第107話:完璧な敗北
「クッ……」
衝撃に相好を歪める二柱の天使達。久しぶりの再会であるが故に、クィクィの力を見誤ってしまっていたのかもしれない。
「ほら、どうしたの? まだ終わりじゃないでしょ? もっとボクを楽しませてよ」
氷のように冷酷で、獣のように猟奇的で、サディストのように加虐的な金色の瞳でクィクィは嗤う。
「スクーデリア候ならともかく……同世代の悪魔相手に……」
「ばーか。ボクはキミ達と違って一回も死んでないんだよ。今のキミ達ってアルテアにも優位性ないよね? だったら、尚の事負けるわけないじゃん」
つまんないね、とばかりに欠伸を零すクィクィ。その無意識の挑発には、イルシアエルもテルナエルも一層の苛立ちを募らせてしまう。聖剣を握る手に力がこもり、額には薄らとだが青筋が浮かびつつあった。
「うるさいねッ!」
いくよっ、とテルナエルとイルシアエルは互いに頷きあってからクィクィに突撃する。獰猛に呻る聖剣を握り、暁闇色のオーラを放ちながら蛇のように鋭利な眼光とともに毅然と立ち向かった。
激しい力が交差する。甲高い金属音が衝突し、力と力が爪と牙を立てて唸る。
イルシアエルもテルナエルも、持てる力を行使してクィクィに立ち向かった。本来の目的を忘れ、個人的な清算の為だけに力を振るう。激情に囚われて周囲の状況に対して盲目となった二柱の攻撃は、それでもクィクィには通用しない。涼しい顔を保ち、玩具で遊ぶ童のような純粋無垢で屈託のない笑顔を向ける。しかし、その瞳は冷徹で加虐的な色に染まり、二柱の天使の魂を震わせる。
「全然つまらないね、君達。一回死んじゃっただけなのに、随分と弱くなったよね」
ホント期待外れ、とため息が零れる。
いっそのこと、もう一回殺しちゃおうかな? ……それにしても、スクーデリアお姉ちゃんは何でこんな二柱相手に時間をかけてたんだろう? 殺したらマズいのかな?
ふと脳裏に過ぎる疑問。スクーデリアの実力はクィクィも認めている。それどころか、クィクィは未だかつてスクーデリアに一度たりとも何一つとして勝ったことがない。それほどの隔絶された壁が存在している。
『ねぇねぇ、スクーデリアお姉ちゃん?』
『あら、どうしたのクィクィ? もしかして、もう終わったの?』
ううん、とクィクィは首を振る。いつでも終わらせられるけど、と言外に含む軽快な回答は実にクィクィらしい態度。実に可愛らしく、実に愛らしく、実に頼りになる言の葉に、スクーデリアはヒトの子の治療を進めながら無意識の笑みがこぼれる。
『まだ殺してないよ、いつでも殺せるけどね。それでさ、まだ殺さない方がいいかな? スクーデリアお姉ちゃんが殺さずに残してたのって、何かわけがあったんでしょ?』
『そうね……何かに利用しようと思って時間を稼いでいたのだけれど、忘れたわ。これからも特に利用する予定はないし、好きにして構わないわ。勿論、今後のことを考えて殺さない選択をするのであれば私はそれを支持するわ』
『うんっ、ありがとスクーデリアお姉ちゃん』
さて、とクィクィは精神感応を切断する。片手間で二柱を軽く吹き飛ばすと、僅かばかりの殺気すら感じさせない純粋無垢な笑顔を浮かべて徐に歩み寄る。倒れ込む二柱と目線を合わせる様に、クィクィは膝に手を置いて前かがみになった。
「ねぇ、二柱はどうしてほしい? ここで手を引く? それとも、神界に還りたいのならボクが丁重に送ってあげるけど? 一応昔の誼みもあるし、君達に選ばせてあげるよ」
ボクは優しいからね、と言わんばかりの笑顔。相手の生殺与奪権を完全に掌握しているからこそできる無防備なそれは、しかし一縷の隙も無いほどの完璧な覇気を身に纏っていた。
くそッ、と言葉にならない声を吐息とともに漏らすイルシアエルとテルナエルは、完全に心が折れていた。随分差がついてしまったな、と心中で溜息を零し、聖力の流入を遮断したその瞳は諦観の色で上書きされていた。
