第110話:新たな魔物
そんな思いを思考の片隅で行いつつ、その魔眼はアルバート達から一切逸らすことなく向けられていた。ルルシエの支援が間断なく行われているとはいえ、こうして近場で行われていると、二次的被害の不安が脳裏を過らずにはいられなかった。
何より、スクーデリアが契約を結んだ人間という特別な存在の実力を、ぜひ間近で見てみたいという単純な好奇心が彼らの心を突き動かしていた。
「あれが、スクーデリアが契約を結んだ人間か……」
「みたいだね。魂からスクーデリアの魔力が放出されているし」
それにしても、と二柱はアルバートの戦いぶりを評価する。ヒトの子の領域を逸脱した英雄としての技量とスクーデリアから預かった魔力、その二つが調和することで、その実力は二柱がこれまで見てきたどんな人間よりも強いと確信できた。そしてその上で、そんな彼より強いとアルピナやスクーデリアが豪語するクオンの実力に微かな恐怖を抱いてしまった。
それでも、悪魔としてそれなりに長い時を生きてきた二柱の実力は、未だアルバートより上に位置している。死を経験して実力がそれなりに低下しているとはいえ、そこはまだ譲れない所ではあるのだ。悪魔としての矜持を誇示するように、二柱はアルバートの成長性に対して期待の眼差しを向けた。
「さて、もうひと踏ん張り頑張るか」
そうだね、とビルディアは頷く。避難所からは、極僅かだが未だルシエルによる精神支配の残滓が零れ出ていた。それでも、この一連の戦いが始まった当初に比べれば随分と減少した方だろう。あと一歩、それはすぐ目の前にあるようでなかなか手元に到着しないもどかしさを与えてくれる。
ピジョップとビルディアは、魔物との死闘を繰り広げるアルバートに無事を祈りつつ避難所へと戻る。
しかし、人間社会でそれなりの認識と信頼を獲得しているアルバートや、エフェメラから一時的な信用を勝ち取ったセナと異なり、二柱は全くの部外者である。その為、正面から力を貸してやろう、と人間の兵士達に進言したところで軽くあしらわれるのは火を見るより明らかな事実。その為、二柱は避難所として利用している聖堂に魔法で身体を透明化させることで侵入する。
本来は相手の意表を突くために用いる手段として古い時代に利用されていた手段だったが、しかし時代の変遷に従って全く通用しなくなったために廃れた技術。最盛期は神龍大戦が勃発する遥か以前。現役で使用した悪魔で現在生きている者はアルピナとスクーデリアのみ、とされるほどに古い技術なのだ。何かに使えるかもしれない、と彼女達に教えてもらった技術が意外なところで活用できた瞬間だった。
ピジョップとビルディアは聖堂の中を見渡す。穹隅屋根の中央設けられた眼窓や側面の高窓から琥珀色の龍脈空が齎す不穏な灯りが取り込まれ、聖堂の中はそれなりの明るさが確保されている。それを壁に掛けられた燭台に置かれた蝋燭の灯りが補強することで、一時的な安らぎの空間として存在していた。
石造りの壁を貫通して届く轟音に心身を震わせ、死の恐怖に魂を強張らせる無垢の民達の反応は、それがルシエルの精神支配から逃れることができた証左でもある。
「残りは、二階にいる人間だけのようだな」
眼前に集う人間達を観察しながらピジョップは問いかける。中央を円形状にしつつその周囲を取り囲むように方形の構造体を合わせた中央への求心性が高い構造には所狭しと人間達が肩を寄せ合い、そこに収まりきらない人間達は、階上回廊や地下倉庫にまで及んでいる様だった。
「みたいだね。それじゃあ、ササッと終わらせようか」
静かに飛び上がった二柱の悪魔達は、誰にも気づかれないように近づき、魔眼で魂を見通し、必要最低限の魔力だけを魂に侵入させる。悟られることも不審がられることも無く、それなりの経験を積んだ外科医の如き巧緻動作で魂の残滓を洗浄する。
