不可能という点に目を瞑れば、だが。アルバートは当然として、仮にセナが天魔の理を無視して最大出力で魔法を行使しようとも、クィクィを殺すことすらできない。にも係わらず、クィクィはおろかそれ以上の力を有する二柱の悪魔諸共討伐するのは夢物語より現実味がない話だろう。
アルバートは、スクーデリアとの契約もあってただの人間だった頃に比べて身体能力が飛躍した自覚がある。それは客観的にみても同様であり、ヒトの子で現在の彼の身体機能を上回るのはクオンだけだろう。しかし、そんな彼でもアルピナはおろか影に潜むルルシエにすら及ばないのは自覚している。その上、己の実力は過大評価する慢心者になった覚えもない。当然、それを誰よりも理解しているアルバートは、彼女の提案を否定する。
『しかし、幾らスクーデリア様と契約を結んだとはいえ、今の俺では討伐はおろか傷を負わせることすら……』
『ああ、不可能だ。しかし、大切なのは君が驚異的な力で我々悪魔に攻撃したという証拠だ。幸い、この町には四騎士が二人もいる。後は、敗北を装って姿を晦ませればいいだけだ』
なるほど、とアルバートは了承する。そして、まさに絶好のタイミングとばかりに上空から二柱の悪魔が飛来する。
次回、第112話は1/17 21時頃公開予定です。