「ハァ……私達の負け。どうしようもないくらい完璧な敗北だね」
「なぁんだ、つまんないの。てっきり、こんなところで終わってたまるか、とか、貴様なんかに負けるはずがないんだ、とか言いながらなりふり舞わず突撃してくるんだと思ったのに」
遠くの空を眺める様に、無感情な声色で徐に呟くクィクィ。それが却ってイルシアエルとテルナエルの魂に死の恐怖を植え付けるとともに、敗北を確実なものにする。魂から溢出していた聖力がしぼみ、手元に転がっていた聖剣が霧散してしまった。
「死んで聖力が弱体化したとはいえ、心まで小者になった覚えはないからね」
「好きにしたらいいよ。本当は龍魂の欠片を手に入れたかったんだけど、今回は無理そうだしね。ところで、君が一つ持ってるらしいんだけど、それって本当?」
探し求めている龍魂の欠片の内一つをスクーデリアが持っていた。そのため、アルピナからの頼みで探しているのであればクィクィも同様に一つ隠し持っていても何ら不思議ではない。しかし、仮に持っていたところで強奪できる可能性は限りなくゼロに近いのは確実。ただちょっとした私的な興味関心に由来する質問だった。
彼の質問に、クィクィはすぐには答えない。無言で両者は見つめ合い、冷たい眼光が静謐な戦闘を再開していた。それはどれだけ続いたのだろうか。周囲では戦いの音が間断なく轟き続け、長い様で短くもある時間が戦いを一時的な忘却の彼方へと追いやってくれた。
「仮にボクが持ってたとして、どうして君達なんかに教えなくちゃなんないわけ? そもそも、龍魂の欠片を集める目的は何?」
「さぁね。僕達も詳しくは聞かされてないから何とも言えないよ」
「我が君の為なら如何なる命令も遂行する。天使の行動原理は昔と何ら変わってないからね」
自虐的に嗤うイルシアエルの発言に、クィクィは何も言い返さなかった。そういえばそうだったね、と心中で呟きこそすれども、その受動的な行動原理はいつ聞いても納得できない。同族の傀儡人形となり果てて、ただ只管に任務と職務を遂行するだけの生活に何の楽しみがあるのだろうか。天使ではないクィクィには到底理解できない領域の話だった。
「やっぱり、セツナお姉ちゃんの頼みだったんだね。まぁ、他に龍魂の欠片を欲しがる天使なんていないし、いたところでアルピナお姉ちゃんに楯突く天使なんて数えるほどしかいないから当然かな」
だとしたら、何が目的なんだろう? 熾天使に……悪魔公に……皇龍……。うーん……何かが引っかかるんだよねー。
しかし、どれだけ考えたところで尤もらしい仮定すら出ることはない。或いは、無理やりひねり出せば何らかの道筋は立てられるかもしれない。しかしそこまでいけば、それはもはや仮定ではなく創作や妄想になってしまう。そんなくだらない未来に思考を引かれるくらいなら、ある程度の情報が得られるまでは深く考えない方が無難だろう。
クィクィは頭を振って無駄な思考を追い出し、改めて眼下に座り込む天使達を睥睨した。
「まぁいいや。君達くらいならいつでも殺せるし、そもそも天使だって神龍大戦の影響で僕達ほどじゃないにしても数が不足してるでしょ?」
「……つまり、私達を見逃すということ?」
「いいの、そんなことして?」
予想外の対応に虚を突かれるイルシアエルとテルナエル。それぞれクィクィの本心を確認するように疑問符を投げかけ、生の希望に射す光をより確実なものにしようとする。そんな二柱に対し、クィクィは僅かに苛立ちを募らせたように相好を歪める。口調が若干乱れ、改めて加虐的な魔眼が金色の眼光を放つ。
「何? ボクの言葉が信じられないの? それとも、ボクに殺してほしかったのかな? 死にたくないなら早くどこかに行きなよ、ボクの気が変わらないうちにさ」
次回、108話は1/13 21時頃公開予定です。