見る見るうちに感情を取り戻していく人間達。無感情で冷たい空間に仄かだが温かな感情の色合いが取り戻され、束の間の平和を演じる。
しかし、石壁一枚隔てた屋外から轟く戦いの音がその空気を破壊し、瞬く間に恐慌とした暗く思い空気へと変貌する。それでも、無感情の空気に比べれば色味があるだけでも幾分かマシとも言える。そう自分自身に言い聞かせつつピジョップとビルディアは治療を進めていった。
そんな二柱の静かな戦いを横目に、アエラ達は魔物を相手に奮闘していた。本来、魔物を人間で相手するのはかなりの困難を極めるのが通説。事実、魔獣一体を相手にするときは必ず複数人で戦うことが人間社会における原則とされているほどだ。
そしてそれは一般の退治屋や商人の護衛部隊に限らず、アエラ達国営の兵士達にも当てはまる。彼女達もまた複数人で一体の魔物を相手にするように心がけているが、それでもこれだけの長時間戦い続けるのは初めての経験。一介の人間でしかない彼女達の体力と気力は限界に近かった。
「ハァ……ハァ……なかなか減らないわね……」
額から流れ落ちる血液を顔に付着した返り血諸共袖で拭いつつ、彼女は吐き捨てる。斃せども斃せども一向に減る気配はない魔物達。そもそも、その魔物を支配しているであろう悪魔達の姿が何処にも見えない。
「キィスさん、大丈夫ですか?」
「まだ、なんとかね。でも、私より他の人達がそろそろ限界ね。アルバートは?」
「まだなんとか……いくら周囲から英雄と持て囃されようとも、称賛で腹は膨れませんので」
嘘だ。スクーデリアの魔力とルルシエの支援があるお陰でほぼ全快といって差し支えないほどの体力と気力は残っている。寧ろ、どれだけ動けば消耗状態に出来るのか不思議でたまらないほどだ。
預かった魔力とやらだけでもこれだけの力があるからな……本体が保有する力の底が知れないな。
それでも、とアルバートは前を向く。アルピナやスクーデリア達の計画とやらを無事に完遂できるように、僅かなヘマすらも犯さないように改めて心を落ち着かせる。
その時だった。これまで借り続けてきた度の魔物より大きな、凶暴性を具現化したような魔物が何処からともなく姿を現す。頭頂部には他の魔物と変わらない黄昏色の角が輝き、それが正しく魔物であることを教えてくれる。
「何……あれ……」
アエラは絶句しつつ硬直する。異様な雰囲気に咄嗟の理性が吹き飛ばされていた。恐怖が護身を亡失させ、無防備な肉体を呆然と晒す。
「俺にも一体何が……でも、やるしかないでしょう!」
驚愕しつつも、アルバートは覚悟を決めたようにその魔物へと挑みかかる。それは、平和な時代から多数の聖獣を狩り続けてきたが故に身に着いた本能的行動だった。しかし、それでも心中では驚愕に揺れる理性を抑えきることはできない。模倣的に精神感応を構築して、影に潜むルルシエに問いかけた。
『ルルシエ、これは一体何だ?』
『あれは、レウランヴィっていう魔物だよ。身体は大きいし見た目は凶暴だし性格とか実力もそれ相応だけど、魔力をほとんど持たない武力派だから特に苦労することはないと思うよ』
そうじゃなくて、とアルバートは溜息を零す。どんな魔物かも大事だが、何故それが新たに出て来たのかの説明が欲しかった。言葉足らずだったことは承知しているが故に不機嫌になることはないのだが、無意識のうちにそうした感情が顔に出てしまっていたようだ。
『え~っとね……さっきエルバから連絡があったんだけど、戦いが変わり映えしなくなってきたから連れて来たんだってさ。それと伝言で、頑張れ、だってさ』
『適当だな。まぁ、仕方ないか』
アルバートは剣を構えて大きく息を吐く。心落ち着かせ、魂に植え付けられたスクーデリアの魔力を借用して全身に纏わせる。狙うは魔物の魂。それだけだった。
次回、第111話は1/16 21時頃公開予定です。




